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2011年4月18日 (月)

『管子』の税のかけ方

いつの時代も、国は国民から税を集めて、政策を実行しようとする。そして、国民は税がかかるのを避けようとする。『管子』の中で、桓公が、管仲に税のかけ方を質問している。家屋にかけるとか、人頭にかけるとか、家畜にかけるとか、樹木にかけるとか、桓公は色々案を出すが、管仲は、悉く否定する。

つまり、人民は、税金を逃れるために、家屋を壊したり、家族に人数を誤魔化したり、家畜を殺したり、樹木を伐採したりすると。現実に、そこまでする人民もいないと思うが、あり得ないことでもない。今でも、税金を払うのを嫌う経営者は多い。言い分としては、どうせ国が無駄遣いするのに、何で税金を積極的に納める必要があろうかと。

管仲の時代は、まだ法治国家という段階でないので、そのようなことはあったかもしれないが、現代日本は、一応、法治国家。法律で決められたことは守らなければならないが、国の歳出について、厳しい法律が無いのも事実。歳出後の検証もなされていない。そう考えると、経営者の気持ちもわからないでもない。

さて、桓公と管仲の対話に戻すと、桓公は、「それでは、どのように課税すればいいのか」と問うと、管仲は、「鬼神にかけるべき」と言う。これに桓公は怒る。「この世のものでない鬼神」にどのようにしてかけるか」と。

管仲は次のように答える。

  厭宜、勢いに乗ずれば、事の利得らるるなり。

  計義、権によれば、事の囿大なり。

  王者は勢いに乗じ、聖人は幼に乗じ、物とみな宜し。

これは抽象的な答えだ。意味は、「世の中には理法があり、それにかなっていて、勢いに乗れば、うまく行きます。相談しながら十分策を立て、臨機に処置すれば、大きな成果を得られます。王者は勢いに乗り、聖人は物事の小さい段階で乗じ、よりよい成果を得ている」と。

具体的な例として、堯帝の今は亡き五人の功労者の祭祀を執り行い、春には、蘭を献じ、秋には菊を飾り、大小の魚の供え物をする。このようにすれば、魚の価格は値上がりし、税収は増えるに間違いないと。

これは現代にも示唆するものである。新税を作らなくても、現状の税制のままで、新たな社会文化を創造し、社会が新たな動きをすることにより、物が動き、結果的に税収が増えるというものであろう。さて、現代の為政者は、そういう工夫をしているのだろうか。

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