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2011年1月26日 (水)

天は二物を与えず

俗に、天は二物を与えずというが、子どもの頃、お金持ちで、美人で、頭もいいという女の子がいたのを覚えている。その後、彼女が、どうなったか知らない。

金持ちにも、二種類あり、一つは、最近の日本では少なくなった代々続いている金持ち。もう一つは、いわゆる成り金。だから、それぞれの子女は、仮に美人であっても、雰囲気は大きく異なる。彼女は、前者だったと思う。

前者に見られるのは、比較的質素な服装をしていた(もちろん、何らかの催しのある時には、それなりのパリっとした服装ができるが、普段は、見せびらかすことはしない)が、後者は、いかにも金のかかった贅沢な身なりをしていることが多かった。

容姿も、前者は、子どもでも、雰囲気に品が感じられるのに対して、後者は、豪華な物で着飾った結果、外見だけが美しく見える人が多かった。そもそも、物の選択眼の違いがある。前者は、流行を追わないし、それなりに価値があると認められる物しか身につけない。後者は、流行を追うし、評判になっている物に対して、金に糸目はつけず購入する姿勢だ。

また頭がいいというのも、成績もいいが人間的に頭がいいというのと、成績だけがいいというのと、二種類ある。すなわち、家庭で人間教育ができているのと、そうでないのとがいた。もちろん、前者はそうであることが多く、後者は、そうでないことが多かった。

このように見ていくと、現在の日本は、なり上がりの子女が多いかもしれない。ただ、なり上がりも、何代も続けば、本当の金持ちになるかもしれない。果たして、どのようになっていくのだろう。でも、活力を維持するには、二物も三物も持たない方がいいかもしれない。お互いの不足を知り、それを補う社会の方が強いと思う。あまり、二物がないと嘆かない方がいい。

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