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2011年5月 9日 (月)

黒田八虎の後藤又兵衛

今回は、「黒田八虎」の一人、後藤又兵衛を取り上げる。後藤又兵衛は、同じく姫路市山田町出身で、官兵衛が育てた。後、黒田官兵衛の息子、長政と折り合い悪く、黒田家を去り、大阪の陣で、豊臣方につき、戦死している。

長政と折り合いが悪かったのは、長政がお坊ちゃん育ちだから。それは武田勝頼と似ている。両方とも、親は、ユニークな考えの持ち主で、癖のある人材も使いこなすほど器が大きい。

それに対して、息子たちは、大事に育てられた平凡な人たち。無能ではないかもしれないが、優秀でもない。そういう人たちに、個性の強い人材は使いこなせない。彼らが発する少し嫌味な発言や行動に敵意を持ってしまう。

後藤又兵衛も、官兵衛に対しては、自由闊達に発言していたから、代が変わったからと言って、簡単にそれを変えられない。その辺が難しい所。上司が変われば、対応も変えなければならないのだろうが、そんなに器用に変えられない。それが戦国武将の彼の持ち味でもある。

また彼には、黒田家を去った後、彼を百人力と高く評価していた諸国から多くの誘いがあったが、それは断っている。それが黒田家に対する恩顧という思いがあったのかもしれない。世渡りが下手と言えばそうだが、それが武人というものだろう。

結局、黒田家は、大切な人材を失ってしまい、又兵衛にしても、不本意な人生を送らざるを得なかった。この辺の人生模様は、人間の哀しさであろう。今でも、トップの代替わりでちょっとした行き違いから人間関係が悪くなることがある。歴史に学びたいものだ。

*追記

この人間関係の難しさを解決するには、いろんなやり方がある。

まず、事業を将来継がそうとする子供たちには、他人の飯を食わして、従業員の気持ちを習得させる。次に、子供が事業を継ぐ場合は、古参の幹部には、全て引退してもらう。

というような手が打たれた例が多い。もちろん、これでも万全ではない。子供に経営するセンスが無ければ、事業を引き継がせてはならない。親ができて、子供ができるとは限らない。そこで、大阪船場では、従業員の中から優秀な者を選び、養子として迎え、事業を継がせるということがやられてきた。

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