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2011年2月28日 (月)

曽根天満宮の梅

自宅の梅は、まだ咲かないが、曽根天満宮で梅祭りが催されているとのことで、参拝してきた。約40種200本、植えられているらしい。様々な梅が咲いており、なかなか見ごたえがあった。

この神社の謂われは、道真公が、冤罪を蒙り、九州大宰府に流された時、その途中で、伊保港に寄港され、里人に梅井の清水を教えられた。そして、日笠山に登られ、その景色を称せられ、小松を植えられたとのこと。

この松は、霊松曽根の松と呼ばれるが、残念ながら、秀吉による播州攻略の折の天正の兵火で衰弱し、枯死している。実生から育てた松は2代目になり、昭和27年に枯死している。その後もたびたび枯死し、現在は、5代目らしい。松は育てるのが難しいが、戦後、長生きしていないのは、何らかの問題があるのかもしれない。初代の松は、保存されていた。

この神社は、そういうわけで、どちらかというと、霊松の神社だが、彼が大宰府で詠んだ和歌「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」により、梅が、崇敬者により、献木された結果、多数の梅の神社になったようだ。

社殿については、道真の左遷後、彼の四男、淳茂公が、道真縁の地に社を創建したと伝えられている。天正の兵火にて消失したが、徳川時代に入り、姫路城主池田輝政の室、督姫により、拝殿が建立され、その後、境内の大普請などがされて、京都所司代板倉勝重は境内保護の制礼を下す。代々、徳川家には、大事にされたようだ。

さて、その梅の系統は、野梅性、紅筆性、難波性、豊後性、杏性、紅梅性で、埋め尽くされていた。当日は、接待(有料、200円)もあり、梅昆布茶・梅鉢饅頭(*注)を賞味。梅昆布茶は、上品な味で美味しかった。3月20日頃まで、見頃か。3月25日、26日には、春祭りが催されるらしい。

*注

梅鉢紋は、曽根天満宮のもので、他の天満宮(星梅鉢北野天満宮、幼県剣梅鉢防府天満宮加賀前田家、梅花鉢大宰府天満宮)のものと微妙に異なるようである。

*参考

    曽根天満宮  http://www.tenmangu.net/

   山陽電車 曽根駅下車すぐ

   他の駅にも寄るのなら、三宮・姫路間の1日フリー乗車券1400円が、お得。

   中途下車ができるので便利だ。

 

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2011年2月27日 (日)

耐震検査の問題

ニュージーランド南部の大震災は、多くの被災者を出したのは、阪神淡路大震災と同様な原因かもしれない。基本的に、耐震設計のビルや住宅は被害が少なく、耐震設計の十分でない古いビルや住宅が、崩壊した。

更にニュージーランドでは、昨年9月にも同地区で大きな地震があり、その時に、ビルにひびがすでに入っており、建築関係者は危険なことを指摘していたのに、市当局は、大丈夫と認定したらしい。

もしそうだとすれば、これは人災だ。ニュージーランドも、我が国と同様、震災国であり、日本の建築関係者も、その対策に参考にしているぐらいなのに、どうして、そのような判断に至ったのであろうか。

確かに、自然災害に対して、完全な防御はできないかもしれない。自然の動きに対して、予測も予知も、なかなか難しい。それでも、できるだけ対策を講じることは無駄ではないだろう。

我が国でも、耐震検査を受ける人が、未だ少ないという。費用がかかるからだろうか。耐震検査をしたところで、どうにもならないと考えているのだろうか。自治体によっては、古い住宅に関して、費用の助成をしている所もある。震災は忘れたころにやってくると言われるが、それは近いと考えて間違いないだろう。

耐震検査を受けただけで、安全が完全に確保されるわけではないかもしれない。それでも、検査を受けて、不十分であれば、補強工事をすれば、安全性は高まる。耐震検査をされていない方は、役所に相談してもらいたいものだ。一本の電話で、助かる命と思えば、かかる費用も安いものだ。

*追記

流風も、引っ越した時、古い家だったので、不安に思い、役所に電話して、問い合わせした。すぐに担当部署を紹介され、相談に行き、耐震検査業者リストをもらい、電話して、来てもらい、検査を受け、一応、安全ということで解決した。検査費用は、市が大半を補助してくれ、負担したのは数千円だったと思う。ちなみに、補強工事にも一定の助成がある。

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2011年2月25日 (金)

宇宙と人

宇宙については、拙ブログで、時々取り上げているが、基本的に、私達は宇宙人の一人であることは間違いないだろう。私達は、宇宙と呼応して息もしている。そういうことは、誰でも、時として、実感する。中村天風は、宇宙霊が我々の心性とつながっているとした。

中国の子供教育に使われた『千字文』も、最初の出だしは、「天地玄黄、宇宙洪荒」である。これは習字をされた方は、ご存じだろう。「宇」は、天地の無限の広がりを意味し、「宙」は、世界の始まりから、未来への永遠の時間を意味する。

『菜根譚』にも、次のように解説した一文がある。

 心体は、すなわち、これ天体なり。

 一念の喜びは、景星慶雲。

 一念の怒りは、震雷暴雨。

 一念の慈しみは、和風甘露。

 一念の厳しさは、烈日秋霜。

 何者か少き得ん。

 ただ随って起これば、随って減し、

 廓然(かくぜん)として碍(さわ)りなきを要すれば、

 すなわち太虚と体を同じくす。

敢えて、解釈はしないが、要するに人間の感情は、宇宙と同じ。心の持ち方次第で、全てが変わるということだろう。同じ生きていくなら、楽しく生きていった方がいい。そして、楽しくするのは、自分次第。決して、他者ではないということを知っておれば、この世の中、何とか生きていける。

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2011年2月24日 (木)

干しシイタケ料理

先日、百貨店で、国産干しシイタケが特売されていた。干しシイタケは、割と高いから、今回は安い(笑)。百貨店も、こういう特売をし始めたか。大体、特売といっても、そんなに安くない場合も、あるのだが、今回は違った。スーパーで売っている干しシイタケと比べても格段に安い。思わず、二袋もかってしまったが、傍にいたお婆さんは、五袋も買っていた。

