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2011年4月22日 (金)

桜が、なかったら

  世の中に たえて桜の なかりせば

      春のこころは のどけからまし

         (『古今和歌集』在原業平)

どなたもご存じのこの和歌は、時代は変われど、皆、同じ思いだろう。冬には、もうすぐ桜が咲くということを聞くと、どこか気分が明るくなるし、咲いたら咲いたで、心は浮き浮きし、だが、散らずに、もう少し咲いていてくれという気持ちになる。

そして、春の雨風で、散り始めると、ああ、もう少し雨よ降らないでくれ、風が吹かないでくれという気持ちになる。ついに、連続して散り始めると、今年も桜の時期は終わってしまうのかと深い感慨にふける。

業平でなくても、多かれ少なかれ感じることだ。千年以上前に詠われた、この歌を越える歌は、流風的には、なかなか接しえない。日本人が、桜に対して、ずっと、そういう感性を持ち続けたということだろう。

梅や桃には、その花の特性から、そういう気持ちは起こらない。ぱっと咲いて、はらはらと散る桜ほど、これほど日本人の感性にマッチする花もないということだろう。桜を超える花が出現しない限り、業平の歌は、いつまでも、人々に共感を与え続ける。

*追記

歌の中の、「桜」を変えてみると、面白いと思い、学生時代に、古典の授業は聞かずに、よく試したものだ(笑)。例えば、「テスト」とか。字余り、字足らずで、「先生」とか「親」。

当時は思いつかなかったが、今だったら、どういう言葉をあてはめるだろうか。それぞれの立場で、答えは違ってくる。でも、今じゃ、当てはまるのは、「原発」がぴったりかも(苦笑)。

少し不便でも、原発はない方がいいかも。実際、無くても大丈夫という意見もある。狭い日本で、自然災害の地震や津波、台風が多いのだから、できるだけ原発は持たないに越したことはない。

少なくとも、平和利用という原発の裏に隠された意図である「核」を持つのは不穏当だろう。

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