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2011年4月 3日 (日)

義援金分配の対象

東日本大震災の義援金が、かなりのスピードで集まっているらしい。あのショッキングな映像を何回も見せられると、確かに、被害は甚大で、寄付したこともない人でも、少し寄付してみようかと思うだろう。確かに、今回の震災は、広範囲な被害状況になっている。

そして、日本人も、寄付に関して、若干、寛容になってきたと思う。親の世代は、寄付を忌避する傾向が強かった。自然災害に対しても、自己責任という感覚が強かった。せいぜい地域で助け合うぐらいで、後は親戚が被災した時は援助するという具合。だから、現在の寄付が増えているのを見ると、隔世の感がする。日本人も、国際化に伴い、意識の変化があるのだろう。

さて、先日のブログで、義援金の公平性について記したが、その時、被災者の方からのコメントに、義援金の対象の選び方に問題はないかというようなことが記してあった。確かに、今までは、大半が全壊・半壊の世帯にのみ義援金は支給されている(*注1)。

ところが被災者の状態は様々で、家の破壊の状態で、義援金の分配対象を決めていいのかという疑問はある。そもそも被災者の範囲が曖昧だ。一応、罹災証明を受けた者が被災者なのだろうが、その中で、家の罹災だけに、重点的に義援金を配分していいものか。被災者の状態を大きく分けると次のようかもしれない。

 一、家は全壊(または半壊)し、主たる収入源はある場合

 二、家は全壊(または半壊)し、主たる収入源を失った場合

 三、家は一部損壊だが、主たる収入源はある場合

 四、家は一部損壊だが、主たる収入源を失った場合

 五、家は賃貸だが、主たる収入源はある場合

 六、家は賃貸だが、主たる収入源を失った場合

一般には、一、二、にのみ義援金は支給される。四や六の場合も、支給されてもいいような感じがするが、そうすると範囲が広がり、一人当たりの支給額が大きく減少する。

基本的に、義援金は被災弱者に重点的に配分されるべきなのだろうが、上記区分でも、その実態把握は難しい。各個人の金融資産状況、損害保険加入状況、家族の生命保険加入状況、各種産業保険への加入状況によっても、事後の家庭経済は大きく違ってくるが、個人の情報は把握できない。

色々考えると、義援金の分配の対象の選定も、分配の方法も大変難しい。対象を広げてしまうと、一人当たりの義援金は大変少なくなり、結局、それは見舞い金程度のものになってしまう。そう考えれば、あまり義援金に期待させてはいけないのかもしれない。

何か別の仕組みが求められるような気がする。例えば、以前にも記したようにあらゆる自然災害に対して、全国住宅再建共済とか全国家財共済を創設し(*注2)、その基金に寄付を充てるようなことが考えられる。各災害ごとに寄付金を集め、義援金として、被災者に分配しても、成果は小さいように思う。一律の見舞金を被災者全員(亡くなった方含む)に配り、残りは基金に回す仕組みではいいのではないだろうか(*注3)。

*注1

全壊と半壊で支給金額が異なる。だが、全壊の場合は、国の方で全額、家の残骸(瓦礫)を処理され、半壊は実際、住み続けるのは難しいケースが多いから、自分で家を潰す費用を負担して、家を再建しなければならない矛盾がある。全壊、半壊の判定基準に問題がある。

*注2

掛け金は安くして、強制加入の方がいいが、最悪任意加入もありと考える。

*注3

見舞い金と基金に回す比率は、十分に検討されていい。今回は基金を創設するとしても、義援金の性格から、寄付者の意志を尊重して、岩手県、宮城県、福島県3県合同を対象とするものになるかもしれない。その他の県の被災者には、若干多めの見舞金というのがいいかもしれない。

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