さて、干しシイタケを使った料理は比較的多いかもしれない。日頃から、干しシイタケを水に浸して冷蔵庫に入れておき、いつでも使えるようにしている。戻したシイタケを料理に使うのはもちろんだが、そのシイタケ水も、出汁として使う。これは健康にいいとかで、そのまま飲む人もいるらしい。

また干しシイタケが癌に有効だと聞いたことがあるが、裏付けは十分に取れていないとも聞く。流風は、幸い、そういうことは気にかけず、美味しいので、食している。普通は、甘辛く炊いて、同じく甘辛く煮た高野豆腐があれば、満足。それに、サヤインゲンを甘辛く煮て、卵でとじれば、言うこと無し。

みそ汁にも入れる。例えば、一日目は、昆布とカツオ節の出汁と具はわかめだけを入れて、少し多めに、普通のみそ汁を作る。二日目は、戻したシイタケとシイタケ汁を加えて、食する。水も味噌も加えない。三日目は、更に、豆腐とねぎを加える。これで、三種のみそ汁を味わえる。

料理としては、邪道かもしれないが、割と美味しいのと味の変化を楽しんでいる。味噌は日に日に薄くなるはずだが、そんなに変な味にならない。十分、味わえる味になるから不思議だ。他の料理としては、ちらし寿司の具や、親子どんぶりの具に使うことが多い。

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2011年2月23日 (水)

原油高騰は続かない

2011年2月23日現在、中東の混乱から、原油価格が急激に上昇している。統治の乱れが、原油に影響すると思う人たちが、思惑で上げているのだろう。更に米国が世界にばらまいたドル余剰が、投機に格好の材料を与えたとも言える。

しかしながら、中東の混乱は、いずれ落ち着くだろうし、彼らが原油掘削施設を破壊することもないだろう。他方、原油需要は落ち着いているし、北半球に限って言えば、まもなく冬が終わり、灯油需要も落ちる。実需を伴わない価格の上昇は長続きしない。

いずれ原油価格は暴落し、夏には落ち着くところに落ち着くだろう。あまり、慌てることもないと思う。ただ日本としては、原油価格という不安定要因を取り除く必要があり、引き続き、脱原油政策の推進を強化する必要はある。

*追記

途上国の石油消費量は確かに増えていくことにより、需要拡大が見込まれるが、今回の石油高騰とは、あまり関係が無い。もちろん、日本としては、途上国に対して、省エネ化及び、電気自動車の普及を考える必要がある。

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2011年2月22日 (火)

文字の無い書物

凡そ、人は生まれて、目の不自由な人を除いて、文字のお世話になり、世渡りする。かつて日本も、文盲の世界があったが、世界の中でも、日本は、早くから識字率が上がった。文字は文明の初め故、そこから、いろんな文化、文明を吸収して、新たな文明を発達させたと言えるだろう。それは世界のどこでも見られる現象であろう。

ただ、文字に依存し過ぎると、本質が見えなくこともある。ネット社会では、そういうことに注意する必要がある。特に人間関係は、直接、目を見て、言葉を交わして、相互の考え方を確認することがより重要だ。そこには、文字で表現できない何かがある。文字に捉われないようにしないといけないと、日々感じている。

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2011年2月21日 (月)

『播磨国風土記』を読む その三 伊和大神

播磨国が、出雲と密接な関係があったことは、この風土記に記されている伊和大神が出雲の人だからだ。そして、伊和大神は、葦原志挙乎命(あしはらのしこおのみこと)と記されている。なんと大国主命(おおくにぬしのみこと)のことだ。ところが、彼は出雲王朝の六代目だったとも云われる。すなわち、伊和大神は、大国主命その人ではなく、大国主命の流れを汲む人物であったと推定される。

大国主命は、呪術とか医薬を広めたと言われる。ただ、彼は、後に、戦いに破れて降伏し、大和王朝の天照大御神の孫のニニギノミコトに国を譲り、出雲に逼塞する。彼の代で、出雲王朝は終わりを告げるわけだ。

このことを指して、大国主命は播磨国には来ていないという考え方もある。ただ大国主命が国譲りする前の代から、播磨国には、出雲の王がやってきた可能性は高い。そこで、言い伝えが混乱した可能性も指摘できる。

大体、この風土記には、多くの古老からの言い伝えを、地区ごとに時系列ではなくて、並列にランダムに記されているので、そういう錯覚をするのだろう。流風は、どの代か分からないが、何人かの出雲王は、国譲りする前には、播磨国にやってきていると確信する。

それでは、葦原志挙乎命が、なぜ伊和大神というかは、風土記にも記されていて、もともとは、彼が、若い時に、播磨に来て、酒の醸造を伝え、それを神酒(みわ)と呼んだものが、伊和になまったものらしい。だから、本来は、神酒大神だったのかもしれない。

どういう経路で、播磨国に来たかはわからないが、妻、許乃波奈佐久夜姫神(このはなさくやひめぎみ)を、大山祇神(おおやまつみのかみ。山の神)の娘を迎えていることを考えると、現在の鳥取県経由で、播磨国に向かったのではなかろうか。

しかしながら、初期の播磨の平定は容易ではなく、多くの苦杯を舐めている。当時は、巫女の力が強く、漸う、佐用郡の実力者の姫巫女を籠絡して(笑)、入りこんだ可能性が高い。だが、彼女は大変な呪術の使い手で、それに怖れを成して、後、去っている。その他にも、各地の地元の実力者の多くの姫に粉をかけるが、振られて失恋しているのは人間臭くて面白い(笑)。

播磨に定着して後、朝鮮半島の新羅から王子の天日槍(あまのひぼこ)が、先進的な鉄の刀剣を持ってやってきて、戦争になるが、伊和側の方が、食糧が豊富だったため、この時は、何とか勝って、天日槍を出石の方に追いやっている。最終的には、姫路平野まで手中に収める。

