« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月30日 (土)

関西も節エネルギー

今回の福島原発の事故で、関西は、直接の影響は受けないが、意外と節電モードの人たちがいる。つまり関西電力の原子力発電の比率が、とても高いことがわかり、原子力発電所が事故を起こせば、東京電力以上に、関西経済が破壊されかねないと思う人が増えているのだ。

もちろん、電気を節約すること自体は、悪くない。電気産業界に煽られて、大体、電気を使い過ぎの傾向は関西も変わらない。電気の利用比率を落として、他のエネルギー源に切り替えることも求められる。今回は、一般家庭の節エネルギーの仕方を今更ながら、改めて整理してみた。主婦であれば、当たり前の知識であろうが、あくまで、流風の備忘録のため、記してみる。

まず家庭で、エネルギー源を電気のみに依存するのを、まず止める。流風は以前のブログで記したように、そうしている。それができていない家庭は、電気利用比率を下げる必要がある。そして、それぞれが独立した連動しない器具が必要だ(つまり電気制御しない機器を使わない)。その上で、電気、ガス、その他のエネルギーを上手に組み合わせる必要がある。例えば、冬の間は、ガスの使用を控え、夏は電気の使用を控える。

ところが、夏に使えるガス機器が意外と少ない。ガスクーラーも家庭で普及してもいいと思うのだが、価格が異常に高くて、全く普及していない。ガス機器業界の駄目ぶりが感じられる。なかなか、この点が難しい。ガス機器業界も頑張って欲しいものだ。

それでは、電気機器の節電から、記してみよう。電気機器で、消費電力の大きいものは、エアコン、冷蔵庫、照明、テレビの順らしい。これらで全体の半分以上を占める。エコポイント政策により、これらはかなり性能の高いものが普及した。この他にも、消費するものが多いものは、電気カーペット、温水便座、衣類乾燥機、食洗機、電気湯沸かしポット、掃除機等がある。

まず、エアコンは、夏に使用しないことが求められる。そのためには、住宅に在来工法の見直しが求められる。最近の密閉型空間では、エアコンは必需となり、使用しないということは難しい。

住宅の構造も、昔の家のように部屋の周辺に廊下を設けることだ。そのためには、余裕のある建坪でないと難しい。なかなか難しいことだが、全ての部屋をそのようにしなくても、南向きの部屋をそうすることで、ある程度、可能だ。また温度設定を夏は28度以上、冬は20度以下にすることで、ある程度、節電できる。そして、点け放しにしないこと。フィルターの掃除は、掃除機で月2回以上が望ましいらしい。

次に、冷蔵庫は、よく言われるように開閉を速やかにすること。また回数を減らすこと。そして、詰め過ぎないこと。どれも、あまり出来ていないなあ。それから、設置に関しては、それぞれ10センチ以上周囲を空けていること。

設定温度は、季節ごとに調整が必要だが、流風は冬の間だけ「弱」にして、その他シーズンは「中」にしている。それで問題はないようだ。最近の冷蔵庫は、自動で温度調節してくれる。

照明は、白熱電球の製造停止されたが、まず、それをLEDランプに切り替えた方が長寿命でいいという。但し、コストは高く、長時間、使用しない所は、電球が切れてからでいいだろう。蛍光灯のLEDへの切り替えは、今後の課題だ。器具メーカーにより、適切な器具の普及が進むだろう。今は器具も高いので、過渡期。

テレビは、デジタルテレビに、ほとんど切り替わった。但し、画面サイズの大型化は曲者で、消費電力が大きくなる。省エネ機能の高度化で、ある程度、解消できるが、部屋とあまり不釣り合いなサイズの選択は止めておいた方がいい。また待機電力の消費をなくすため、主電源を切るのがいいが、流風は、まだできていない。

その他では、電気カーペットは、一時間くらいつけて、温まったら切る習慣。あるいはタイマー設定。温水便座の便座は、できるだけ温める設定を止める。あるいは、使用ごとに蓋をする習慣の徹底。衣類乾燥機は、常用せず、できるだけ屋外で乾かす。

食洗機は、意外ときれいに洗われていない。またゴキブリの温床になりうるので、できるだけ使用しないことが求められる。使うのは非常時だけにする。電気湯沸かしポットは、意外と電気を食うので、使用はできるだけ止めた方がいい。

掃除機は、「弱」または「普通」を使用し、「強」にはしない。「強」が必要な時は、目づまりを起こしている時なので、内部の細かい清掃が大切。フローリングワイパー、箒の使用で、掃除機の使用を抑える。またパソコンも、使用しない時は、電源オフにして、待機電力消費を抑える。

次にガスの節約は、まず、ガスコンロの場合、最近、売られている熱効率の高いものに切り替える。鍋の底は、水滴を必ずふき取って煮る習慣の徹底。煮る時間を短くし、余熱料理を増やす。また短時間で調理できる鍋を使用したり、落としぶたを使う。

お湯を沸かすのはガスを使用し、電気湯沸かしポットを使わない方が省エネ。お茶などは、急須一杯分を、小さいポットで、必要な量だけ沸かす。大きい、薬缶は避ける。

風呂は、蓋をして、沸かす。沸いたら、すぐ入浴する習慣。つまり、できるだけ保温機能のスイッチはすぐ切り、追い焚き機能は使わない。シャワーは節水タイプのシャワーヘッド付きのものを使用する。

ストープは、自分で設定温度20度以下にし、温度計で監視する。部屋が温まったら、スイッチを切る。ファンヒーターは、温度設定が自動なので楽だが、電気制御で、電気代を結構、食うので、できるだけ使用しない。

いろいろあるなあ。できていることもあるけれど、できていないこともある。まあ、これから、ぼちぼち、やってみますわ。

*追記

また、ガスも電気も使用できない場合のことを考えて、石油ストーブ、火鉢などの用意も、できれば、したいものだ。その他にも、非常時に使えるローソクも有用だ。

| | コメント (0)

2011年4月29日 (金)

東日本大震災復興の行方(福島県除く)

家が津波で流されたり、福島原発の事故による放射線汚染等センセーショナルに報道された東日本大震災の全体像が、やっと客観的に報道されるようになった。これからは、復興についても、客観的事実に基づき、冷静に手を打っていく必要がある。

もちろん、優先順序を明確にして、メリハリはつける必要があるが、目先だけでなく、将来の危機を見据えた復興にしないと、意味はない。つまり震災は、これで終わったわけではない。今後、5年から10年、同程度の震災は起こりうると東西の学者は言っている。

中途半端に復興しても、今後も続くと言われる大災害に、またやられたら、同じことの繰り返しになる。それでは、亡くなった人々は、浮かばれない。復興の仕方は、あるべき姿について、納得が得られるように、地元との協議に十分時間をかけるべきだ。

さて、復興予算については、大体、前々から言っているように、大きく見過ぎているのは明らかだ。確かに、広範囲での災害だから、瓦礫の処理とかは、費用が、それ相応にかかるのは分かるし、福島原発の事故の処理は、一民間企業の事故とは言え、国も放置できないことは確かだ。

今回は、福島県を除く、岩手県、宮城県の復興の行方を見て行こう。まず、被災地の状況を見ていくと、前から分かっていたが、被災地は、沿岸部の漁業と、その加工業、農業の痛手が大きい。但し、国や県に占める経済面での金額的影響は、自動車関連を除けば、かなり小さい。よって、復興対策は、基本的に、人への支援と中小零細企業の再建支援としての金融支援を重点的にするべきだろう。それさえうまく回れば、復興の速度は早まる。

つまり、多くの零細業者の仕事を奪い、生活は壊されたから、仕事と生活の再建のバックアップには、国の支援が必要だ。だが、彼らの多くは地震保険に加入している人も多く、漁業共済、農業共済に加入しており(*注1)、経済状態は様々だ。その実態把握した上での支援が必要だ。国や地方のこれらの支援を受ければ、復興には、それほど時間はかからないとも思う。

結局、急がなければならないことは、経済活動のベースとなるように、瓦礫の処理と湾岸部の瓦礫の処理に尽きる(*注2)。ただ、急いで県外の業者を使えば、地元には金が落ちない。これらの処理を、現地の建設業者を使えば、金は確実に落ちるが、スピードは遅れる。その辺が、ジレンマであろう。

ただ、彼らの多くは農業との兼業だ。農業を休んでいる間、それで飯が食える。その点は、阪神淡路大震災のような都市型震災と大きく異なる。非常に有利な点だ。阪神淡路の大震災の場合は、瓦礫処理に応じる被災者は、あまりいなかったし(*注3)。、中小の建設業者も瓦礫処理が終われば、後の仕事は大手ゼネコンが握り、仕事がなくなり、経営悪化し、倒産した業者は多い。

