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2011年3月21日 (月)

求められる防災から減災への意識転換

かねてから、防災から減災への意識転換が必要と、防災専門家の河田恵昭(よしあき)氏(兵庫県にある「人と防災未来センター」長)は訴えられていた。阪神淡路大震災の後も、各種講演会で、そのことを強く主張されていた。氏は、巨大災害研究のスペシャリストとして、巨大災害への対応として、防災では自然災害に対応できないと考えておられたようだ。

流風も、過去に何回か氏の講演会を拝聴したが、そんなものかなというニュアンスの理解であったが、今回の東北関東大震災の実情を知って、氏の主張が正しいと証明されたと感じる。例えば、今回の震災で、海岸線の一般より倍の高い世界最大と言われた防潮堤は、住民をこれがあれば津波から防げると妙な安心感を感じたようだが、防潮堤は津波に見事に破壊されて、避難に遅れて、多くの死者を出している。

つまり、このような波に対抗する盾のような発想では、津波を処理できないということだろう。では、どういうことが考えられるのだろう。一般的には、波を弱めるには、消波ブロックとかが、ある程度効果を発揮するのだろうが、津波のようなものには対応しきれない。だが、盾のような防潮堤よりは有効かもしれない。素人考えでは、あるいは、隙間のある網のような堤が有効かもしれない。

また別の発想では、津波エネルギーを逆利用して制御できないだろうか。土木研究者は、欧米的自然と対決する発想ではなく、時として暴走する自然と共存しながら解決策を考えていくことが求められるような気がする。

それには、やはり自然の生態を、もっと深く洞察する必要があるのではないだろうか。そうすれば、防災から減災、そして災害を含めた自然との共存という考え方に至るかもしれない。そのためには、まず防災という言葉を捨てる必要があるだろう。

*追記

また災害の過去の歴史が、十分に研究されていない気がする。1933年に、今回と同じ被災地に、同様の大きな津波があったらしい。もちろん、そういうデータがあっても、対応を誤れば、今回のようになる。日本は古来から自然と共に歩んできた。だから、自然と対決する西欧的手法が、いつも通用するとは限らない。津波に限らず、水を制御することに頭を使ってきた先人のやり方をもっと研究してもいいのではないか。それが亡くなった方への弔いになるはずだ。

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