ただ、鉄器、刀剣等、新しい文明の導入が遅れたためか高天原王朝には、戦争に負け続け、ついに出雲における最終的な最終戦争は避け、高天原王朝に国の王権を譲った。その後は出雲にて、神事のみに専心し、全国の神社を束ねることになる。

彼の名前が残ったのは、彼が常に民衆のことを考え、民衆から尊崇されていたこともあるだろうが、出雲王朝最後の王であり、妻もニニギノミコトに奪われ、神事に没頭せざるを得なかった悲劇の人であったからかもしれない。そこから、後の人が、民を守ったという意味で、大国主命と呼ぶことになったのかもしれない。

*注記

この記事は、一部、流風の想像によるもので、いろんな解釈が考えられます。

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2011年2月20日 (日)

ほうれん草料理

ほうれん草と言うと、若い方は、ご存じないだろうが、子ども時代に見た漫画『ポパイ』を思い出す。船乗りのポパイと、その恋人オリーブ。そして、恋敵のブルート。ポパイ・ザ・セールマン、ポパイ・ザ・セールマン。懐かしいな。ポパイは、缶詰入りのほうれん草を食べると、もりもり力を出すとして描かれていた。

当時、ほうれん草が嫌いだったが、母に鉄分が多く含まれ、食べれば、ポパイのように強くなると言われ、嫌々食べていた。母の作るものは、大体お浸しだから、それにカツオ節とか、すりごまをかけて醤油をたらしたものだから、子どもには、そんなに美味しくない。

社会人になって、料理をするようになると、ほうれん草の料理が、お浸しだけでないと知った。ただ、あまり好きではないのに、スーパーで見かけて、買ってきて、冷蔵庫に入れっぱなしで、よく腐らせた。若い独身男が会社から帰ってきて、料理をするのは、なかなか難しい。

五、六年前、ある料理本で、ほうれん草は湯がいて、三センチ程度に切って、小分けして冷凍保存すればいいとあったので、今では、そのようにすることが多い。冬は、湯がいたものの半分は冷蔵にして、半分は冷凍にする。夏は、その時に食したもの以外は全て冷凍だ。

料理としては、冷凍した、ほうれん草を解凍して、各種油で炒めたり、バター炒めが多い。それぞれの油、バターで、味が微妙に違う。合えるものとしては、カツオ節、卵、鶏肉、塩しゃけの焼いてほぐしたもの、各種魚の缶詰が多い。

いずれにせよ、子ども時代のようには苦手ではなくなった。昨日も、美味しそうな厚みのある、ほうれん草が売っていたので、たくさん買ってきて湯がいて、毎食、少しずつ頂いている。ほうれん草、万歳だ。もう、ほうれん草を食べても、強くはなれそうにはないが。

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2011年2月18日 (金)

白湯習慣

最近、白湯(さゆ)の見直しがされているが、子どもの頃、体調が悪くなると、母がお粥と共に、白湯をフーフーと吹いて飲むよう促された。この白湯、別に体調が悪くなくても、飲むのは健康にいいとされる。少なくとも、冷たい水や、飲料などを摂取するよりいい。

朝起きて、胃腸を活性化させるために水を飲む人は多いが、流風は数年前より白湯にしている。別に胃腸が悪いわけではないが、年齢と共に、冷たい物の摂取は避けるようにしている。

冷たいものは、何となく、身体に悪いような気がするからだ。焼酎やビールが飲めないのは少し残念だが、飲むのは時々にしている。これは夏も続けていて、お陰で夏バテすることもない。

また、温かい飲み物は、コーヒー、紅茶、緑茶、ウーロン茶、ジャスミン茶、ココアなど、それぞれ大好きだが、残念ながら、カフェインが多く含まれる。脳の覚醒には役立つが、あまり飲み過ぎると、よくないと言われる。

だが、これらは寝る前に飲めば最悪で、睡眠を妨害するのは誰もが知っていることだが、案外、夕食後に飲んでいたりする。できるだけ、夕食後は、緑茶も止め、白湯にしたいものだ。

そうすれば、安眠間違いないと思うよ、あくまで流風の感想だけれど。それに、白湯は体内の余分なものを排出する効果もあるらしい。白湯が見直しされているのは、そういうこともあるのかもしれない。白湯習慣は体験的に悪くないと思う。

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2011年2月17日 (木)

移民の難しさ

かつて日本でも、労働力の減少を補うため、移民で補うべきだと言う評論家が多かった。ただ移民は文化も違うし、日本文化に溶け込むことはなかなか難しい。特に単純労働者の使い捨ては、大きな問題を生む。結局、本国に帰って行った人々も多い。労働力の代替としての安易な受け入れは問題が多いということだろう。

さて、西欧社会では、もっと長く移民を受け入れてきたため、移民が深刻な問題になっている。好景気には、彼らを安い賃金で利用し、不景気には、切り捨てていく。ところが、市民権を得て、定着すれば、社会保障の問題も生じる。彼らは日本で言う社会保険料に相当するものを長年にわたって納めていないから、これらの費用は、他の国民に負担がかかるから、国民は移民を邪魔者扱いする。

西欧社会も、いかに移民計画が出鱈目だったか明らかになっている。また移民たちも、彼らの文化に固執するあまり、移民先でのトラブルも目立つ。郷に入りては、郷に従うということができていないことも問題だ。このように移民は簡単ではない。右のものを左に移すというものではない。人の移動は、各種問題を引き起こす。

こういう状況を見ていくと、一時的な国内の供給不足を補おうとして、便宜的に移民を活用するのは愚かしいことだ。でも、これは日本でも最近見られている現象ではないか。看護・介護関係に、アジアの人々を活用しようとするのも短絡的なやり方だろう。国内に、これらの職種に人材を誘導する努力(*注)を怠り、安易な政策をしてきたのは、誤りだろう。やはり移民は慎重に取り組むべきだろう。安易な政策は、後々、国や国民を苦しめることになる。

*注

高校の無償化も、全ての高校生を対象にするから、おかしな政策になる。基本的には、無償化支援は、学習意欲はあるのに、親の事情で進学できない生徒に対してのみ支援すべきで、その進学方向も、社会に役立ち、授業内容も、将来、自立できる実践的なカリキュラムで、就職に役立つ高校に限定するべきだろう。