その点では、今回は、瓦礫処理が終え、並行して塩害処理も進めば、数年後には、農業を再開できる可能性が高い。政府も塩害処理には、支援するようだから、将来は決して暗くない。それは漁業者も同様だ。そうだとすれば、地元の業者や失業者に仕事をさせれば、地元に金が落ちて、生活再建にも役立つ。ところが、それを急げば、県外の業者を招いて処理することになり、コストも余分にかかる。

課題としては、どれくらいの時間をかけるかということになる。瓦礫の処理を現地の人間が処理すれば、予想以上に時間がかかるかもしれない。その間、人材の流出の可能性もある。けれども、そんなに心配はいらないと思う。復興に伴い、人は戻ってくる。あるいは新しい人材がやってくる。

ただ、心配なのは、どうも政府には、3年で復興しなければ、という法律の縛りに捉われているのかもしれないが、10年くらいかけて、共災の街づくりということで、地元の人たちの理解が十分行き渡るように、じっくりと復興させるのがベターだろう。

それなら、やれ復興債だ、増税だということにはならなくて、公共投資は、毎年の一般予算の範囲内で傾斜配分で調整すれば、何とかなるはずだ。もちろん、国の厳しい財政状況は分かる。阪神淡路大震災の時より、財政状況は悪化している。一般予算さえ厳しいかもしれない。その場合は、一時的に所得税・法人税に上乗せさせる増税で賄う(3年間限定)のが一番合理的だろう(その場合は福島原発関係の処理コストを含めて、増税額が定まる)。

*注1

東日本大震災の状況を見ていくと、結構、保険の加入者が多いことだ。生命保険、損害保険等はもちろん、地震保険の加入者が、阪神淡路大震災に比べ、かなり多いことに驚く。地震保険は保険料が高いが、それだけ、備えがしっかりしているということかもしれない。

他方、高齢者の中には、経済的に厳しい方がおられる。避難所に残るのは、そういう人たちだろう。国としては、避難所の人がいなくなって、その後の生活にも目配りすることだろう。また避難所に居る限界は3カ月だろう。だが、地域性や被災者のわがままもあるだろうが、専門家たちが、コミュニティが大切だとか言って、仮設住宅の見通しを誤り、結局、彼らに長い避難所暮らしを強要させる結果になっている。これが正しい選択か、流風は強い疑義を感じざるを得ない。

*注2

ちなみに瓦礫の処理は、予想された通り、かなりのスピードで進んでいる。阪神淡路大震災と異なり、多くの建築物が流されており、改めて壊す必要のある建築物が少なかったことが大きい。

*注3

但し、阪神淡路大震災の場合は、止むを得なかった面もある。現場の仕事を紹介しても、被災者の中で、それを受けることはなく、敬遠された。それは被災者が事務系の人間が多かったから、現業系の仕事に申し込みしなかったからだ。その辺は、仕事のミスマッチが生じた。

*追記

また義援金の使い方にも工夫が求められる。義援金の集まり方は、阪神淡路大震災の時より、かなりいい。多分、世帯当たりの義援金の金額は、まずまずの金額になる。但し、各世帯に配分しても、その使い方に工夫がなければ、義援金は活きない。

生活費の補填に回すのもやむを得ないが、勤務先の企業の再建に回して投資して株主になるというのも、一つの方法として考える必要がある。中小零細企業は、少しの金でも入れば、回り出すこともある。経営者と従業員と一体になれば、企業の復興も可能となる。

| | コメント (0)

2011年4月27日 (水)

上司を使う

企業を始め、組織に属すると、部下と上司の関係が生じる。部下と上司の関係は微妙だ。部下は、上司を追い抜くか分からない。そういう上司の心理は、部下に対して反映される。そこで、ウマが合う部下、あるいは上司という関係が生じる。

流風も、現役時代、ウマが合う上司もいれば、顔も見たくない上司もいた。また部下も同様だ。その中で、今回は、部下の目線で記してみよう。

当時、流風が良い部下であったかどうかはわからない。多分、使いにくい部下であっただろうと察する。わがまま、言いたい放題。そういう流風でも、うまく使う上司もいたし、使えない上司もいた。

うまく使う上司の場合はいいが、使えない上司とは、度々反目状態。今から考えても嫌な上司だった。仕事は出鱈目だし、部下の仕事は横取りする、変な噂は流す、等、いろいろやられた。そういうことで、各種揉めていたら、ある人から酒の席で注意を受けた。

「流風君、上司はうまく使うものだよ」と。その人が言うには、「人は誰でも、長所もあれば欠点もある。それはお前もだ。それなら、相手の不足を補い、お前の不足を相手に助けてもらえばいい。上司は、誰でも、部下に頼りにされたいと思っている。そこがポイントだ」と。

それから、流風も少し改心して、行いを改めるようになったが、その上司とは、あまりよくない関係で終わった。それでほっとしたものだ。今から考えると、上司もほっとしたかもしれない。やはり、人間社会には、ウマが合う合わないということは、避けられないようだ。

それでも、その他の上司との付き合い方は、このアドバイスのお陰で、多少改善されたかもしれない。若い人も、これから色々あるだろうが、上司を使う発想は、今でも大事だと思う。

| | コメント (0)

2011年4月26日 (火)

過去を形で残すということ

東日本大震災で、流された被災地の捜索において、政府は、写真類は処分せずに残せという指示をしているのには、流風は、正直言って驚いた。流風には、父の教えもあり、そういうものを残す習慣もない。若い時は、学生時代の書籍類を処分せよと言われた時は、少し辛かったが、今では、それもありと思っている。

学生時代の書籍類は、後年、読み直すこともないし、過去を清算するという意味でも、軽くなる。知識は身につけば、学んだ書籍は、もう必要はない。ある意味、ゴミだ。それは写真も同様で、ある時点の印象を写真で残しても、それを保存しておく意味は薄い。だから、一定期間を経ると、整理している。

過去に過剰に思い出を残さず、前を見る。もちろん、時には、一時的に思い出も悪くない。ただ、新しい情報は、自分の持っている情報と組み合わせて消化しながら、新しい知見に高めつつ、古いものに拘らない。父の教えは、そういう所にあったと考えている。

そう考えれば、あまり過去のものを残すことに熱心になってはいけないだろう。ある人は、思い出というかもしれないが、それは歳が行った証拠だろう。新陳代謝を怠れば、若さを失う。あまり過剰に思い出に浸ることがないようにしたいものだ。

| | コメント (0)

2011年4月25日 (月)

今すぐに止めるべき原発リスト

東日本大地震による津波で破壊された福島原発により、今後、日本で、原発を推進することは難しくなる。それに原子力発電は、その建設コストや、発電利用後の使用済み核燃料という「ゴミ」処理を含めて、コスト的に合わないことは以前から指摘されていた。

今回の事故は、原子力発電そのものの価値を致命的に貶めた。毎年、かなりの量の「ゴミ」を発生させ、その処理に汲々としている。年々「ゴミ」としている累積していて、処理に困っているプルトニウム再利用も、難しいことも判明した。

強大な放射能を発し、「ゴミ」捨て場に困る原発は、地震が多く、国土の狭い日本では、最早、今後、推進することは不可能になるに違いない。それに、原発事故が生活環境を破壊し、領土を削り取ることが判明した。多くの原発は、時間をかけて、最終的に廃物処理せざるを得ない。

これは増税や電気料金の引き上げにより国民に大きな負担になるかもしれない(もちろん、その時は、東京電力の国有化は避けられない)。原発を推進した人々は、責任を取ってもらうしかないが、国民感情としては、多くの人々は刑に服すべきだろう。

また、エネルギー問題は、地球温暖化という環境問題以前の問題ということもわかった。エネルギー政策は大幅に見直されるざるを得ない(*注1)。それに加えて、地球温暖化という、あやふやな危機も見直されるだろう。

曖昧な理屈をつけた温暖化ということに疑念を持つ人は増えていくだろう。そして、石油や石炭の再評価がされる。その中で、環境に悪い影響を与えないな技術が、より尊重される方向に進むだろう。

もちろん、現状の原発を一度に全て止めることはできないかもしれない。現実的には、多くの火力発電所を再稼働させ、古い原子力発電所は一挙に廃炉を進めながら最終処理し、最終的には、化石燃料以外のエネルギー源も含めたものに切り替えていくのだろう。

