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2011年5月12日 (木)

生誕130年『松岡映丘』展を鑑賞

今年、生誕130年になるという松岡映丘の回顧展を開催しているというので、姫路市立美術館に行ってきた。昔にも、何かの催しで、鑑賞しに行ったが、確か誰かと共催だったと思うが、今回は映丘のみの展覧会であった。

彼は、八人兄弟で、兵庫県神崎郡福崎町生まれ。夭折した三人の兄を除いた他の兄弟には、医師の松岡鼎、国文学者の井上通泰(松岡泰蔵)、民俗学者の柳田国男、言語学者の松岡静雄がいる。それぞれが違う分野で、第一人者になったのは、凄いことだと思う。

映丘は、後、東京に行き、橋本雅邦に師事して、絵を学び、後、山名貫義に大和絵を習う。東京美術学校日本画科は首席で卒業している。その後、母校の助教授として教えている。

彼の初期の若い頃の作品は、王朝文化を、そのまま楽しんでいて、観る方も楽しい。例えば、『源氏物語』の「宇治十帖」の橋姫に題材をとった「宇治の宮の姫君たち」とか、「澪標」に題材をとった「住吉詣」、『今昔物語』から「伊衡の少将」など、明治から大正にかけて描かれたものだ。それらは純粋に楽しめる。

彼の絵は、基本的に鎌倉期の大和絵がベースなのだが、それに近代的な解釈を加えて、描くようになっている。そういうやり方には周囲との軋轢があったようだが、いつの時代にも、新しい取り組みには、大きな抵抗があるものだと思う。新境地を開くことに躊躇はなかった。それは後、「新興大和絵」の運動につながる。

残念ながら、流風には、普通の大和絵と新興大和絵がどう違うのか、明確には分かりかねる。ただ感じるのは、静の中の動かなという感じはある。特に人物像は、細部を見ていくと、その表現は細かい。そこには人物への映丘の意思が見て取れる。でも、意識しないと、それはわからない。

だから、ざっと見ていくと、見落としてしまう感じだ。なぜそれがわかったかというと、帰って図録を見ると、そんな感じがするのだ。彼が歳を取るにつれて、その感は強くなる。美術館では、余程注意しないと、わからない。それが映丘の何を意味することなのだろうか。

古典を題材にしながら、その切り口、解釈に深い意味を込めているのかもしれない。特に、晩年、とは言っても、彼は56歳までしか生きていないが、彼の描く題材は、悲劇のヒーローを描くことが多くなっている。

例えば、後鳥羽天皇、源実朝、平重衡、佐藤継信、源義経、楠正成等である。時代は、国に怪しい雰囲気が漂い始めた頃。芸術家の性として、何か悲劇的なものを感じ取ったのかもしれない。

あるいは、彼自身、多くの画家と同様、生命の危機が作風に影響を与えていた可能性もある。そういうところから出てくる無常観の表れかもしれない。それに反して、映丘は、本意か不本意かは、わかりかねるが、表舞台で、国を背負った画家として、活動せざるを得なかった。

それでも、表現の自由を許されなかった中で、苦心して少し自分の意思を反映させようとしたのかもしれない。表現の自由がある現代日本に感謝だ。だが、現代は、それだけ表現が直接的になり、芸術に深みが無くなっているのは、何たる皮肉か。彼の生涯と、その時代背景による表現の苦心を何となく感じてしまう展覧会であった。

*参考

姫路市立美術館での兵庫展は5月29日まで。なお島根展が、島根県立美術館で、2011年6月10日から7月18日まで、東京展が、練馬区立美術館で、2011年10月9日から11月23日まで、展示される。

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