 

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2011年2月16日 (水)

きな粉入りホットミルクを作る

昨日は雪が止んだので、出かけると、屋根から雪の塊が落ちてきて、危険を少し感じた。一部氷結しており、あれが直接当たれば、怪我をするだろう。こういう光景は久しぶりだ。でも、もう少しすれば、暖かくなる感じだ。やはり、お水とりが過ぎる頃からになるのだろう。

さて、まだ寒いので、何か温かいものを考えていたら、正月用に買っていた、きな粉が余っていたので、料理本(*参考)に載っていた「きな粉入りホットミルク」を作ってみた。材料は、きなこ、牛乳、蜂蜜のみ。

手順は二人前で、きな粉大さじ1、牛乳カップ1、蜂蜜小さじ1を用意する。ミルクパンか、小さめの鍋に、きな粉と蜂蜜を入れ、よくかき混ぜる。これが少し手間。ダマにならないようにする。

混ぜることができたら、牛乳を入れ、泡だて器でかき混ぜながら、弱火で、温めて、出来上がり。懐かしい味だ。子ども時代、母が作っていたかもしれない。

このホットミルク、牛乳だけで、ホットミルクにするより、カルシウムの補給にもなるし、きな粉の植物繊維の摂取もあり、一石二鳥で、身体にいいようだ。まあ、流風は毎日は飲めないけれどね(笑)。この味は女性は好きかもしれない。

*参考

『21世紀の医食同源』 新居裕久著  (ベターホーム出版局刊)

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2011年2月15日 (火)

外食産業の振興 その一 交際費課税の見直し

国内の飲食業(中食含む)が、幾分持ち直しているらしい。ただ好調かと言われると、そうでもないらしい。未だに、牛丼店は過剰な競争をしているし、弁当は安いものが幅を利かしている。これらは200円台、300円台だ。一体、どんな食材が使われているのだろう。人件費は、どのような状態なのだろうか。

これらのことは、ちょっと消費者が冷静になれば、おかしいと思うだろう。ただ、安いのが当たり前になっているのは、感覚が麻痺しているのだろう。また本来、自宅で自炊すれば、安くつくが、共働きというような労働形態がそれを許さないのかもしれない。

しかしながら、こういう状況は悪循環を生む。やはりどこかで、この循環を断ち切る必要がある。それは雰囲気だと思う。それにはどうするか。飲食業の不振が始まったのは、もちろんバブル崩壊が影響しているが、それと共に、企業の交際費税制も厳しくなったことが大きい。

それがため、かつて交際費で落としていた企業が、飲食店を利用する頻度か落ちて、飲食店に活力が無くなったことは否めないだろう。確かに当時は、過剰に交際費を使って、経費で落としていたことは、税務当局にとって、頭の痛いことだっただろう。更に、飲食店の税の捕捉率も低く、脱税が多かったことも影響していると聞く。

しかしながら、現在は、交際費課税強化が行き過ぎている感がある。交際費課税を緩めることは、国内景気を上向かせる要因になると思う。少なくとも、法人税の減税よりは効果があると思われる。もちろん、条件は必要だ。飲食の範囲を厳格にして、利用飲食店も、税務当局が優良納税者と認定したところに限って、交際費の枠を緩めるというのも一つの方法であろう。

当局には、国内経済の活性化につながる飲食店の振興のため、交際費課税の緩和を検討してもらいたいものだ。やはり、いつの時代も、飲み食いしてコミュニケーションを深めることは、活力を生むと思われる。

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2011年2月13日 (日)

喧嘩外交の勧め

かつて自民党政権時代は、中曽根政権以降は、実質、外交は機能していなかった。あまりにも米国依存の外交は、主体性を放棄したものだった。政治家は、官僚の描いたシナリオに従ったに過ぎない。

だが、官僚は保身で海外とのトラブル(対米に限らず、ほとんどの国に対して)を極力避ける傾向がある。まず妥協ありきのやり方で、物事が進められた。関係国とのトラブルを過剰に恐れる体質(お嬢様外交と揶揄される)。これは最近のフジテレビ系のドラマでも描かれている。

それがため、海外から、日本は完全に舐められた。すなわち、日本は押せば、いくらでも要求を飲むと勘違いさせたのだ。これは日本の国益を大きく失う可能性が高かったが、自民党政権では、全く改善されることはなかった。

米国外交に追従しておれば、それでいいという感覚が、彼らにあったのは間違いないだろう。それなら、政治家も外交官もいらない。民主党政権は、それを改めようとしたが、いきなり外交方針を変更して、外交の継続性を無視したため、一部混乱が生じている。

しかしながら、外交における国益の主張は本来、正しい。問題は、外交のシナリオが十分でなく、結局、それが貫けないことだろう。外交は相手国があるのだから、相手国の権力構造の仕組みや相手国の民情を十分把握して、交渉し、攻めなければならないが、残念ながら、それが不十分と感じられる。

トラブルの起こりうる国は、米国、中国、ロシアであるが、国益に反することであれば、堂々と喧嘩すればいい。喧嘩を恐れてはならない。喧嘩は、相互理解の手段だ。だが、それには、各種情報に基づいて下準備が必要で、いくつかのシナリオを描いておかなければならない。

自国の主張は徹底することが必要だが、喧嘩になれば、最終的には(長期か短期かは別にして)落とし所を探らねばならない。戦争と同じで、始めれば、可能な限り、終わりも想定しなければならない。しかしながら、自民党時代のように最初から妥協ありきの方針では、国益は守れない。民主党政権には、外交トラブルを恐れず、政府は外交能力を高めてもらいたいものだ。

*追記

北方領土問題で、管直人首相が強硬発言したことで、ロシアが強く反応しているが、これはいいこと。もちろん、これで解決の糸口が見つかると思わないが、日本の主張を明確にすることは、ロシア側にも日本の意向が伝えられて望ましい。主張しない限り、相手国には何も分からない。

