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2011年5月31日 (火)

兼好の女性観

『徒然草』第百七段に、「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、良き程にする男は、有り難き物ぞ」と兼好法師は指摘している。要するに、「女が何か物を言いかけて来た時、その返事を、あまりうまくできる男はいないものだ」と言っているのだ。

ところが、あるテレビ番組を視ていると、プレイボーイの女性に対する適正な相槌の仕方は、「そうだね」、「わかるよ」、「その通り」だそうである。要するに、彼女の話を否定しないことのようだ。全て肯定し、聞いてやる。それが男女のよい関係を維持できる手段なそうだ。

それにしても、男女の思考差、行動差には、お互い戸惑うのは普通だろう。それは個人差ではなく、性差でもある。だが、度々、自分の見方で、相手の異性を見てしまう。そして、大いなる失望感に覆われる。まあ、人類は、そういうことを繰り返してきたのだろう。

ところで、この兼好法師、この後も延々、女性のことを、さんざんに非難している。彼も、女性で苦労したのかもしれない(笑)。引き続き、『徒然草』第百七段の一部を掲載してみる。

「かく、人に恥らるる女、いかばかりいみじき物ぞと思ふに、女の性は、皆僻めり。人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理知らず、ただ迷ひの方に心も速く移り、言葉も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言わず。用意有るかと見れば、またあさましき事まで、問はず語りに言い出だす。

深く謀り飾れる事は、男の知恵にも勝りたると思へば、その事、後より顕はるるを知らず。素直ならずして、拙き者は、女なり。その心に従いて、良く思はれんことは、心憂かるべし。然れば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女有らば、それは物疎く、凄まじかりなん」と。

何を言っているか解説すると、次のようになるかもしれない。

「彼女たちは、他人のアラ探しをして悦にいっているが、実際は、それに値する女性はいない。女の本質は、歪んでいる。自分に拘り、自分中心主義で、あれも、これも欲しがり、物事の道理を説いても、分かろうとしない。ただ現象に惑わされて心をいち早く動かしたり、言葉巧みで、肝心なことは聞かれても言わないのに、こちらが問うていないことも、ぺらぺらしゃべる。

そうかと言って、深い事実を覆い隠そうと嘘をつこうとするのは、男より勝っていると思うから、後から、多くの矛盾から事実が露見しても、本人はまるで気付いていない。素直でなく拙いのは女の性だ。そんな女によく思われようとするのは、本当に嫌だ。よって、女によく思われようとする必要は全くない。それは、仮に賢女であっても近寄りたくはないし、心は萎えていく」と。

兼好法師も大変だったんだね(笑)。こういう思いは、相手に期待し過ぎるからそうなる。男と女の思考回路は別のものと悟れば、問題がない。それが割り切れないから問題なのだけれど。

そして、兼好は次のようにも言う。「ただ、迷ひを主として、彼に従ふ時、優しくも、面白くも、覚ゆべき事なり」と。つまり、「男は女の色香に迷った時だけは、女に従い、その存在が、優しく、面白いものと錯覚するものだ」と。それは、そうだろうね。

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