それでは、本題に戻して、今回は、概ね世間が認める、今すぐ止めるべき原発リストを、備忘録的に記しておこう。

まず、40年程度経過している災害リスクの大きい初期の原発は、全て停止する必要があると専門家は指摘している。そもそも、米国の開発者自体が、欠陥原発と認めている危険なものなのだ。これは原発推進派と言われる人々も、廃炉について、そんなに意見は異ならない(*注2)

ところで、その危険な原子力発電とされるものは、1960年代に設計された「マークⅠ」型と呼ばれるものだ。原発は、それ以後、進化しているのだが、「マークⅠ」は、苛酷な炉心損傷事故に対応できない。原子炉格納容器が小さすぎることが問題のようだ。これは、「マークⅠ」型に限らず、加圧水型原子炉にも問題がある。

それでは、福島原発と同様、危険な原発がどこにあるかと言えば、次のようだ。

まず、現在、新聞等で騒いでいる中部電力の浜岡1号機と2号機(静岡県御前崎市)。現在、運転を終了し、廃炉措置中だ。3号機から5号機が稼働しており、6号機が計画中だ。6号機は延期したが、この辺は地盤弱く、仮に震災に耐えられても、太平洋岸に面しているため、津波の被災を受けるリスクは高く、福島原発と同様な事故が起こる危険性は高いと言われる。

もし、廃炉措置中のものも含めて、事故を起こせば、東京圏は甚大な被害を受けるらしい。福島原発の比ではないのだ。そうなれば、日本経済は、沈没すると予測されている。それほど影響力は大きい。ただ、これらの原発を全て廃炉するには、一応、民間企業である中部電力では経営面で、決断できない。となれば、国が決断しなければならない。それをどのように解決するのか、重い課題だ。

次に、敦賀1号機(福井県敦賀市)で、日本原子力発電が運営している。ここは、かつて事故隠しで有名になった所だ。その他にも、メンテナンスが出鱈目で、評判が極めて悪い。それなのに、2009年に延長認定が認められ、2016年まで、延長するという。リスクを内蔵した恐ろしい原発だろう。

島根1号機(島根県松江市)は、中国電力が運営している。現在停止中。ここもメンテナンスに問題が多い。定期的な点検をやっていないと疑われる。日本海に面しているため、津波リスクは小さいが、基本的に古い原発なので、即、廃炉にすべきだろう。

美浜1号機(福井県美浜町)は、関西電力が運営している。原発の寿命とされる40年をすでに過ぎており、早急に廃炉にする必要があるが、関西電力は代替原発ができない限り、廃炉しないとしている。しかし、福島原発の事故により、地元は新たな原発を建設することに反対の意向である。

関西電力は、原発の依存度が異常に高く、これを機会に、美浜1号機は早急に廃炉にして、原発依存度を下げる必要がある。それに、需要より過大に電力生産能力を維持しているため、新たに発電設備を作る必要はないとの指摘もある。それなら、余計に早く、廃炉にすべきだろう。

以上、全体を通してわかることは、どうも、どこの原発も、一般の企業では考えられないほど、メンテナンス状態が大変悪い。これでは、大事故でなくても、事故がいつ起こっても仕方ない。品質管理・品質保証の面で、企業運営のあり方が問われている。

なぜそうなるのだろう。まず経営者に危機感が足りないか、コストを優先して、メンテナンスを忌避しているかだろう。実は、原子力発電は、稼働すれば、国から利益を保証されている。経営者にとって、楽に利益を上げられる手段になっている。経営者が原子力発電を推進したくなる仕組みなのだ。

これでは、国民としては、本当に、原子力発電を電力会社に任せていいのだろうかと思いたくなる。国の仕組みも変更が求められる。自民党政権時代に国が作った変な仕組み(多分、米国が原発を日本に輸出しやすい環境を作ったのだろう)で、国民を傷つけ、国自身をも危機に追いやっている(*注3)。

*注1

また、今後のエネルギー政策は、基本的に、全国統一的なエネルギーでなく、地域に合致した地域分散化エネルギー開発が主体となっていくだろう。よって、電力供給における東日本と西日本のヘルツの違いは、課題にならないだろう。

*注2

学者の方も、薄々危険と感じても、発言できない雰囲気があったことは否めない。しかし、それでは、学者の本分を果たしていない。

*注3

原発事故処理について、菅政権を攻撃するのはお門違いということになる。菅政権の対応は、曲りなりに評価していいだろう。自衛隊を一気に10万人投入したのは正解だ(もちろん、福島原発に全員を投じたわけではない。東日本大震災に投じた人数)。

それを批判する人もいるが、逐次投入が一番いけないのは、第二次世界大戦で経験済み。仮に、東電と癒着していた自民党政権だったらと思うと、ぞっとする。多分、もっと混乱していただろう。自民党は、原発推進の責任を、どのように取るのだろう。責任は重い。国民は冷静に判断しなければならない。

*平成23年5月6日追記

菅直人首相が、すべての浜岡原発を止めるよう中部電力に要請。この判断は正しい。色々言う人がいるようだが、管首相ならではの判断と決断と思う。評価したい。

*平成24年6月30日追記

超党派の国会議員で作る「原発ゼロの会」が、即時、ただちに廃炉にすべき24基挙げている。

  敦賀1号 (福井県。直下活断層の可能性が大きい)

  美浜2号 (福井県。ECCS作動実績あり)

   1991年に、蒸気発生器事故で、緊急炉心冷却装置が国内で初めて作動。

  浜岡4号 (静岡県。東海地震震源域)

    浜岡3号 (静岡県。東海地震震源域)

  浜岡5号 (静岡県。東海地震震源域)

  柏崎刈羽4号 (新潟県。中越沖地震被災)

  柏崎刈羽2号 (新潟県。中越沖地震被災)

    敦賀2号 (福井県。直下活断層の可能性が大きい)

  柏崎刈羽3号 (新潟県。中越沖地震被災)

  東海第2 (茨城県。東日本大震災被災)

    女川1号 (宮城県。東日本大震災被災)

  柏崎刈羽6号 (新潟県。中越沖地震被災)

  柏崎刈羽1号 (新潟県。中越沖地震被災)

  福島第1-5号  (福島県。東日本大震災被災)

  柏崎刈羽5号 (新潟県。中越沖地震被災)

  柏崎刈羽7号 (新潟県。中越沖地震被災)

  女川2号  (宮城県。東日本大震災被災)

    福島第1-6号  (福島県。東日本大震災被災)

  福島第2-1号  (福島県。東日本大震災被災)

  福島第2-2号  (福島県。東日本大震災被災)

  福島第2-3号  (福島県。東日本大震災被災)

  福島第2-4号  (福島県。東日本大震災被災)

  女川3号  (宮城県。東日本大震災被災)

  東通1号  (青森県。東日本大震災被災)

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2011年4月24日 (日)

求められる電気で制御しないガス機器

家にあるガスファンヒーターは、電気により制御しているので、停電になれば、動かなくなるようになっている。ガスの風呂もそうだ。本当に、これでいいのか。電力会社の陰謀に乗った国策という意見もある。ただプロパンガス使用では、電気を使わないファンヒーターが売られている。なぜ都市ガス用はないのだろう。

結局、普通のガスストーブで、温度計とにらめっこしながら、使うしかないのか。ガス風呂も、昔のように、温度計を浴槽に入れて、適温を計るしかないか。あるいは、ガスコンロのように、電池で制御できないか。

ガス機器が電気と連動していれば、非常時に意味はなくなる。多様なエネルギー源を使った器具の必要性は強く感じるが、電気とつながっていては、仕方ない。国は規制を解除すべきだろう。またガス機器会社も、頑張って欲しいものだ。

| | コメント (0)

2011年4月23日 (土)

自転車のタイヤ交換

被災地では、自転車が活躍しているそうだ。場所を取らずに、物が運べる点がいい。細い路地でも、すっと通れる。渋滞もない。それにガソリンもいらない。流風は、今でも、車は持っていないので、よく馬鹿にされるが、今回のように被災地では、車も、ガソリンが無ければ走らない。

車を持たない理由を問われると、現在住んでいる所が、決して街中ではないが、田舎でもないということで、結構、公共交通機関が発達しているということがある。公共交通が発達していれば、車の必要性は特に感じない。電車とバスとタクシーを組み合わせれば、必要な時に、どこへでも行ける。それに車は仕事に使わなければ、金食い虫だ。

さて、そういうことで、公共交通機関にプラスして、よく利用するのが自転車だ。10年くらいに前に買った自転車のタイヤをパンクして修理を利用し続けていたが、先日、遂にタイヤが破れてしまって、止むなく交換した。

