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2011年6月15日 (水)

震災遺児と震災孤老への支援

東日本大震災の被災のレベルは、個々人の事情で様々であり、また、義援金の配布にしても、きめ細かな被災地の行政対応が望まれるが、どうも限界があるようだ。今後は、赤十字等への義援金も、いいのだが、もっと民間レベルで個別の支援が求められる。

例えば、東日本大震災で、残念なことに、多くの震災遺児がいる。現在、多くの支援が呼びかけられている。震災遺児の場合は、より長期の支援が求められる。少なくとも、彼らが成人するまでは、支援が必要だからだ。

だから一時期だけの支援金だけでは、心もとない。建築家の安藤忠雄さんが中心となり、「桃・柿育英会」という名称で、東日本大震災遺児育英資金を集められているものは、一年に一口一万円を10年間続けて寄付する人を集めるものだった。これは、長期に、震災遺児支援という意識を持ちながら、年間金額的負担も少なく、参加しやすいかもしれない。

また、神戸が発祥の「あしなが育英会」も、現地に同様の仕組みを作って、遺児の支援に乗り出しているし、毎日新聞社も、東北孤児募金として、「毎日希望奨学金」制度を創設していた。ただ、金銭的支援だけでは、心もとない。これらに加えて、孤独に陥らないように、精神的なケアをする仕組みも求められる。

震災孤児以外には、震災孤老への支援が求められる。震災時も、多くの高齢者は、諦めから助かろうとしなかった人が多くいるという。もう助からないというのと、もう、この辺でいいやという諦めが、そうさせたのであろう。忌まわしき大震災は、老後の人生を奪い取った。

仮に生き残っても、家族がいれば、まだいいが、なければ、無関心に放置される可能性もある。震災前から、独りで住んでいた人は、まだ耐えられるとしても、家族を失った孤老の存在は、あまり指摘されない。震災孤児と比べれば、これからの人とそうでない人の扱いは違うかもしれない。

現地の行政は、とても目配りできる状況になく、見捨てられる人々がいないか若干心配である。杞憂であればいいが。震災孤児と共に、経済的な困窮の場合は、生活保護ということも必要だが、高齢者には、むしろ心身への目配りが求められる。そこには、彼らを支援する団体への支援金が必要かもしれない。震災遺児と共に支援が求められる。

また震災遺児と震災孤老の交流の場も設定されるといいかもしれない。よく介護は、幼老一体で支援を、と提唱されるが、それに似ている。いずれにせよ、取り残された人々への支援は、国や行政ではなく、きめ細かな対応ができる民間で支援が必要と思う。流風としても、遅ればせながら、そちらに目を向けたい。

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