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2011年5月 8日 (日)

黒田八虎の母里太兵衛

黒田官兵衛が黒田家草創期の頃、姫路時代の子飼いの家臣たち24人を「黒田二十四騎」と呼んだことは先日のブログで記した。その中でも、「黒田八虎」と呼ばれた人たちは出色の働きをしたらしい。黒田八虎とは、次の人々。

  黒田(利高)兵庫助

    黒田(利則)修理亮

  黒田(直之)図書助

  黒田(一成)三左衛門

  栗山(利安)四郎右衛門

  井上(元房)九郎右衛門

  母里(友信)太兵衛

    後藤又兵衛

残念ながら、流風に強い印象があるのは、母里太兵衛と後藤又兵衛ぐらい。今回は、母里太兵衛について、少し触れてみよう。彼は、姫路市飾磨区妻鹿(めが)の出身。名前からすると一族は出雲出身か。そして、母里(友信)太兵衛は、誰でも知ってる『黒田節』を生んだきっかけとなった人。

  酒は呑め呑め 呑むならば 日本(ひのもと)一のこの槍を

  呑み取るほどに 呑むならば これぞ真の黒田節

秀吉が朝鮮出兵した、文禄・慶長の役で、休戦中の時、太兵衛は、官兵衛の息子の長政の使者として、福島正則のもとに使わされる。そこで、酒論議となり、福島正則が、酒を勧めると、使者ということで一旦断る。

ところが、正則が、少し茶化し気味に、「黒田武士は酒が弱い」とからかうと、最初は使者の身ゆえ、遠慮していたが、もともと酒に自信のある太兵衛は、正則が秀吉から拝領した秘蔵の槍「日本号」を頂けるのなら、大杯の酒を数杯飲み干しましょうと言う。

正則も、行きがかり上、断ることもできず応じると、太兵衛は見事飲み干し、件の槍をせしめた話。酒の上の話とは言え、飲み干せば、槍をやるという約束を守った正則も偉いが、両者とも豪傑で、豪傑は豪傑を知るということか。

彼は、単に酒が強いだけでなく、戦場での働きも一番だった。それを正則も認めていて、自分より高く評価していたから、大事な槍を彼にやったのだろう。酒は単に口実で、始めから、やるつもりだったかもしれない。何かと脇の甘い正則だが、人間的にはわかりやすい。流風は、どちらの豪傑も大好きだ(*注)。

*注

ただ、次のような話も伝わる。福島正則は酒が覚めて起きると「日本号」がない。家臣に問うと、「酒宴の後で、殿が約束された通り、母里太兵衛殿が持ち帰られました」と。これにはびっくりして、太兵衛に返してくれと頼むも、「武士に二言はないはず」と返そうとしなかった。

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