ミニサイクルなのだが、タイヤを交換して乗ると、こんなにスピードが出るのかと思うくらい、スムーズに走って結構楽。別に特に力を入れずとも、結構スピードが出る。長い間、力一杯漕いでも、スピードが出ないなあと思っていたことが解決。今まで、相当無理して使っていのかなあ。

それに自転車屋によると、自転車の本体は、最近の安物の輸入車と違って、大変しっかりしているので問題なしとのこと。タイヤさえ、定期的に交換すれば、ずっと使えそうだ。最近のような安物の自転車では、こうはいかないらしい。そして、パンクを修理すればいつまでも使えるという考えは改め、今後は定期的にタイヤを交換するとしよう。

| | コメント (0)

2011年4月22日 (金)

桜が、なかったら

  世の中に たえて桜の なかりせば

      春のこころは のどけからまし

         (『古今和歌集』在原業平)

どなたもご存じのこの和歌は、時代は変われど、皆、同じ思いだろう。冬には、もうすぐ桜が咲くということを聞くと、どこか気分が明るくなるし、咲いたら咲いたで、心は浮き浮きし、だが、散らずに、もう少し咲いていてくれという気持ちになる。

そして、春の雨風で、散り始めると、ああ、もう少し雨よ降らないでくれ、風が吹かないでくれという気持ちになる。ついに、連続して散り始めると、今年も桜の時期は終わってしまうのかと深い感慨にふける。

業平でなくても、多かれ少なかれ感じることだ。千年以上前に詠われた、この歌を越える歌は、流風的には、なかなか接しえない。日本人が、桜に対して、ずっと、そういう感性を持ち続けたということだろう。

梅や桃には、その花の特性から、そういう気持ちは起こらない。ぱっと咲いて、はらはらと散る桜ほど、これほど日本人の感性にマッチする花もないということだろう。桜を超える花が出現しない限り、業平の歌は、いつまでも、人々に共感を与え続ける。

*追記

歌の中の、「桜」を変えてみると、面白いと思い、学生時代に、古典の授業は聞かずに、よく試したものだ(笑)。例えば、「テスト」とか。字余り、字足らずで、「先生」とか「親」。

当時は思いつかなかったが、今だったら、どういう言葉をあてはめるだろうか。それぞれの立場で、答えは違ってくる。でも、今じゃ、当てはまるのは、「原発」がぴったりかも(苦笑)。

少し不便でも、原発はない方がいいかも。実際、無くても大丈夫という意見もある。狭い日本で、自然災害の地震や津波、台風が多いのだから、できるだけ原発は持たないに越したことはない。

少なくとも、平和利用という原発の裏に隠された意図である「核」を持つのは不穏当だろう。

| | コメント (0)

2011年4月20日 (水)

桜模様の錦の織物

近所の桜並木を歩いていると、先日の雷を伴う強風のためか、桜が散り始めて、花びらが積み重なり、絨毯のようになっている。まだ咲いている桜もあるが、終わりに近づいている。

さて、桜が散るのを惜しみつつ、それを感慨深く表現しているものに、源英明(みなもとのふさあきら)の詩がある。英明は宇多天皇の皇子の御子。

  花飛んで錦のごとし 幾くの濃粧ぞ

  織著るものは春の風 いまだ箱に畳まず

  始めて識んぬ 春の風の機上に 巧なることを

  ただ色を織るのみにあらず 芬芳をも織る

解釈としては、次のようになるだろうか。

「桜の花びらがひらひらと舞い飛び重ね錦のようになり、まるで化粧を重ねたようだ。そのように錦を織ったのは春の風だ。出来上がった錦は、箱の中に畳みこんだりせず、風に任せるままだ。この花の錦を見て、始めてわかったことがある。春風が、優れた機織りであることが。なぜなら、ただ目を楽しませてくれるだけでなく、芳しい匂いまでも織りこんでいるのですから」

なかなか繊細な女性のような感性だ。ただ、流風でも、落ちた桜の花びらを見ていると、何となく、わかりそうな気もします。ただ、英明の思いは、春が終わるのを懐かしみながら、案外、恋愛関係の終わった恋多き女性への想いと重ねているのかもしれない。そのように捉えると、未練を残すという意味で男性的な詩だ(笑)。

| | コメント (0)

2011年4月19日 (火)

瓦礫の中で住むのは、止めときなさい

阪神淡路大震災以後、親や多くの知人からは反対されたが、流風は瓦礫の町に住んだ。町は瓦礫の処理で、粉塵がもうもうとして、空はいつも曇っていた。確かに健康には良くないだろう。流風は、意地を張って少し悔やんだ。

今、東日本大震災では、阪神淡路大震災とは比べ物にならないくらい、瓦礫は多い。いずれ瓦礫の処理が始まれば、阪神淡路と同じような環境になる。できれば、そんな所に住んで欲しくない。一時的でも、瓦礫の処理が終わるまでは、他の地域に住まわれた方がいい。

いろんな事情で離れられない方は仕方ないのかもしれないが、多分、そういう環境では、仕事も十分こなせないはずだ。何回も言うようだが、早く土地を離れて、別の所に住まいされた方がいい。コミュニティなどに捉われず、新天地で暮らせばいい。普通の環境で、健康を維持することの方が大切だ。

阪神淡路の時と違い、被災者のバックアップは、どの自治体も熱心だし、ボランティアも支援している。日本では、誰もが、いつ、そういう環境になっても仕方ないと思い、痛みがわかる。経験的にも、瓦礫の中で暮らすのは避けた方がいいだろう。

*追記

どうしても、瓦礫の中で生活せざるを得ない方は、外出するために、防塵マスクの用意を多めにしておく必要がある。花粉症用の普通のマスクでも、ないよりましだけれど、防塵マスクの方がよりいい。

| | コメント (0)

2011年4月18日 (月)

『管子』の税のかけ方

いつの時代も、国は国民から税を集めて、政策を実行しようとする。そして、国民は税がかかるのを避けようとする。『管子』の中で、桓公が、管仲に税のかけ方を質問している。家屋にかけるとか、人頭にかけるとか、家畜にかけるとか、樹木にかけるとか、桓公は色々案を出すが、管仲は、悉く否定する。

つまり、人民は、税金を逃れるために、家屋を壊したり、家族に人数を誤魔化したり、家畜を殺したり、樹木を伐採したりすると。現実に、そこまでする人民もいないと思うが、あり得ないことでもない。今でも、税金を払うのを嫌う経営者は多い。言い分としては、どうせ国が無駄遣いするのに、何で税金を積極的に納める必要があろうかと。

管仲の時代は、まだ法治国家という段階でないので、そのようなことはあったかもしれないが、現代日本は、一応、法治国家。法律で決められたことは守らなければならないが、国の歳出について、厳しい法律が無いのも事実。歳出後の検証もなされていない。そう考えると、経営者の気持ちもわからないでもない。

さて、桓公と管仲の対話に戻すと、桓公は、「それでは、どのように課税すればいいのか」と問うと、管仲は、「鬼神にかけるべき」と言う。これに桓公は怒る。「この世のものでない鬼神」にどのようにしてかけるか」と。

管仲は次のように答える。

  厭宜、勢いに乗ずれば、事の利得らるるなり。

  計義、権によれば、事の囿大なり。

  王者は勢いに乗じ、聖人は幼に乗じ、物とみな宜し。

これは抽象的な答えだ。意味は、「世の中には理法があり、それにかなっていて、勢いに乗れば、うまく行きます。相談しながら十分策を立て、臨機に処置すれば、大きな成果を得られます。王者は勢いに乗り、聖人は物事の小さい段階で乗じ、よりよい成果を得ている」と。

具体的な例として、堯帝の今は亡き五人の功労者の祭祀を執り行い、春には、蘭を献じ、秋には菊を飾り、大小の魚の供え物をする。このようにすれば、魚の価格は値上がりし、税収は増えるに間違いないと。

これは現代にも示唆するものである。新税を作らなくても、現状の税制のままで、新たな社会文化を創造し、社会が新たな動きをすることにより、物が動き、結果的に税収が増えるというものであろう。さて、現代の為政者は、そういう工夫をしているのだろうか。

| | コメント (0)

2011年4月15日 (金)

過度な電気依存の見直し

電気業界の驕りの典型的なものが、オール電化の推進だろう。他のエネルギー認めず、独り占めしたいという意向が、オール電化だったのだろう。でも、国民にしても、一つのエネルギー源に依存することは、最も危険なやり方。

