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2011年6月 8日 (水)

完全な人を求めてはならない

政治の世界では、今、訳のわからない政権闘争をしている。同じ政党内で、気に食わない首相を引きずり降ろそうとする行為も、国民には理解しがたい。鳩山氏も小沢氏も、政権の意味を理解していない。首相を変えたら、自分に都合よくなるという幻想は捨てるべきだろう。今回も、菅首相のやり方を拙いと批判するが、批判する政治家も、評論家になってしまって、本来の役割を忘れている。

凡そ、完全な政策がないように、完全な人もいない。多くは、一長一短がある。リーダーの不足を補い、見えていないものは見えるようにし、聞こえていないことは聞こえるようにするのが、周辺や同志の役割だ。一番、いけないのが傍観者になって、リーダーのやることを批判することだ。

また、批判する外部関係者の内容については、彼らの立場を踏まえ、多面的、短期的・長期的に見て、精査しなければならない。ただ、一面的に批判を鵜呑みする政治家が多いのは残念なことだ。また逆に悪用しようとする輩が多いのは論外だ。

このようなことについて、徳川吉宗は、次のように語っている。

「全徳の人は得難し、一失あれば、一得あり、一善あれば、一過は許すべきなり」と。

次のリーダー選びが始まっているが、民主党内には適任者がいないという。ポスト菅は菅だと皮肉を言う人もいる(彼は、人相学的に見れば、人相が良く、再度、登板もありうる)。いずれにせよ、全ての人の期待に沿える完全な人はいない。今後、どのように次のリーダーが決められるかは分からないが、国民は過大な期待は禁物だ。

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