ただ、経済開発への協力すれば、ロシアが妥協してくれるだろうというような甘い考えが一番いけない。前原外務大臣には、そういうニュアンスが感じられ、今ひとつ、腰が定まっていないのは残念だ。

つまり阿吽の呼吸で、相手国が察してくれるだろうというような曖昧な態度が一番いけない。これは日本国内の交渉事ではないと、はっきり認識すべきだ。主張と主張とが激しくぶつかりあうのが、外交の基本だ。これは国際権力闘争なのだ。

諸外国は、日本の外交が基本に戻ったことに戸惑うだろうが、今後、この線で推し進めればいい。マスコミ等が心配して、要らぬコメントをするのは杞憂だ。但し、関係各国の各種情報力の強化は望まれる。

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『播磨国風土記』を読む その二 播磨という名の由来

それでは、なぜ「播磨」と呼ぶようになったのか。ところが、『播磨国風土記』の初めの部分が欠損しており、残念ながら、その由来を知ることはできない。風土記に残った記録には、播磨国の表記の外に、針間国(*注)という表記もある。しかしながら、この辺の経緯は、表紙が抜け落ちているために、定かではない。

参考文献(*)によると、『播磨鑑』には、「日本の中間にて針の如し」とか、「神宮皇后が、ある日の晴れ間に御船を出し」とか、「神宮皇后が御幡の手を開き上げさせ」とか、「海辺を弓を張った国の如く」とかあるとか。

いろんな説があるわけだが、どれが近いだろうか。まず言えることは、あまり文字に左右されてはいけないということだろう。それは万葉集にも言える。音(おん)で考えるべきではないか。渡来者の言葉が、呼び名に影響された可能性がある。

古代朝鮮語について知識はないが、音で考えれば、「ha・ri・ma」に何らかの意味があると推定される。ただ、音の表記は違うかもしれない。類推すると、何とも言えないが、ヤマカン(笑)で、この土地の形状を指した可能性が高い。

そうだとすれば、「海辺を弓を張った国の如く」と言うことだろうか。陸側か、海からか見えた風景。いずれにせよ、土地の形状を指したものだろう。残念ながら、流風には、それ以上のことは記せない。研究者に託すしかない。ただ、古代に思いをはせ、妄想的に色々、想像することはなかなか面白いと思う。

* 参考文献

   『「播磨国風土記」を楽しむ』 田井恭一編著 

    神戸新聞総合出版センター刊

*注

針間国とは、この風土記中にある、「萩原の里」について記されていることに、つながりがあるのかもしれないという見方もある。皇后が朝鮮から、船で還られて、現在の、たつの市揖保町萩原に寄る。一夜のうちに背の高い萩が成長し、その間に井戸を掘られて、萩間井が作られた、とある。これは「萩間井」が、「針間井」となったのか。ただ、これを以て、播磨国となったというのは無理が感じられる。

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2011年2月12日 (土)

『播磨国風土記』を読む その一 概観

風土記の内、『播磨国風土記』に、流風の独断と偏見で、何の裏付けもなく(笑)、若干、妄想的に触れてみる。この風土記は、現存する風土記で、最古のものとも言われる。ただし、原本ではなく、平安時代に作られた写本であるらしい。また、いくつかの欠損がある。編者は、数人の候補はあるが不明である。成立年代は、不詳だが、日本書紀が作られる前と推定される。

播磨国とは、現在の兵庫県の、東は明石市、三木市、小野市、西脇市から、西は赤穂市、佐用市、北は、宍粟市、神河町、多可町辺りまでを指す。

播磨地域は、古くから土地の豊かな地域であったと察せられる。温暖で、比較的自然災害も少ない。平野部が広く、また海側も内海のため台風の被害も少ない。すなわち、住まうのも、食にも困らないから、古代の人が、自然と集まった可能性が高い。

また結構早くから、渡来人が多く入っているだろう。彼らが、この地に注目して、先進的技術を以て、地元の人間と結び付き、文化を形成したと考えられる。この風土記の内容は、実際的で、記紀の神話的要素は薄く、時代を正確に反映していると言われる。

渡来人の流入は、大和朝廷の政策という見方も成り立つが、流風は、それ以前から、かなり流入していたと思う。どういうルートで入ったかはわからないが、一番考えられる大きいルートは、出雲からであろう。

出雲には、朝鮮半島の東側の人々が、何らかの事情で、潮流に乗って、渡来し、定住したと想像できる。そういうことで、当時から、相当、行き来があったのではなかろうか。浦島太郎、竹取物語、羽衣伝説等は、すべて出雲が発祥の話ではないかと思われる。

そのような雰囲気は、この風土記から読みとれる。そして、よくわからないが、出雲と播磨は強い関係であったと考えられる。出雲王朝の権力の源泉の一つが、播磨国から採れる食糧ではなかったか。いずれの時代も、経済的バックがなくては、権力は握れない(*注1)。

それには、まず食糧を押さえる必要がある。日本に最初、住みついた縄文人は、狩猟活動で各地を転々としたかもしれないが、半島から弥生人の流入により、農耕が根付き、いかに生産性を上げて、食糧を多く調達した者が、権力を握ったことは疑いようもない。

播磨地域に大和朝廷が関与してくるのは、後のことで、『播磨国風土記』と記紀の内容にずれがあるのは、そういうことが影響している。大和朝廷が、自らの権威化及び権力維持のため、内容を大きく脚色したことが、各種風土記の多くが残らなかった原因だろう(*注2)。

多分、朝廷は都合の悪い部分は削除か、処分し、地方にも処分を指示していたかもしれない。しかし、控えは、失われることなく、写本であっても、『播磨国風土記』のように、その内容が後世まで伝えられたことは、歴史のためにはよかっただろう。いずれにせよ、史書は権力者によって、都合よく、書き換えられることは、いずれの時代も、間違いない事実だろう。

*注1

後、大和王朝と播磨を巡って、争いが起こっている可能性が高い。

*注2

古事記は、712年に国に上げられたが、稗田阿礼の記憶による口伝であり、情報には限界がある。また一言一句漏らすなという指示があったのか、彼が確認しながら繰り返し述べたことも記したため、重複記事が多い。その内容は脚色はされていないと推定されるが、記録としては不十分である。