以前から、電気業者から、度々オール電化の売り込みがあったが、大きな費用がかかることもあるが、流風はずっと断ってきた。やはり、それは正解だったかもしれない。一つの籠に卵を盛ってはならないという教訓もある。

東京圏では、福島原発事故の結果、節電を強いられている。最初は計画停電なるものをやっていたが、とりあえず、それは止めにして、大口消費者には、強制的に節電を強要して法律で罰則を設けて取り締まるという。

でも、どこか変だ。そもそも電気に頼り過ぎた結果ではないか。原発事故が、それに警告を発した格好だ。子どもの頃、父がガスを引くということで、少し揉めた。ガス代は電気代に比して高い。

近所の人からも、お金持ちでもないのに、なぜガスをわざわざ引くのかと、少し皮肉を込めて、母が言われたらしい。しかし、父の方針は変わらなかった。父が言うには、夏は扇風機が無くても耐えられても、冬は、熱源が無いと困る。

また電気が停電になれば、竈で飯を焚くという選択もあるが、煙が出て、近所迷惑でもある。別の熱源として、ガスは必要ということだった。そのため、ガスは子どもの時から付き合いがあり、今もガスは引いている。

オール電化の話もあったが断ったのは、そういうこともある。今も、七輪も火鉢も、使うことはないが、一応置いている。たどんや炭も、少しだけだがある。父が残してくれたものだ。

電気の節電もいいが、別のエネルギー源を持つことも大切だ。冷房は、電気冷房だけでなく、ガス冷房もあるだろう。そして、熱源は季節により、ガスに適宜、使い分けることも有効だ。なぜ、そのことは誰も指摘しないのだろうか。

| | コメント (0)

2011年4月14日 (木)

オール関西で東北物産展を

大手スーパーが、関西の一部店舗で、東北物産展を開催していた。主たる被災県の岩手県、宮城県、福島県に加えて、青森県、秋田県、山形県の物産を加えて、販売していた。被災県の商品は必ずしも揃わないが、それでもいいと思う。これ企画自体はいいことだ。

こういう企画は、一企業に限らず、もっと関西全体の流通産業で手広く手掛けて欲しいものだ。百貨店なんて、馬鹿の一つ覚えのように、関西では、「北海道物産展」が多い(それだけ成果が上がりやすいこともあるのだろう)が、今後は定期的に「東北物産展」を催してもらいたものだ。

東北というと、東京圏に比して、関西には、どちらかというと、馴染みの少ない方だが、被災地で困難な祭り等の催しもやってほしい。関西は、これから各種夏祭りが開かれる。自粛ということで、中止するか実施するか、まだ迷っている「神戸まつり」も、最終的には、実施することで決まった(*参考)。そこで、東北の文化を紹介したり、物産を紹介するコーナーを設けて、支援すればいい。

他の地区でも、いろんな祭りがあるはずだから、それに東北支援を絡めればいい。別に特別なことをやらなくて言い訳だし、東北から参加する業者には、経費等の支援するぐらいはしてもいい。関西に居住する東北人や避難してきた人々に東北アピールの担い手として参加してもらうのもいいだろう。

関西のビジネスとしても、新たに東北との交流の仕組みが作られれば、それによって関西の経済も活性化に期待できる。お互いウィン-ウィンの関係になるような考え方で仕組んで欲しいものだ。

*参考

東日本大震災のため、神戸まつりも自粛すべきだという一部市民からの申し出で、中止か実施か、迷っていたようだが、最終的に実施と決まった。それでよかったと思う。サブタイトルを「東日本大地震被災地支援 神戸から愛と元気を」に変える。

開催は5月13日から5月15日まで。13日はKOBE合唱フェスティバル、14日が区まつり、15日がメインフェスティバル。支援内容は、ボランティアによる募金活動、宮城、岩手、福島の企業を招いた物産展、パレード参加者による応援メッセージとなるようだ。

最近は、行ったり行かなかったりの神戸まつりだが、今年は元市民として、見に行こうと思う。

| | コメント (0)

2011年4月13日 (水)

政・官・財・学の癒着が招いた大惨禍

福島原発の大惨事は、日本において、原子力発電推進における政界(自民党)・官界(経済産業省、エネルギー庁、原子力安全委員会)・財界(東京電力)・学会(東京大学)の癒着が生んだものだろう。彼らが危険リスクを長年にわたって蓋をしてきた結果が、福島原発の事故だ。

政治家は、電力会社から政治献金を受け、その難しさを何も理解せず(理解していたらとすれば最悪)原発を推進し、学会は、電力会社からから寄付講座という名目で多額の研究費を助成され、官界は、原発の知識がないから、その御用学者を受け入れ、官僚は電力会社に天下りし、この業界は抜き差しならぬドロドロの関係だ。電力会社の利益のために、多くの関係者を巻き込んだ結果が、被災者を塗炭の苦しみに追いやっている。

本来なら、お互いがチェックする立場にあるのに、なあなあで全てやってしまう馬鹿さ加減。学会や原子力安全委員会は、反対する者は、ある意味、粛清(左遷、冷や飯扱い)する。まあ、日本の学会は、多かれ少なかれ、そういう傾向があるが、これは発展途上国並み。こいつらがミスリードして、電力業界の原発推進を後押しし、今度の大事故だ。国によっては、全員、死刑だろう。

これまでも、原子力発電による事故は、かなりあったが、報道も、かなりの部分で蓋をされてきた。政治家を巻き込み、広告が欲しいマスコミに、対策として金が流れたとも言われる。今、自民党も、マスコミも偉そうに言うが、片棒を担いだのを忘れてもらっては困る。

結局、旧態依然の、そういう隠蔽主義が、大きな禍を生んだと言える。誰だって、絶対安全と思い込めば、思考停止し、新しい考え方は拒否するようになる。彼らの脳は死んでいたのだろう。そして、それは、彼らが自ら選択したものだ。

頭のよいと言われる最高学府の出身者の人たちが国を滅ぼしかねない。皮肉にも、彼らは、教養の無い、似非エリートだったのだ。彼らは、他の人々より、もっと謙虚になるべきだったのに、のぼせあがって、傲慢になり、ちょっと地域誌を調べればわかる津波の歴史さえも無視して、借り物の技術で、原発を建設した。

そして、今回、重大な事態になって、対処できなくて、その災害のレベルは、ついにチェルノブイリと同じ、レベル7と発表せざるを得なくなっている。それも原子力安全委員会は、もっと早く認識していたのに、隠そうとしたのではないか。それを保安院の役目とか言って逃げている。国民にとって、こんな無意味な組織、不要だろう。

日本では、彼ら公務員を死刑にはできないが、少なくとも、公職追放の処置は必要だろう。民間企業の電力会社の幹部たちや過去の経営者も、国民に懺悔が必要だろう。東京電力は最終的には解体せざるを得ないだろうが、彼ら経営者のために、一般国民は、大きな負担を負わせられようとしている。彼らは、いずれ株主や国民から訴訟されて、身ぐるみ引き剥がされて当然だろう。

今回の事故に関係ない、その他の電力会社の関係者の方たちも、襟を正して、あるべき政・官・民・学の関係に戻るべきだろう。そのためには、情報公開を徹底して、常に、お互いが、切磋琢磨して、チェックし続ける姿勢が求められる。

*参考 関連ニュース

    http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-000142015/1

*平成23年4月17日

推進派の学者たちは、今頃になって、謝罪しているが、反省なら猿でもできる。彼らのレベルは所詮、その程度なのだろう。本当の理解のためには、原発の現場に入って、実際、作業をすればいいいのだ。

| | コメント (0)

2011年4月12日 (火)

被災地の移動手段~パンクしない自転車

大阪市が被災地の移動手段として自転車がいいのではないかということで、放置自転車で引き取りの無いものを機能チェックして、被災地に送っていた。ただ、これ自体いいとは思うが、パンクすればどうするのだろう。道路状況は良くないと思う。パンクの修理は、部品さえあれば、素人でもできるが、被災地では、大変だろう。

他方、大阪府堺市の自転車製造卸協同組合が、先月23日に、会員の中で作られている「パンクしない自転車」を被災地仙台に送っていた。これは被災地にマッチングすると思う。確かに、タイヤの構造上、若干重くなるが、運転してしまえば、そうでもないだろう。あの電動アシスト自転車と同じ感じだ。

自転車は大量に物は運べないが、ちょっとした移動には、それなりに小回りも利くし、物も運べる。今後の災害支援の方法の一つとして注目される。被災地の状況にもよるが、もっと送られてもいいのではないか。また、そういうところに資金的に援助するため寄付するのもいいかもしれない。

| | コメント (0)

