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2011年6月 9日 (木)

『播磨国風土記』を読む その六 応神天皇

今回は、『播磨国風土記』に多くの記事がある応神天皇について、触れておこう。応神天皇は、仲哀天皇と神功皇后の間に生まれた。皇后は、身重を隠して、三韓征伐に赴き、その帰路の途中の筑紫で応神天皇を産んだ。彼は、後、15代天皇になる。仁徳天皇の父である。

ところで、仲哀天皇と神功皇后の夫婦仲は、どうであったかと思いをはせると、彼らは夫婦と言うより、同志としての結びつきが強かったのではと思われる。神功皇后の方が男勝りで、むしろ豪傑の感じがするのに対して、仲哀天皇は、やや頼りなく、彼女にリードされる感じがする。

それゆえ、政治問題では、多くを、武内宿禰と共に神功皇后に頼った可能性はある。もちろん、神功皇后は、それなりに仲哀天皇を愛していたが、仲哀天皇には、若干、頭が上がらないことについて、負担になっていたかもしれない。

そういう環境に育った応神天皇は、どちらに似たのだろうか。彼には異母兄がいたが、争って勝ち、兄を殺したことから禊を受けるために、高志前国(こしのまえのくに、現在の福井県)に行き、神のお告げで、名前を変える。その名前が、ホムダワケ(品陀和気命。品太天皇、ほむだのすめらみこと)という。

このホムダワケの名前が、『播磨国風土記』の随所に出てくるので、兄との争いに勝った後、播磨国に来たようだ。といっても、播磨国全てに巡幸したのではなく、餝磨郡(しかまぐん。現在の姫路市)、揖保郡(いぼぐん。現在のたつの市)中心に動いている。

それらの各所で、いろんな行いや現象が起こるたびに、地名になったという。まあ、これは、どの程度、真実かは、わからない。多分、国司あたりから、地名をつけよということになった折、そういうと、「ホムダワケ様が、巡回された事を聞いているから、古老に詳しく聞いてみる」ということになり、古老が、あることないこと、あるいは、昔から伝わっている話を、ホムダワケ様が仰ったことにしておこうとなり、そのまま地名になったと推定される。

もちろん、中には、ホムダワケの言葉や行動が、そのまま地名になったものがあることも否定はできない。彼は狩猟好きで、各所を回っているので、その間には、いろんな面白い話は発生した可能性がある。それに部下が尾ひれをつけて、面白おかしく伝えたものが、地域に残ったと考えられる。

地名とは、そういったものが多いのだろう。別に、この地区に限らず、古代から、全国で、そのような名前が付けられたのだろう。だが、播磨国には、あまりにもホムダワケが命名したものが多すぎる。人間、あちらこちら、うろうろしないといけませんなあ。まあ、流風がうろついても、地名には残りませんが(笑)。

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