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2011年6月12日 (日)

「姫路ゆかたまつり」について

毎年、姫路市では、ゆかたまつりが、6月22日、23日、24日に催される(雨天中止)。現在は、全国各地で、催されているようだが、元祖は、姫路ゆかたまつりだ。ご存じない方に、簡単に紹介しておこう(*注1)。

開催日は固定されていて、どこかの祭りのように、商売優先で、土日にずらしたりはしない。それには訳がある。そもそも、このまつりが始まったきっかけは、江戸時代中期、徳川吉宗が将軍であった時である。

幕府は、財政厳しき折、全国に倹約令を通達する。それに反発したのが、当時の姫路城城主、榊原政岑(まさみね)。それは尾張の殿様と同じ。彼は倹約令を無視し、金は天下の回り物という感じで、豪遊する。吉原で遊興三昧。そして、三浦屋の高尾大夫を、とんでもない金子で身請けする。その他にも、警備に派手な衣装を着せたりする。

このようにして、お金を使いまくったらしい。ということで、風流大名と称せられた。さすがに、正面切って、馬鹿殿様とは言わなかったようだ。しかし、幕府も黙って見逃すはずはなく、ついに、蟄居、転封を命ずる。それに姫路藩は、幕府にとって要所。幕閣は苦り切っていたに違いない。

吉宗の言うような極端な倹約は、経済を不活性にするが、極端な浪費は、これまた藩の経営を自らを苦しくする。当時、幕府も極端、政岑も極端。これでは、お互い、うまくは行かない。

結局、倹約は必要だが、それとは別に新しい経済活性化をして、新しい産業を育成したり、直轄事業を通じて、収入源を作らなければならない。それには民衆のやる気を引き出す施策も必要だ。それが正論だろう。

さて、その政岑、転封前に、長壁(おさかべ)神社(*注2)は、姫山にある姫路城内にあり、武士以外は参拝できないのは、何とかならないのかと考えていた。というのも、昔は、秀吉や池田輝政が姫山に姫路城を築城する前は、長壁神社は、庶民も参拝できた。

ところが、長壁神社は、城内にあり、参拝は武士しかできない。それを彼は、庶民も、昔のようにできることを考えた。そこで、長壁神社を城外の長源寺境内に移設し、庶民も参拝できるように取り計った。

しかし、格式が上がってしまった神社に、庶民は、式服など持っていないから、実際、参拝はできないと言う。それを聞いた、この殿様は、「よし、それなら浴衣で行ってもいい」と許可した。これは、身請けした高尾大夫の入れ知恵があったとされる。まあ、殿さまの助べえ心が働いた結果と言う人もいる(*注3)。

というのは、今は、浴衣で、大手を振って、町中を歩けるが、当時は、下着の一種。そんな恰好で、町内を歩くことは、はしたないとされた。それを殿さまから公認で許されたのだから、庶民は大変喜んだ。現代で言えば、サンバで、裸に近い格好で、女性が練り歩くようなもの。庶民が喜ばないはずがない。そのまつりが、6月22日に始まったとされることから、毎年、この日を始めとして催されるようになったらしい。

幕府にとっては、頭の痛い殿様だったかもしれないが、庶民的な発想ができる人でもあったようだ。そういう偉い人の気まぐれは、時として、庶民に歓迎される。そして、それが今まで、ずっと続いてるのは凄いと思う。まあ、浴衣姿の女性は、今でも、それなりにお色気感じますからね。さあ、貴女も、浴衣姿で是非(笑)。

*注1   姫路ゆかたまつり (雨天中止)

   6月22日 16:30スタート

   6月23日、24日 18:00スタート

場所は、本来、長壁神社のまつりであるが、但し、現在、祭神は天守閣最上階にある(後年、祟りを恐れて、姫路城に戻されたらしい)。今は、姫路城の改修工事のため、行くことはできない。まつり自体は、竪町にある長壁神社や大手前公園等で、各種催しがある。

このまつりには、浴衣で参加すると、様々な特典がある。例えば、姫路市内の文化施設の入場料が無料になる。姫路城、好古園、市立美術館、動物園、姫路文学館、県立歴史博物館。その他では、パスが半額になったり、映画館の入場料が割引になったりする。

*注2   長壁神社について

第49代 光仁天皇の皇子、刑部親王(他戸親王とも)と、娘の富姫が、姫山にある長壁神社(姫路城天守閣最上階)に祀られている。富姫は、幼いころから、姫山に住んでいた。富姫については、泉鏡花が、『天守物語』の題材にしている。

少し、妄想が過ぎている表現になっているが、伝説をベースにしている。それは、そもそも刑部親王が、菅原道真の話と少し似ているが、藤原百川の讒訴で、親王を廃されたことから、その恨みが、姫山に籠っているという発想からだろう。

鏡花は、姫路城に恨みが籠って、親王の代わりに姫を鬼にしている(ただし、これは江戸時代の書籍をベースにしている)。そして、そのような存在があると思うことが、為政者の監視役になったと理解していたのかもしれない。権力者にも、怖い存在は必要だと感じていたのだろう。

*注3

ただし、これらの一連の話は、伝承であり、話としては面白いのだが、根拠が明確ではない。ただ、夏になる衣替えの意味があり、夏を告げる祭りではあったようだ。ちなみに、6月22日は夏至だ(だから、陰暦では、違う日に催され、多分、それを太陽暦に換算した)。そういうことも多分、考慮に入れてある。更に時代が進むにつれて、話が広がって、その持つ意味は変わって行った可能性はある。多くの露店が並ぶ大掛かりな形は、戦後始まったようである。

*追記

例年700店舗の露店が並んでいたが、平成26年の姫路ゆかたまつりから、諸般の事情で、それが大幅に縮小される。本来の祭の形に戻るとも考えられるが、幾分寂しい。

*2016年3月1日追記

2016年3月19日、20日に、兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールで、『歌劇 天守物語』が催される。泉鏡花の作品が、オペラになると、どうなるのだろうか。ただ、この作品は、話の筋からして歌劇にしやすいかも。

天守夫人・富姫には、角野圭奈子、佐藤路子、姫川図書之助には、中鉢聡、迎肇聡、各氏が演じる。姫路市民としては関心がある。まず、『天守物語』を再読してみようかな。

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