必要物資・支援要求マップ

twitterなど滅多に見ないのだが、今回の東日本大震災では注目された。流風も少しは気になる。以前、ちらっと寄った東北(岩手県)出身のniuさんのtwitterを拝見していたら、次のようなサイトが紹介されていた。

  「必要物資・支援要求マップ」  http://311help.com/

これを見ると、各地の避難所の必要物資が記載されている。連絡先もある。また、その時点で被災地トータルとして必要とされている物がすぐわかる。なるほどなあ。今はネットも回復しているからできる支援だ。未だに毛布やタオルを送っている自治体はないだろうが、被災地の望む物は、日々進化してくる。今後の災害にも活かせる手法だろう。物資以外の支援もね。

| | コメント (0)

2011年4月11日 (月)

被災者支援情報の隘路を防ぐには

国や地方が行っている被災者支援情報が、確実に被災者に伝わっていないことが判明しつつある。情報が市町村の役場で止まっているのだ。役所の担当者にすれば、手が回らないから、情報を被災者に回さないということらしい。

今回の震災で、どこかうまくいっていないというのは、遠くに居ても感じることがしばしばだ。東北の方は木訥で真面目なイメージがあるが、もしそうなら、緊急時には、それが逆目に出ている。

関西だったら、うるさ型の被災者が、もっと騒ぐだろうが、東北の方たちは、皆さん、お上の指示待ちで、大人しい感じがして、結局、大切な情報が行き届かなくて、多くの方が辛抱を強いられている感じだ。

これはもちろん、県によって差があるようで、特に岩手県、宮城県の方は割りを食っている感じがする。兵庫県内の無料公営住宅の支援でも、関西広域連合では、兵庫県は一応宮城県の担当なのに、4月7日までに入居した避難世帯は25世帯に過ぎない。提供予定戸数がたくさん余っているではないか(*注)。

ところが、、福島県の方は、原発事故という危機感から行動は速く、86世帯も入居されている。これは震災で被災された方より、情報が入手しやすかった事情が反映しているのだろう。彼らは、即時、無料公営住宅の自治体に直接申し込む素早さだ。

それにしても、この差は何か。確かに、遠方ということかもしれないが、福島県も宮城県も、遠方ということでは、そんなに変わらないだろう。なぜこんなことになったのだろう。

やはり被災者支援情報が地域により、的確に流れていないということを示すものだろう。平時と違い、役所も十分機能していない。そんな時に、同じような情報の流し方、すなわち役所の縦の流れだと、隘路ができると、そこで情報が止まってしまう。

被災者支援情報は、何も中間ルートを通す必要はなく、各支援自治体から、直接被災者あるいは避難所に伝えられるようにしないと、折角の国や地方の誠意が伝わらない。またネットなどの情報は被災者は入手できない「情断」状況なのだから、それに配慮して、非常時の情報伝達の仕組みを考えなければならないと思う。それは被災地に入って活動する情報ボランティアの育成・活用ということになるかもしれない。

*注

兵庫県の県営住宅は、最初、避難所からの受け入れを条件にしていたことも影響しているのかもしれない。現在は、直接受け入れに変更。

*追記

大体、避難所とか、仮設住宅より、公営住宅に住んだ方が人間的な生活が送れることは明らか。長期の避難所生活は、心身ともに疲れてくるし、仮設住宅は若い方はまだ可能としても、高齢者には長期には厳しい。

また若い世帯でも、仕事を持つ世帯主は被災地に残らざるを得ないかもしれないが、家族だけでも、公営住宅に入居した方が健康にいいことは明らか。家族が離れ離れになるという心配があるが、夫が単身赴任する逆バージョンと考えればいい。入居後も、受け入れ自治体はフォローしているから、そんなに後のことを悩む必要もないはずだ。阪神淡路大震災の時とは、大分事情が違う。

*平成23年4月12日追記

総務省が、4月25日までに、「全国避難者情報システム」を確立するとのこと。これで、どこに避難しても、被災地の支援を受けられる。但し、避難地域の自治体に、きちんと申し出ないと、システムから洩れるから、それは避難者自体が注意しなければ何にもならない。

| | コメント (0)

2011年4月10日 (日)

春夜の思い~良寛の詩から

  間庭百花発き

  餘香此の堂に入る

  相対して共に語る無く

  春夜夜将に央(なか)ばならんとす

                                       (良寛)

庭(友人の庄屋の庭)には、春になると一斉に花が咲く。夜には、月に照らされる花以外は、目に見えないが、家の中にも、微かだが、いろんな香りが入り混じり香って来て、楽しませてくれる。そして、気持ちも落ち着かせてくれる。

ただ春は長くはない。この一時を無駄にすることなく、前に居る友人とは、何の語らいもなく、心で楽しむうち、早いもので、もう深夜になろうとしている。

| | コメント (0)

2011年4月 9日 (土)

高齢者の被災者住宅の問題

東日本大地震で被災された高齢者の方が、避難所暮らしから、仮設住宅に入居したいと希望されている(*注1)。ただ建設地はなく、十分に建設できない。政府が建設業者に急かしても、建てる場所が無いということは、始めから分かっていたはずだ。

このブログでも、そのことを指摘し、民間賃貸住宅を国が借り上げて、そこに被災者の方を入れた方がいいと記した。被災地を離れると、二度と被災地に戻れないとか、愛着のある土地を離れたくないとか、代々受け継いできた土地を手放したくないとか、いう意見が出てくる(*注2)。

そういう気持ちは分かる。でも、今後、二度と、こんな災害を受けないためにも、後世にも、ここに住んでは危険だという経験が伝わるようにするためには、被災地を捨てて、新天地に移転することも大切だ。もちろん、それまでは、いろんな葛藤があると思う。すぐには決断できないかもしれない。

また、コミュニティの維持に捉われて、仮設住宅をこだわるのがいいのかは疑問が残る。阪神淡路大震災の場合は、仮設住宅への入居に関して、高齢者を優先したため、結果的にコミュニティが維持できず、多くの高齢者が亡くなったとされる。

確かに、病気持ちで自由が利かない場合は、気弱になる面もあるので、その場合は、コミュニティに属している方が安心感があるのも事実だ。そういう面もあるが、高齢者は、その人生の軌跡にもよるが、案外、孤独に強いものだ。

問題は、仮設住宅が住環境として望ましいかと言えば、高齢者には厳しいと思う。阪神淡路大震災で仮設住宅に入居して、多くの高齢者が亡くなったのは、むしろ、そのほうに原因があると思う(*注3)。一時避難所よりはましだが、あの生活環境は命を縮めかねない代物なのだ。いくら空調があったとしても、長期に人間の住む環境ではない。

それに東北は寒いし、なんとか夏場は過ごせても、冬場は難しい感じがする。仮設住宅は、仕事を抱えて、現地を離れられない人を中心に入居して、高齢者は、すぐ普通の生活が送れる借上げ賃貸住宅に住まれるようにするのがいいと思う。仮設住宅に捉われ過ぎないことだ。

高齢の住民の方々の気持ちは分かるが、当面は、どこか別の場所に賃貸で、まとまって移住する選択肢もあるはずだ。決断するためには、一旦、思い切って地元を離れて、別の土地で生活してみることだ。案外、生活しやすいかもしれない。住めば都なのだ。もちろん、仕事も確保できれば、それに越したことはない。新しい土地で、新しい未来を子どもたちのために築いて欲しい。

*注1

復興はライフラインの復旧から始まる。ライフラインの復旧も、比較的早く着手されている。但し、阪神淡路の場合は、電気の復旧は1週間ぐらいで早かった。電話も2週間くらい。ガス、水道の復旧は3か月かかった。

東日本大震災の復興スピードを見ていくと、福島原発関係を除けば、仮設住宅の建設にしても、取りかかるのは阪神淡路より断然早い(阪神淡路大震災の場合は、震災が起こってから二ヶ月後ぐらいだったと思う)。

*注2

問題は、公的賃貸住宅にしろ、民間賃貸住宅にしろ、あるいは親戚宅に避難している人も、被災地の自治体から、支援内容が適切にされるかということ。県外で避難先の支援は得られても、被災地の自治体からは何の連絡もないということもありうる。

政府は、岩手県、宮城県、福島県に対しては、支援内容を新聞で公告すると言っているが、それでは情報が得られない人々ができてくる。よって、被災者を受け入れている自治体が、被災者避難情報を的確に把握して、被災地の自治体に確実に連絡を入れ、情報を一元化することが避難被災者を救うことになる(神戸市では、避難者に呼び掛け、避難者名簿の作成を実施。兵庫県も、その方向で動いている)。

