« 電子レンジ使用中止にする | トップページ | きつねうどんと落語『狐うどん』 »

2011年5月24日 (火)

播磨国荘園をめぐる遺産相続問題~冷泉家

冷泉家は、藤原道長の流れで、藤原俊成、定家、為家と続き、為家の子、為相の邸宅が冷泉通りにあったところから、そのように呼ばれるようになったそうである。そのいきさつは、結構ややこしく、為家が、宇都宮頼綱の娘を妻にして、為氏、為教をもうけるが、安嘉門院に仕えていた四条と言う女房に手を出したから、ややこしくなる。

彼女は、和歌に通じており美人であったらしく、ついついそのような関係になったようだ(彼女は、後、出家して阿仏尼と呼ばれるようになる)。そして、為相が生まれる。ここから問題が生じる。為家は、四条を殊の外愛していたらしく、遺言で、長男・為氏に与えていた播磨国にある荘園は全て為相に残すと言ったから、揉める原因になっている。

更に、和歌師範家としての家系である「御子左家(みこひだりけ)」までも、為相に渡そうとした。これに怒った為氏は、決して引き渡そうとしない。これは確かにおかしい。愛に溺れて、為家も、大きな判断ミスをしたものだ。こういう遺産相続問題は現代でもある。変な遺書は残さないことだ。

ついでに記すと、「御子左家」は、藤原道長の子の長家が、醍醐天皇の皇子の兼明親王の邸宅「御子左第」を伝領したことから、その名を受け継いでいる。特に俊成、定家、為家から和歌師範家の家系として、強調するようになったようだ。

その揉める原因になったのが、播磨国にある細川荘という荘園であった(現在の兵庫県三木市)。現在の三木市の三分の一を占める広さだ。為氏は、先に為家から与えられていた。それを阿仏尼が、遺言を理由に、引き渡しを求めたが、為氏が引き渡さないので、鎌倉幕府まで、訴えに行く。そのことは、阿仏尼が記した『十六夜日記』に詳しい。

だが、鎌倉では、為氏の母の親の宇都宮頼綱の勢力が強く、彼女の訴えは届かなかった。結局、「御子左家」は、為氏が継ぎ、為教は、京極家として、為相は、冷泉家というように、分派していく。しかしながら、阿仏尼の死後、鎌倉の勢力変更に伴い、彼女の希望通りになる。播磨国の荘園は、冷泉家の所有になる。

まあ、流風には全く関係ないけれど、ここら辺の人間模様は他人事で面白い。今回は、播磨に関係あるということで、一応記してみた。地域興しのネタとしては、少し弱いが、兵庫県も、折角、こういう歴史があるのだから、京都の冷泉家を招いて、いろいろ催しをやってみるのもいいかもしれない(*注)。

*注記

京都の冷泉家は、「上冷泉家」で、播磨国に居た冷泉家は、「下冷泉家」で、分家しているけれど、地域興しのネタで、別に分けることもない。

|

« 電子レンジ使用中止にする | トップページ | きつねうどんと落語『狐うどん』 »

姫路と播磨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 電子レンジ使用中止にする | トップページ | きつねうどんと落語『狐うどん』 »