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2011年6月21日 (火)

他人の世話になるということ

他人に世話になるということを父は嫌った。流風にも、できるだけ他人には世話になるな、とよく言っていた。それには、まず、国の世話になるようなことはするなと。つまり国を煩わせることはやるなということ。それは、警察の世話になったり、救急車を呼んだり、生活保護を受けたりすること。

でも、人生何が起こるか分からない。父が言ったのは、できるだけ世話になるようなことはするなと言うことだろう。そのためには、君子、危うきに近寄らずだったり、健康管理を十分にし、生活設計をしっかりせよということだ。

ところで、この「世話」という文字は、「世」と「話」から成り立っている。「世」は一般的には、世の中とか社会の意味だが、30年とか、一代という意味を持つ。また人の一生という意味もある。「話」は、字面通り、言葉であり、また噂話という意味も含んでいる。流風は、合わせて、人生の話、転じて、相談に乗って、面倒を見るという意味が強いのではと感じる。

また、ラジオで、親切とお節介の境界がわからないとコマーシャルが打たれていたが、世話の意味には、親切とお節介も含まれているニュアンスがある。受け手により、親切と受け取られたり、お節介と受け取られたりする。

世話をするということは、人間社会のややこしいことを引き受けるということなのだろうか。でも、日本人は基本的に、第三者の世話は避けるようにしてきた。今回、大震災に際しては、多くの国々から支援を受けたが、日本人の心情としては、受けたくないけれど、止むを得なかった感じが強い。

他人の世話をしても、他人からの世話を受けないように努力する。そういう精神は、今後も、日本人として、持ち続けた方がいいのではなかろうか。

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