*注3

但し、現在の仮設住宅は、阪神淡路大震災の時の仮設住宅より、格段に品質がアップしているとのこと。

| | コメント (0)

2011年4月 8日 (金)

青柳の歌

  潭心に 月泛(うか)んで 枝を交ふる桂

    岸口に風来つて葉を混ずる 蘋(うきくさ)

                                            (菅原文時)

  青柳の 糸よりかくる 春しもぞ

    みだれて花は ほころびにける

                                           (紀貫之)

  春くれば しだり柳の まよふ糸の  

       いもが心に なりにけるかな

桜は満開だが、それも、もうすぐ終わるだろう。同時に注目されるのは柳の緑だ。川とか堀沿いに植えられた柳は風情がある。少し、やわやわとして頼りないが、柳に雪折れなしとも言う。柔かくしておれば、折れることもない。それは人も同じ。

上記に示した歌は、『和漢朗詠集』に掲載されてあるもの。解釈は、特に示さないが、三首目は、春になって、わが恋人が、柳の緑の糸のように心の乱れを心配している歌(笑)。そういうと、入学式のシーズン。春は新しい出会いがあるからね。若い人たちにとっては、楽しみな時期だ。青春を大いに楽しんでくだされ。

| | コメント (0)

独りよがりの食品援助物資

東日本大震災が起こって以来、各地から色んな援助物資が送られている。ところが、中には、本当に必要だろうかと思われるものが送られている。メーカーから送られる物には、単に在庫処分か、メーカーの商品をアピールしたいからではと疑いたくなる物も多い。

水とかトイレットペーパーのような日用品は、いくらあっても無駄にはならないが、食品に関しては、本当に被災地で役立つだろうかと思われるものがある。簡易食や菓子類等、あんなに偏った食品を摂取し続ければ、生活習慣病が心配される。

本当に必要なのは、健康に配慮された食品だろう。非常食というのは、3日が限度だ。無人島じゃあるまいし、そういう援助は迷惑ではないか。被災者のためになるものは、健康に配慮した弁当類だろう。今は物流も回復しているのだから、栄養管理士がチェックして、毎日メニューを変え、送り込めば、多少、嗜好の問題はあるかもしれないが、その方が役立つはずだ。

避難所で、ライフラインが整えば、もちろん、必要な物は違ってくるが、あまりにも避難所ニーズを無視した援助物資は、独りよがりなものということを理解し欲しい。何を送っていいか分からないのなら、義援金に回した方がいいのではないか。送り手の隠されたエゴは、望ましくない。

*追記

それでも阪神淡路大震災の時よりはましかもしれない。当時は、とても着られないような古着や賞味期限切れの食品等が送られてきた。今回も、各自治体に、そういうものが送られているようだが、自治体で仕分けの段階でストップがかかっている。少なくとも、現地には、そういうものは行っていないようだ。ところが、メーカーからの持ち込み品は、内容を吟味せずに送られているようだ。

| | コメント (0)

2011年4月 7日 (木)

複数の巨大災害対応で試された国家力

今回の東日本大地震は、非常に広範囲だが、その復興スピードは、阪神淡路大震災よりかなり早い(ただし、天災と人災の複合型の福島原発除く)。いろいろ批判される管直人首相だが、自衛隊の投入の決断は早かったし、自衛隊の方々は、大変だったと思うが、お陰で比較的早く復興が進んでいると思う(*注)。

阪神淡路大震災の時は、当時の首相が状況把握できなかったため、震災が起こってからの対応は、全く駄目だった。例えば、県の要請が無いと自衛隊の出動命令が出ないということで足止めされ、結局、多くの人が命を失った。平時の仕組みに捉われたからだ。平時と緊急時の対応が違うということができていなかった。

それに比べて、今回の政府の対応は、その反省が生き、正しい決断ができたようだ。もちろん、完全な対応ではなかったかもしれない。しかしながら、これだけ広範囲の災害で、原発の問題も重なり、どのような政権であっても、とても対応できる事象ではなかったと思う。

残念ながら、いかに、阪神淡路大震災以後、巨大災害に対応するような仕組みにしてきたとはいえ、今回は、その規模が大き過ぎる。いろいろ批判はあるかもしれないが、これは、ある意味、国家の力を試されている、大きな政治実験と捉えることもできる。

つまり巨大な災害が重なった時、国として緊急時の対応システムが機能するか試された。そして、結果的には、世界各国の協力を仰がなければ解決しないことも分かった。今後は、日本の強み、弱みを十分理解して、他国と組みながら、日本としてできる、国際貢献に、より力を入れなければならないということだろう。

*注

今回の自衛隊の働きは、素晴らしいし、国民が初めて、身近に、その存在感を感じたに違いない。隊員の方々は、疲労困憊ぎりぎりまで活動されている。ただ米軍の協力を得ないと、これほどの回復は無理だったのかもしれない。

そういう意味では、日米安保条約の実態を初めて目の当たりにしたと言うべきかもしれない。流風も、かつて日本が窮地に陥った時、米国は本当に援けてくれるのか、という疑念を持っていた。今回の大災害で米国の果たした役割は大きい。

ただ、日本は単独で国を守れないのかと思うと、忸怩たる思いもある。また、原発は事故を起こせば、手に余るものだということも明確になった。原発事故の処理にしても、日本だけで処理できなかった。

これが日本の限界ということなのだろうか。否、そうではなく、国際社会で、日本単独で生きていかれないということもはっきりしたということだろう。人は一人では生きていけないとは、よく言うが、国家も同様だ。

と考えると、やはり日本は、以前にも増して、いかに国際社会に貢献して、存在価値を高めていくかという視点を国民全体が再確認する意味では、いい機会であったのかもしれない。不幸を幸に転換させる発想が求められる。東日本の再生も、元に回復させるのではなくて、そういう視点が必要だ。

| | コメント (0)

2011年4月 6日 (水)

マスコミ災害報道の限界

東日本大震災の報道を視ていて、感じるのは、阪神淡路大震災の時と同じだということ。つまり、被災地の実情と報道のズレだ。まだ現地から報道しているテレビ等は、現地の状態を時事刻々と伝える感じもあるが、全てを伝えられるわけでもない。結局、テレビ受けのいいセンセーショナルな面を何回も流して、被災地の悲惨さを伝えることになる。

視聴者は、それがすべてと感じ取り、大変なことになったと思う。もちろん、大変なことは大変なのだが、一部にスポットが当たり過ぎて、全体像が理解されない。取材者も、たまたま出会った被災者に意見を求めたりするが、彼らに客観的な意見など求めようもない。結局は、感情的な意見になりがちだ。それを報道したところで、あまり価値はない。

新聞等の場合は、さらに遅れる。ずっと前に取材した物を10日とか二週間も過ぎてから記事として流すが、その時には、現地の事情は大きく変わっていることが多い。そういう報道はあまり価値はないが、その情報に基づき、テレビ等が、やたら騒ぎたてるからおかしくなりがちだ。現場は生ものなのだ。まだ週刊誌・経済誌の方が、生の報道は遅れるが、客観的に分析していることが多い。

今後、災害現場の生情報の流し方には工夫が求められる。緊急専用チャンネルも必要かもしれない。ミニFMも、その形態の一つであろうが、テレビや新聞の報道の在り方も、災害発生と同時に現地に、各社共同ミニ基地局を設置して、被災地の要所要所ごとに全社で2名程度常駐させ、情報の流し方を根本的に見直す必要があるのではないか。

つまり報道各社は、緊急対応の現地での活動の仕組みを考え直すべきと思うのだ。少なくとも、点の報道と、それらから全体像を把握する報道とが求められる。点の報道は各社単独では限界がある。いろんな媒体が協力して、災害の全体像を早期に把握するようにして欲しい。ただ全体像の把握・理解・分析は、各社それぞれでいいと思う。

*注記

上記の記事は、災害が起こってから2週間以内の報道についての話。それ以上になると、段々事実が判明していき、報道も現場とのズレが基本的には縮小していく(時々、それを過ぎても、頓珍漢な報道は散見されるが)。

| | コメント (0)

2011年4月 4日 (月)

『播磨国風土記』を読む その四 神功皇后

『播磨国風土記』で、度々、登場するのが神功皇后だ。彼女は十四代仲哀天皇の后だが、天皇より有名だ。この皇后は、とても男勝りだったようで、自ら戦場で走り回ったようだ。彼女が神話で語られるが、多分、実在の人物と思う。確かに、大げさには伝えられているが、一廉(ひとかど)の人物であったことは間違いなさそうだ。