日本書紀は、720年に天皇に上程されているが、そもそも天皇の指示で作られたものゆえ、周囲は、それを慮って、内容には、作為が入りやすい。地方の国司に命じて作らせた風土記(実質、郷土史)のような地方情報も加味しても、そこには取捨選択があり、都合の悪いことは記さず、中央官僚によって都合のよい記録以外の別の情報が付加されている可能性が高い。

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2011年2月11日 (金)

一杯用コーヒーメーカーを買う

コーヒー豆の価格の上昇に伴い、喫茶店の珈琲の価格が上昇している。止む得ないとは思うが、一カ月に15日ほど利用している者としては、若干痛い。紅茶男子とかで、紅茶に切り替える向きもあるようだが、所詮、紅茶は紅茶。

それに、よく利用する喫茶チェーン店の珈琲は、どこも、そんなに美味しくないと、常々思っていたので、今回、思い切って、コーヒーメーカーを購入してみた。今までも、何回か買おうとした時もあったが、器具が大きいのでパスしていた。

一日に何杯も飲むわけではないので、小さいコーヒーメーカーを探してのだが、あまりなかった。今回、たまたま輸入物で一杯用を見つけ買ってみた。そこで、早速試してみると、これが意外と美味しい。

コーヒー豆にも、よるのだろうが、これだと、いつも利用している喫茶店以上。本物の喫茶店並み。こうなると、しばらく喫茶店の利用は控えるかも。まあ、気分転換のためには、止められないけれど。結局、これだと飲む量が増えるだけか(苦笑)。

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2011年2月10日 (木)

火山灰の資源利用

新燃岳の火山灰の噴出量は大きく、その付近に住まわれている方々には大きな負担になっている。また火山灰の処理も大変らしく、捨てる場所にも限界があるようだ。火山灰の成分がどのような物かわからないが、資源とすることはできないのであろうか。

確か、以前、火山灰を利用したビジネスが紹介されていたように思う。折角、自然がもたらしてくれた、この火山灰を単なるゴミにするのではなく、資源として再利用できるように研究して欲しいものだ。製品化したものを売ることで、その利益を地域に還元することは可能だと思う(あるいは、支援のために購入してもらう)。

*追記

火山灰を混ぜたコンクリートブロックが有力なようだが、建築以外にも、ガーデニングのためのブロックの囲いとか、浸透性の高い住宅の庭の舗装材料として使えるのではなかろうか。

後は、軽石等、美容につかわれるようにするのもいい。成分によっては、化粧品に混ぜるというも考えられる。後は、何とか理屈をつけて、お守り(小袋に灰を詰める)のようなものに使うとか。

*追記

テレビ番組によると、新燃岳火山灰を利用して、ガラス器の材料にもなるようで、緑色に発色していた。

*追記

  新燃岳火山灰を活用した例 ストラップ

  http://sinmoe.web.fc2.com/

  結構、いいかも。

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2011年2月 8日 (火)

家の明かり

男が仕事から帰ってきて、家に明かりが灯っていると、ほっとするものだ。ただ、流風は、家から独立してから、その経験はない。そういうことを期待して結婚したが、共働きであったため、帰ってきても、いつも部屋は暗いまま。寂しい気分が付きまとったものだ。

家庭を持っても、一人でいた時と同じなら、結婚の意味はないと当時思いつめた。ちょうど仕事で悩んでいた時期でもあり、そういうこともあり、まもなく別れた。流風はさびしがり屋なのだろう。でも、人というものは、明かりを求めるのは古代からのように思う。火を見て安心する。それに獣など外敵からも守られる。

家に明かりがあって、迎えてくれる人があれば、男は耐えられるのかもしれない。竹内まりやさんの歌に、『家に帰ろう~マイ・スイート・ホーム』があるが、あの歌詞を読むと、うまい歌詞だと思う。

 “見る夢が違う、着る服が違う。でも、いちばん私を知っている”

それを知っていれば、妻は、早く帰って、照明をつけただろう。恐らく、多くの家庭は、そういうことで成り立っている。お互いのことを、何を望んでいるか、いつまでも知ろうとする相互の思い遣り。

またジャズには、“SOMEONE TO WATCH OVER ME”があるけれど、それに通ずるものがあれば、夫婦の絆は壊れたりしないのだろう。どなたかに釣られて少し感傷的になり過ぎたかな(笑)。

*追記

「人間が最古の昔から必要としていることの一つは、あなたが夜に帰らなければ、どこにいるのだろうと心配してくれる人がいることだ」(マーガレット・ミード)

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2011年2月 7日 (月)

夫に才智あり、、、、

流風が言うのも何だが、夫婦関係は微妙だ。現代は、男女がわがままに育ったからかもしれないが、ちょっとした行き違いで、その関係が崩れたりする。何が足りないとそうなるのか。今は、共働きが多いので、次のような西洋のことわざは、必ずしも当てはまらないかもしれないが、一応、挙げておこう。

  夫に才智あり、妻に忍耐あるは家内安全の基。

夫が社会で才智を発揮し、優れた成果をあげていても、仕事以外の行いは、子どもみたいなもの。妻は、それに耐えて、あくまでも子どもを扱うようにすれば、家庭内はうまくいくということ。明治生まれの女性は、多かれ少なかれ、そういうことがあった。

昔、彼女たちに話を聞いたところでは、「旦那はんは、持ちあげて掌(たなごころ)で、うまく扱えば、簡単なもの。変に自分の方が賢いと思って振る舞えば、家庭内は、火宅になり、夫も大成しない。あなたも、そういう(掌に乗せて、うまくやる)嫁さんをもらいなさいよ」と。

残念ながら、そういうタイプを選ばず失敗し、お婆さんの言う女性には巡りあえなかったが、今でも、程度の差はあれ、そういうやり方の方があまく行くかもしれない。夫のタイプにもよるが、あまり鬼嫁とか、嬶(かかあ)天下いうのは、宜しくないと思う(*注)。

