« 『老子』 第二章 存在たらしめるもの | トップページ | 低成長下の社会保障 »

2011年6月30日 (木)

『播磨国風土記』を読む その七 景行天皇の恋

『播磨国風土記』には、第12代景行天皇の恋が語られている。風土記では、大帯日子(おおたらしひこ)天皇とある。景行天皇の事は、あまり知らなくても、多くの方がヤマトタケルのことはご存じだろう。景行天皇は彼の父である。後、ヤマトタケルは、父と共に、大和朝廷に逆らう熊襲や蝦夷を平定する。

ヤマトタケルの母は、播磨(針間)の印南(いんなみ)の別嬢(わきいらつめ)だ。彼女の表記は、伊那毘能(稲日野)大郎女となっているものもある。彼女は播磨が生んだ唯一の皇后であると云われる。ただ、どういうわけか、皇后になっても、大和朝廷には入らず、氷の川(現在の兵庫県加古川市)周辺に住んだ。よってヤマトタケルも、播磨で育った可能性が高い。

それでは、景行天皇の恋の行方を以下に記してみよう。彼は、多くの天皇がそうであったように、狩りに出かける。そこで、印南別嬢を見染めるのだ。彼女は地方豪族の娘であっだろう(但し、大和朝廷の一族という説もある)。それで、すぐ求婚をするが、頑なに断られる。景行天皇のいろんな悪い噂を聞いていたのだろう。彼女は、多くの中の一人になりたくなかったのかもしれない。

しかしながら、断わられれば、余計に募る景行天皇の恋心。ついには三種の神器を持ち出し、それを身につけ、妻問いに向かう。一体どんな格好だったのだろう。八咫(やた)の剣を吊るした上結帯には八咫の勾玉をつけ、もう一本の帯の下結には、麻布都の鏡をつけてのことらしい。

更に、念には念を入れて、今回は仲人を立てる。賀毛郡の伊志治という者に仲介させているのだ。今は仲人なんて、結婚式でも立てないカップルも多いようだが、縁談は、当人同士が知り合いでも、仲介者を入れることで、話がまとまることが多い。

景行は、どうしても、一目惚れの印南別嬢を妻にしたかったようだ。彼は賀古の郡に向かう。ところが、世間知らずで、その高慢な態度から、船に乗せてもらえない。結局、冠についていた金飾りで、船賃代わりにし、ようやく乗船でき、播磨国の明石に着船。そこで腹ごしらえをして、まもなくして賀古の郡に着く。

それを察知した別嬢は、天皇が来ることを畏れ、逃げてしまう。天皇を拒み続けたから、すなわち、「否む」で、加古川平野一帯を印南野(いなみの)と呼ぶようになったと云う。彼女が逃れた所は、後年、南眦都麻(なびつま)と呼ばれる島だった(現在のどこかは不明)。妻(別嬢)が靡いたという意味だろう(ただ、風土記では、景行天皇が、印南別嬢が隠れた島として、「隠愛妻(なびはしつま)」と言ったことから南眦都麻嶋と名付けたとある)。

天皇は、別嬢が居ないと知って残念がる。なぜ私の気持ちを分かってくれないのか。ところが、そこに別嬢が飼っていた犬が残っており、それが島の向こうに、矢鱈、吠える。別嬢はなぜ、犬を残したのか。密かに急に逃げたため仕方なかったのか、あるいは犬は乗船できなかったのか。

いずれにせよ、これは飼い主が、島に逃げたのだなと分かって、別府港から島に渡り、別嬢に会う。これには別嬢も観念して、そこまで思ってくれるのならと、彼の思いを受ける。やはり女性は押しの一手ですなあ(笑)。男は想いを懸けたら命がけ。惹かれるのは、やはり男女の中に何かがあるのだろう。

最終的には、仲良く引き揚げ、二人の世界構築のため、播磨国内をあちこちを転々とする。まあ、新居の場所は大切。そして、結婚式を挙げ、初夜を迎えるのであった(但し、島から帰って来て、すぐ婚前交渉はあったと記されているので、あくまで儀式上のこと)。めでたし、めでたし。男女の恋は、遠い古代も、現代も変わらない。

|

« 『老子』 第二章 存在たらしめるもの | トップページ | 低成長下の社会保障 »

姫路と播磨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『老子』 第二章 存在たらしめるもの | トップページ | 低成長下の社会保障 »