そして、この『風土記』に、皇后のいろんな言い伝えが記されている。まず、先日のブログに示したように、流風は、そうは思わないが、彼女が、「播磨」という地名に絡んでいるという意見の根拠になっているもの。彼女は主として船で移動するのだが、度々、時化(しけ)に見舞われて、難渋している。その度に、明石や淡路の港に避難する。福泊(姫路市)にも風待ちのため避難し、入港すると、雲の間から晴れ間が見えたので、「おお、晴れ間なり」と仰ったというのだ。

そして、それが播磨の呼び名の元になったというのだが、後付けの感じが強くする。根拠としては、かなり薄いと思う。昔、子どもたちが、お婆さんに、色々尋ねても、分からないことは、適当に話を作るのと同じだ。もちろん、この言い伝えを全て否定することもできないが。

また彼女は、新羅征討の途上、時化に会い、宇頭川という所に泊まったが、海はなかなか静まらない。再度、出港しようとすると、また強い風が吹く。船はなかなか進まないので、民を徴用して、引っ張るよう言いつける。だが、そんなことは、土台無理なこと。そうすると、幼女を抱えた女が、人柱になると進み出て、海を鎮めたこともあったようだ。人柱と言う悲しい物語は、この頃から、あったようだ。

なかなか宇頭川から進めないことを指して、「宇須伎津」(姫路市網干、魚吹神社辺りと言われる)と呼ぶようになったという。現在の、たつの市の御津の謂われも、神功皇后の船が、停泊して宿にされた所から、名がついたという。

その他にも、印南(いなみ)の郡の謂われとして、天皇と后は、筑紫の熊襲を平定しようとする。その時に、途中、印南の浦に停泊される。ちょうど、その時、波が静かで、そこで「入り波」から印南の郡と名付けられたとか。

天皇が、亡くなられた時、墓石を求められ、石作連大来を率いて、讃岐の国に探しに行かれが、見つからず、こちらに来て、やっと伊保山にて、大来が見つけた。それで、見つけたという意味で、伊保山と言うようになったという。ここら辺は、「みほやま」が「いほやま」に替っている。

このように見ていくと、いずれにせよ、神功皇后は海の人のように感じられる。日本の各港に停泊しつつ、国内平定のために動きまわり、新羅征伐にも行くバイタリティー溢れる女性。現代のキャリアウーマンの先駆けなのだろう。今も昔も、日本は女性が開拓している。

そういうと、新しい時代を嗅ぎ取り、フットワーク宜しく、海外で活躍している女性は多い。まあ、せいぜい男は、その後姿を追いかけ、女性を神様に祭り上げて、その実権を奪うぐらいしかないのかな(笑)。男にも、それなりの役割もあるけどね。

| | コメント (0)

2011年4月 3日 (日)

義援金分配の対象

東日本大震災の義援金が、かなりのスピードで集まっているらしい。あのショッキングな映像を何回も見せられると、確かに、被害は甚大で、寄付したこともない人でも、少し寄付してみようかと思うだろう。確かに、今回の震災は、広範囲な被害状況になっている。

そして、日本人も、寄付に関して、若干、寛容になってきたと思う。親の世代は、寄付を忌避する傾向が強かった。自然災害に対しても、自己責任という感覚が強かった。せいぜい地域で助け合うぐらいで、後は親戚が被災した時は援助するという具合。だから、現在の寄付が増えているのを見ると、隔世の感がする。日本人も、国際化に伴い、意識の変化があるのだろう。

さて、先日のブログで、義援金の公平性について記したが、その時、被災者の方からのコメントに、義援金の対象の選び方に問題はないかというようなことが記してあった。確かに、今までは、大半が全壊・半壊の世帯にのみ義援金は支給されている(*注1)。

ところが被災者の状態は様々で、家の破壊の状態で、義援金の分配対象を決めていいのかという疑問はある。そもそも被災者の範囲が曖昧だ。一応、罹災証明を受けた者が被災者なのだろうが、その中で、家の罹災だけに、重点的に義援金を配分していいものか。被災者の状態を大きく分けると次のようかもしれない。

 一、家は全壊(または半壊)し、主たる収入源はある場合

 二、家は全壊(または半壊)し、主たる収入源を失った場合

 三、家は一部損壊だが、主たる収入源はある場合

 四、家は一部損壊だが、主たる収入源を失った場合

 五、家は賃貸だが、主たる収入源はある場合

 六、家は賃貸だが、主たる収入源を失った場合

一般には、一、二、にのみ義援金は支給される。四や六の場合も、支給されてもいいような感じがするが、そうすると範囲が広がり、一人当たりの支給額が大きく減少する。

基本的に、義援金は被災弱者に重点的に配分されるべきなのだろうが、上記区分でも、その実態把握は難しい。各個人の金融資産状況、損害保険加入状況、家族の生命保険加入状況、各種産業保険への加入状況によっても、事後の家庭経済は大きく違ってくるが、個人の情報は把握できない。

色々考えると、義援金の分配の対象の選定も、分配の方法も大変難しい。対象を広げてしまうと、一人当たりの義援金は大変少なくなり、結局、それは見舞い金程度のものになってしまう。そう考えれば、あまり義援金に期待させてはいけないのかもしれない。

何か別の仕組みが求められるような気がする。例えば、以前にも記したようにあらゆる自然災害に対して、全国住宅再建共済とか全国家財共済を創設し(*注2)、その基金に寄付を充てるようなことが考えられる。各災害ごとに寄付金を集め、義援金として、被災者に分配しても、成果は小さいように思う。一律の見舞金を被災者全員(亡くなった方含む)に配り、残りは基金に回す仕組みではいいのではないだろうか(*注3)。

*注1

全壊と半壊で支給金額が異なる。だが、全壊の場合は、国の方で全額、家の残骸(瓦礫)を処理され、半壊は実際、住み続けるのは難しいケースが多いから、自分で家を潰す費用を負担して、家を再建しなければならない矛盾がある。全壊、半壊の判定基準に問題がある。

*注2

掛け金は安くして、強制加入の方がいいが、最悪任意加入もありと考える。

*注3

見舞い金と基金に回す比率は、十分に検討されていい。今回は基金を創設するとしても、義援金の性格から、寄付者の意志を尊重して、岩手県、宮城県、福島県3県合同を対象とするものになるかもしれない。その他の県の被災者には、若干多めの見舞金というのがいいかもしれない。

| | コメント (0)

2011年4月 2日 (土)

自粛、自粛でいいのか

東日本大震災のため、全国でいろんな催しが中止されている。変な感じだ。東京圏は、東北出身者も多いだろうし、彼らの心情を慮って自粛ムードになるのかもしれない。更に節電を求められているから盛り上がりに欠けるかもしれない。

でも、西日本まで、真似することはなかろう。流風の近くでも、いろんな祭りが中止された。祭りで生活している人もいるのに、迷惑なことだろう。飲食業やサービス業は、大きな打撃を受け、景気の足を引っ張りかねない。

もちろん、被災者の方々の気持ちに配慮して、いろんな催しを中止するというのもわからないでもない。でも、、それは思い込みではなかろうか。あの阪神淡路大震災の時も、被災地以外では自粛していたのかは知らないが、被災者は、あまり他の地区のことは関心が無かったのも事実なのである。毎日の生活をどうするかということに注意が行き、他の地区が何をやっているか、関心が無かった。

いろんな催しや祭りが中止になるのは、恐らく、それらの催しに行政が関与しているからだろう。多分、上の意向が働いて、中止しているのだろう。それに被災地への応援に忙しいし、それどころではないというのは分かる。

それだったら、民間だけでやればいいと思うのだが、「お上」の意向を伺っている連中が、やる勇気がない。結果的に、世間に自粛ムードを作りだし、あらゆる催しが中止される。花見(観桜会)、結婚式、入学式、入社式、歓送迎会まで中止にする。これは行き過ぎではないだろうか。

別に被災地の人々は、支援して欲しい思っても、そんなことを望んでいないだろう。各種催しや祭だって、被災地応援に絡めたものにすればいいわけで、そうすれば義援金も集まるというもの。祭りなんて、そんな風にやってもいいのではないか。本当に自粛、自粛でいいのか。悪しき全体主義にならないようにしたいものだ。

*平成23年4月8日追記

被災地の宮城県知事より管直人首相に、自粛を止めるように要請されたとか。非被災地が元気を出さないと、状況はさらに悪化する。正しい見識と思う。でも、近くの役所では、まだ自粛の雰囲気は改まらない。困ったものだ。

| | コメント (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »