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2011年1月16日 (日)

『風土記』について

日本の古代の話は、『古事記』、『日本書紀』があるが、これらは当時の天皇側から見た、ある意味、権力者側からの話のまとめ方になっている。よって、世界のあらゆる史書同様、権力者側の立場から、歴史は、粉飾されている可能性が高い。

『古事記』は、まだ、権力者も、粉飾を意識していなかったので、過去の伝承が忠実に記されているようだが、『日本書紀』は、物語としては面白いが、かなり編集されていると云われている。

それに対して、各地の『風土記』は、中央からの命令とは言え、各地の当時の知識人であり官僚である人物が、描いており、その内容は比較的見聞に忠実で描かれており、その内容も地区により、多岐に富む。

そのため、一応、行政上の地誌を記しているが、それだけではなく、地域の古老の物語も入れている。それらの話は、極めて人間的であり、当時の人々の心を示しており、示唆に富むと言われるが、原文を読むと、割と簡潔に描かれており、一般人が読むのは若干辛い。

そのため、古文同様、どうしても研究者による周辺の調査・研究による参考文献が必要になってくる。結果的に、その辺が、どうしても二次的鑑賞になり、本当の理解とはかけ離れてくる可能性も高い。それでも、想像力を働かせながら、当時に思いを遣るのは、面白いことかもしれない。

*参考

『風土記』で、現存しているのは、成立順に、『常陸国風土記』、『播磨国風土記』、『出雲国風土記』、『豊後国風土記』、『肥前国風土記』の五点だ。それも完全な状態で残っているものは少ない。今後、これらの『風土記』の内容について、記すかもしれないが、あくまでも、流風の想像による見解です。

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