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2011年5月 6日 (金)

官兵衛と黒田二十四騎

黒田官兵衛が黒田家草創期の頃、支えた24人を「黒田二十四騎」と呼んだ。そのメンバーと略歴は次の通りだ。

◎黒田(利高)兵庫助

官兵衛の同母弟。官兵衛の八歳下の弟。姫路城生まれ。小一郎と名乗る。官兵衛に従っていたが、官兵衛が秀吉に仕えた時、秀吉に仕えている。その時、兵庫助という官名を名乗る。各地を転戦して活躍。豊前入国後は、再び、黒田家に戻って、若くして中津城主になった長政の後見人になっている。人望があり、家中から慕われた。

◎黒田(利則)修理亮

官兵衛の異母弟(母は神吉氏)。官兵衛より十五歳下の弟。姫路生まれ。官兵衛が秀吉に仕えた時、秀吉・秀長に仕え、修理亮という官名を名乗る。官兵衛の豊前入りに伴い、黒田家に戻り家来になる。関ヶ原の役では、九州各地を転戦。官兵衛没後、菩提を弔うため、その画像を崇福寺に奉納。

◎黒田(直之)図書助

官兵衛の異母弟(母は母里氏)。官兵衛より十八歳下の弟。姫路生まれ。兄たちと同様、秀吉に仕えるが、後、黒田家に戻っている。図書助という官名は、官兵衛が亡くなってから名乗っている。官兵衛の影響でキリスト教に入信し、秀吉の禁教令以後も、最後まで信仰を貫いた。洗礼名は、ミゲル。

◎黒田(一成)三左衛門

官兵衛が有岡城に、謀反を起こした荒木村重を説得に行くが、逆に幽閉されていた時、看守であった彼の父が官兵衛を庇護。後、官兵衛は、その恩に報いるため、遺児の一成を引き取り、養子として迎えた。芸術的側面も有り、黒田長政騎馬図を製作した。

◎栗山(利安)四郎右衛門

姫路市栗山町生まれ。知恵も有り、実戦に強く、官兵衛にとって第一の家来。官兵衛は、四郎右衛門と何かと問題を起こす猪武者の母里を義兄弟にさせている。四郎右衛門は、度々、母里を諭しているが、仲はずっとよかった。有岡城に幽閉されていた官兵衛を母里と一緒に救出。官兵衛臨終の際、愛用の鎧兜を与えられ、長政の補佐役を託される。彼の息子は、後、黒田騒動の中心人物になる。

◎井上(元房)九郎右衛門

姫路市白浜町松原の生まれ。官兵衛の父、職隆、官兵衛、長政と三代に仕える。丈も低く非力であったが、知略を重んじる戦術家で、その才を官兵衛、長政に見込まれた。朝鮮の役で、戦功あり。

◎母里(友信)太兵衛

姫路市飾磨区妻鹿の出身の地侍。親は黒田家初代家老の曽我大隅守。官兵衛の、またいとこになる。一番の酒呑みで、大杯の酒を呑み干し、福島正則の秘蔵の槍をせしめ、民謡「黒田節」に歌い継がれている。

◎後藤又兵衛

姫路市山田町生まれ。官兵衛が養育。多くの戦功を挙げたが、官兵衛亡き後は、黒田家を去って、大坂の夏の陣で豊臣方について、戦死。

◎久野四兵衛

播磨国生まれ。父の代から、黒田家に仕え、官兵衛の小姓になり、後、秀吉の九州平定後、戦乱で荒廃した博多の復興に力を注ぐ。

◎野村太郎兵衛

母里(友信)太兵衛の弟で姫路生まれで、妻の姓を継ぐ。幼児から黒田家に仕え、九州の陣で活躍し、宇都宮鎮房を討伐に功を挙げる。朝鮮の役でも戦功。

◎桐山孫兵衛

元々は近江の国の人。後、播磨国に下り、黒田三代に仕える。官兵衛に従い、青山の合戦で初陣。朝鮮の役では、長政の下で高名を上げる。

◎吉田六郎太夫

姫路市八代の生まれで、官兵衛に仕える。彼の母は官兵衛の乳母。本姓は八代氏で、代々赤松家の家臣だった。官名は壱岐。二間半の槍を持ち歩き、多くの戦功を挙げた。備中高松城の水攻めでは、船の底に穴を開けて船をを沈めて、川をせき止める。