ただ、同じく西洋のことわざに、次のようなものがある。

  男は内を言わず、女は外を言わず。

夫が家庭内の細々としたことを言うのも、家庭内を乱すことだ。最近は夫も、家庭内のことを求められるので、ついつい口を出しがちだが、各種ルールは話し合って決め、それ以外のことには、口出ししない方がいい。

そして、妻は、夫が仕事についてぼやいても、自慢話をしても、適当に聞き流した方がい。ただ男は自ら追いつめる場合もあるので、家庭は気分転換できる空間であるべきだろう。仕事を忘れられるようにしてあげれば、万事うまく行く。仕事については、口を挟まない方が賢明だ。

しかしながら、現代の日本は、核家族で共働きが多いので、この辺の塩梅は難しい。むしろ、同志感を養う方がうまくいくかもしれない(*参考)。それでも、上記のことわざの意味するところも、全く無駄ではない。時々、思い出して、配慮したいものだ。

*注

但し、妻は口やかましい方が、うまく行くという人もいる。要するに、パートナーの資質に左右される。

*参考

「愛するということは、我らが互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめ合うことだ」(サン・テグジュベリ)

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2011年2月 6日 (日)

気になる地域の接客のバラツキ

今住んでいる地域をうろうしていると、いろんな接客を受ける。気持のいい接客もあれば、あまり気分のよくない接客もある。今から考えると、神戸全体の接客は、平均的に、よかったのだなと感じる。引っ越して、こちらの接客を受けると、その落差は大きい。

神戸のような、おもてなしの態度が若干欠ける。客あしらいが雑な感じを受けることもたびたびだ。神戸のように観光に、それほど力を入れていないのかもしれない。もちろん接客のいい店もある。

ただ、流風の受ける感じは、かなりバラツキがある。店舗の違いのバラツキ、店舗内のバラツキが目につくのだ。すなわち、地域全体としての接客レベルを上げる意識が低いのかもしれない。

チェーン店でも、この地域の店は、なぜか接客がイマイチ(*注)。また個店の店舗においても、同じ店内でありながら、接客に、かなりのバラツキがあるのだ。若い店員がよくて、年配の店員が悪い場合もあるし、その逆もある。

そういう接遇を受けると、購買意欲は減少する。どうしても欲しい物で、そこにしかなければ、そこで購入するが、そうでなければ、他店に行く。だが、また同様な接遇を受ける。結局、割高になるが、時々行く神戸で買い物することになる。飲食にしても、未だ、禁煙席・喫煙席を分けてない店もあり、さらに接客が悪いと、継続的な利用はパスしたくなる。

よく地域の衰退とか言われるが、案外、原因は、そういうところにあるのではないか。気持ちよく買い物させて、飲み食いさせて、リピーターが増える方策を講じない限り、成果は望めない。接客や商品知識の向上は、地域活性化に欠かせないと地域の人々は知るべきだろう。

*注

特に気になることは、全国展開しているチェーン店も、地域においては、接客がバラつくのは不思議だ。これは地域の特性なのだろうか。人の特性なのか。それとも、経営者の意識が低いのか。

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2011年2月 5日 (土)

今年(2011)の春節祭

やっと少し寒さが緩んだ感じだ。そこで南京町の春節祭に行ってきた。あまり関係ないが、今年の旧正月は節分祭と重なった。祭は好きだが、どちらも賑やかだ。もちろん、その賑やかさの程度は、それぞれの文化を反映して、大きく異なる。

今年の春節祭は土曜日曜が近いため2月6日まで。年によっては、日が飛び飛びになって違和感があるのだが、今年はまとも。商売重視で日程を変則的にするのは、日本人の感覚からすると、おかしいのだが、彼らは現実的だから、そうなるのだろう(*注)。

久しぶりに中華街をうろうろ。やはり人が多い。店のいくつかは入れ替えがあるようだ。見慣れない店名がある。催しは平日のためか、やや少なめ。やはり土日に催しは集中している。催しの内容は、毎年似たようなものだ。今年は雑技団によるものが取り入れられている。

また以前、神戸の中華料理がまずくなっていると記したが、最近は改善されているようだ。当日は行かなかったが、少し前、何店かで食すると、味付けは良くなっていた。「新婚さん、いらっしゃい」に出ていた夫婦の店にも行ったが、以前より雰囲気も良く、料理もよかった。その他の店も、味はよくなっている。苦情が届いたのかな(笑)。

いずれにせよ、旧正月も開け、立春も過ぎ、春は確実に近付いている。そういうと、自宅の木瓜、蝋梅や花桃も、すこし花芽をつけだした。

*注

但し、最近は日本も、成人の日とか、体育の日を、土日に連続させるという変な形にしている。文化を尊重せず、利益を優先するのは、どうかと思う。華僑のように、お金大切とするのもわかるが、果たして、変える必要があったのだろうか。あまりにもご都合主義としか思えない。

*追記

帰りに、神戸華僑歴史博物館に寄ってきた。日本における華僑の活動の苦難の歴史が展示してある。華僑の生き方は、「落地生根」だが、その意味は、「一粒の種が、地に落ち、芽を出し、根を生やし、枝を張り、やがては大樹となる」ということのようだ。彼らの結びつきが強いわけだ。

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2011年2月 4日 (金)

止まらない遊園地の事故

東京ドームシティ(遊園施設)で、大きな人身事故を起こしている。またかという感じだ。これまでも、いろんな遊園地で事故が起こっている。ジェットコースターのメンテナンスと運営に問題があるのだろう。流風は、あんな無理な遊具で、楽しみたいとは思わないが、ああいうスリルで快感を得る人々も多い。

ところが、こんなに事故が多いのに、遊園地業者は、自分の遊園地で事故が起こらないと思っているのだろうか。今回の事故でも、管理マニュアルそのものが非常に緩いのには驚いた。サービスの品質管理そのものが、いい加減なのだ。これだと事故が起こるのは当然だ。