◎小河(おごう)伝右衛門

播磨国美囊郡の生まれと伝えられ、小城主の弟。小寺氏に仕えた後、官兵衛に従い、九州の役で高名を挙げる。その他にも各地で戦功あり。朝鮮の役の働きでは、小西行長から「日本一の勇士」と称賛される。

◎菅六之助

美作の出身。生まれは、たつの市新宮町。官名は和泉。幼時から黒田家に仕え、宮本武蔵の父に学んだ剣の達人だった。朝鮮の役では、虎を一刀のもとに切り伏せた。関ヶ原の役では、小早川秀秋の寝返りを画策する使者になった。

◎三宅山太夫

姫路市飾磨区三宅の生まれの地侍。官兵衛が、孫子の「不動如山」から名付け、三太夫名乗らせたという。官名は若狭。豪胆であったからという。後、黒田水軍を任される。

◎野口左助

加古川市野口町生まれ。父は教信寺の僧で、官兵衛の囲碁友達。母里(友信)太兵衛は義兄にあたる。官兵衛に仕え、佐用城や三木城攻めで功績。九州の陣や朝鮮の役でも活躍。

◎竹森新右衛門

姫路市上大野の生まれ。元々、豪農の出。姫路にやってきた黒田家を何かと支えた家柄。職人軍団を組織化。佐用城攻めで、城主兄弟を討ち取る働きをする。別府城の戦いで、左手を負傷し、官兵衛が気遣い、旗奉行に任じる。

◎益田与助

印南郡益田(加古川市東神吉町)の生まれ。貧農の出身。官兵衛の下僕であったが取り立てられ、後、数々の手柄を立てる。足軽の扱いがうまく、足軽大将にまでなった。生涯、律儀で正直者で通した。ただ文字が書けず、話し方も変わっていたので、出世の邪魔になっている。

◎林太郎右衛門

信濃国軽井沢の出身。本姓は松本氏。松本氏は、元々は武田家の家来であったが、長篠の役で大敗した後、播磨国に移り住み、次男の太郎右衛門は官兵衛に養育され、仕える。槍の達人で、朝鮮の役では、虎を突き殺し、講談「加藤清正の虎狩り」のモデルになった。関ヶ原の合戦では、長政に従軍し、戦功を上げる。兄がいたが能力が無く、後に福岡で、彼の家来になっている。

◎原弥左衛門

筑前国の名族宝珠山氏の支流出身で、本姓は原田氏。九州の陣後、秀吉の命により、官兵衛に仕える。九州の地理に明るい点が活用され、黒田軍を大いに救った。

◎堀平右衛門

播磨国の生まれ。農民出身のため姓はなかったが、官兵衛に仕えて、官兵衛の母親の明石氏の姓をもらっている。栗山備後の娘を妻に迎えている。長政の従卒から朝鮮出兵時に異例の抜擢で直参になった。朝鮮の役で、晋州(ちんじゅ)城の一番乗りになるなど、堀際での戦功が多かったため、それで堀姓に変えた。後に秋月藩の家老。領地経営の能力は高かったが、藩主から煙たがられる。

◎衣笠久右衛門

播磨国明石郡の生まれで小城主の弟。元々、小寺氏に仕え、明石郡端谷城主。後に与力として黒田家に属した。官兵衛が、小寺政職の遺児を呼び寄せる際には使者になった。朝鮮の役でも奮戦し、九州の陣で戦功あり。

◎毛屋主水

近江国神埼郡の出身。本姓は田原氏。柴田勝家、佐々成政などに仕えた後、長政に従う。戦争のプロで傭兵であった。気象状況や敵情の視察に優れていた。朝鮮の役で活躍。

◎村田兵助

姫路市井の口の生まれ。本姓は井口氏。姫路近郊の豪農の出身。ただ、がさつ者で周囲からは嫌われていたらしい。広峯神社の神主・井口太夫の甥。幼児から官兵衛に仕え、長政が信長の人質に送られた時、付きそう。

*注記

以上の内容は、以前に、どこかでもらった「黒田サミット実行委員会事務局」が作成されたパンフレットの内容を参考にした。

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