ある朝の報道番組の司会者は事業者を擁護して、客自体も気をつけなければならないと言っていたが、本末転倒の意見だろう。彼には、もともと、司会者の資質に欠けているが、ああいう意見を報道で流してはいけないだろう。放送局にも問題がある。

いずれにせよ、過去に事故を起こした遊園地は、ほとんどが閉園している。東京ドームシティも同じ運命を辿るのだろう。他の遊園地は、メンテナンス・運営に更なる配慮をしてもらいたいものだ。

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2011年2月 3日 (木)

学者の信念

学者の研究は、一般人にはわからないものが多い。研究の是非はともかく、果たして必要なのだろうかというものが多い。よって、真の学者にとって、研究は孤独なものに違いない。成果がすぐ出るようなものは、研究に値しないだろうし、かといって、いつまでも成果が出ないと周囲の視線は厳しい。結果的に、生活のために研究を適当に済ませる似非学者が跋扈するわけだ。

よって、学者に求められるものは、強い信念だ。結果がなかなか出なくても、自分の信じた仮説の検証を続けていく。それには経済的負担と心理的負担に打ち勝たなくてはならない。そのためには、並々ならぬ信念が必要になってくる。

さて、東京大大気海洋研究所と独立行政法人水産総合研究所センターの研究チームが、天然のニホンウナギの卵を採取することに初めて成功した報道があった。ウナギの生態は不明なことが多く、この成果により産卵の時期と位置を特定することにつながるようだ。

この研究の旗振り役が、30年以上、この研究に携わった塚本勝巳・東京大学教授という。一回の航海が数千万円もかかりながら、長年、成果が出ないため、博打うちや山師のように言われたようだ。

確かに、博打打ちも山師も、科学的根拠の無いやり方で成果は、その時任せ・運任せとなることがあるが、教授は、仮説手法を取り入れ、成果を手に入れられたようだ。ただ、それには長い過程があったようだ。91年には、仔魚(ウナギの赤ちゃん)の採取には成功したが、それ以後、進展がなかったという。

研究を援けてくれた右腕さえ、研究を中止しようと進言したが、先輩から受け継いだ研究だとして、受け付けなかったらしい。産卵場所を知りたいという子どものような気持ちを持ち続けたことを天は見放さなかったということだろうか。信念は、天をも動かすということだろうか。

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2011年2月 2日 (水)

年相応の服装

若い頃から、ファッションには、全く無関心だった。多くの女性の先輩たちから、若い娘たちは外見で判断するから、それなりのファッションは必要と言われたが、馬耳東風(笑)。それにサラリーマン時代は、スーツがあれば、十分と思っていた。

その後も、母からは、年相応の服装をしなさいと再三再四言われたが、あまり聞かなかった。母が、それなら私が見立てして買ってあげると言った時は、父が、怒り、本人に任せよと言って反対した。服ぐらい稼ぎもあるのだから、自分で買えというのが父の意向。仕事人間の父も、ファッションには晩年まで無関心だった。

確かに、仕事時間の多くはスーツだったし、遅く帰れば、私服が必要なのは、休日だけ。買い物に行くには、そんなに服装は構わないから、ほとんどファッションに無関心だった。ただ見合いの話が来た時は困った。

最初はスーツでもいいが、二回目に会うとなると、スーツでは盛り上がらない。それでも、大した服も買わず、見合いに臨んだが、今から考えると、相手は嫌そうにしていたようにも思う。もちろん、原因はそれだけではない。仕事以外のことは何も知らないから、若い娘さんには、苦痛だったのに違いない。

その後、私生活で色々あって、はじめて、百貨店のバーゲンで服を買うようになった。最初に買ったのがスーツ。それまでも、何着かは持っていたが、まともな物はなかった。そこでたまたま行った百貨店の紳士服バーゲン売り場で、三つ揃えのスーツを買った。

店のおばさん店員に見立ててもらって、一着一万円だったと思う。裾上げ、ネームなどを注文し、後日引き取ると、結構、物がよい割に安かったと気づいた。会社に着ていくと、えらいカネ回りがええやんとか、部長よりいいものを着ているなとからかわれた。

これで若干、ファッションには目覚めたかもしれない。人は、褒められると、その気になる。しばらくして、同じ百貨店で、初めてブレザーも二着も買った。でも、それ以来、全く、その類の服は買っていない。

再び、仕事人間に戻り、以前の、ファッション物くさ太郎に戻ってしまったのだ。その時買ったスーツもブレザーは今も、体型が変わらないので、着ることができる。スーツを着る機会は、ほとんどないが、ブレザーは冬の期間、未だ着用している。あれこれ、もう20年近くなる。

ただ、一着の方は、やや縮んでいるようなので、少し着にくい。重い腰を上げて、新しいブレザーを買おうかなと思っている。まず、タンスのほとんど着ることの無くなった不要のスーツを処分しよう。ただ、今の年齢に合った服装というものは、どういうものがマッチするのかわからない。

神戸に住んでいた時は、都市だから、変な服を着ても目立たないが、地方では、浮きあがって目立ってしまう。しかし、地方で定着している、あまり地味な物では、老けこんでしまうような気がする。どなたか、アドバイスしてくれないかな。目立たなくて、それなりに主張できる服装!

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2011年2月 1日 (火)

民衆が目覚めた中東のこれから

チュニジアに続き、エジプトが騒乱している。長期の独裁政権に対する反政府運動は、ある意味、中東の新しい時代の幕開けかもしれない。凡そ、民衆意識が高まるということは、政府の支配に対する不満と共に、自己の意識が高くなっている証拠だ。

もちろん、政府の対応を誤れば、国家は混乱するが、民主的な政府が生まれれば、それなりに意味がある。ただし、独裁政権から、民主化政権に移行するには、それなりの代償が必要かもしれない。

しかし、多くの国は、そういうプロセスを経て、国民国家が生まれていることから考えれば、中東の騒乱は、民主化のテイクオフのきっかけになると捉えることもできる。いずれ、北アフリカ、中東は、魅力的な新しい市場が形成されると考えれば、将来を見据えて、新たな人脈形成は怠ってはいけないだろう。

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