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2011年7月23日 (土)

謡曲『鵜飼』~殺生戒

    淀河の底の深きに鮎の子の

  鵜という鳥に背中食われて

  きりきりめく 憐しや

                           (梁塵秘抄)

京都では、若い女性(主婦)の鵜匠がいると、紹介されていた。最近は、女性の釣りファンも多いから、ついに、そういう分野にもという感はある。日本の伝統的文化の維持というより、鵜という鳥を養うことを楽しみ、鵜飼自体をスポーツ感覚で取り組んでいるように思う。古い囚われには抵抗がないのだろう。

それはそれとして、人間は何かを犠牲にして生を維持している。しかし、かつては仏教では、殺生戒と言って、その罪は重かった。その仕事をする人にも厳しかった。そういうものを題材にした謡曲に『鵜飼』がある。現在は、僧侶も妻帯し、肉食、魚も食している人たちも多い。そして、一般人の誰もが仏教徒ではあっても、戒律を意識することなく、肉食、魚食をしている。

そのように現在の日本は、食の哲学も薄れ、飽食の時代と言われて久しいが、昔の人々は日常的に食うのにも貧しかった。この謡曲の時代は、貧しく、食べるのもままならない時代背景がある。そういった中でも、厳しい戒律。人間は極限まで行けば、どうなるのか。

謡曲のあらすじは、甲斐の国に行脚に出かけた安房の清澄の僧(実際は日蓮)が石和川に行くが、旅人を泊めるのは禁制と言うことで難渋し、川岸の御堂を紹介されて、行って入ってみると、鵜飼の老人が後で、鵜を休めにやってくる。

僧が、そういう殺生を止めるように言うと、それはできないという。まあ、いきなり、人の家に上がり込んで、説教するのもどうかと思う。現代でも、教養人と言うか、自尊心の高い奴らがやりそうなことだ。

その老人を見て、従僧が、この鵜飼(鵜匠)は見たことがあるし、かつて泊めてもらった人ではないかと僧に言う。そこで、初めて気づいて、あの時は世話になったと言うと、鵜飼は禁漁地区に入って漁をしたため、殺されて、今は亡者だと明かす。鵜飼は、お詫びのため、鵜飼の様子を見せ消え失せる。

  面白の有様や。底にも見ゆる篝火に。

  驚く魚を追い廻し、潜き上げ抄ひ上げ。

  隙なく魚を食う時は、罪も報いも、

  後の世も忘れ果てて、面白や。

  みなぎる水の淀ならば、生簀の鯉や上らん

  玉島川にあらねども、

  小鮎さばしるせせらぎに、

  かだみて魚はよもためじ。

魚取りは確かに面白い。それに嵌ってしまうと、殺生戒など忘れてしまって、後のことなど考えないと言っているが、魚と駆け引きしながら、漁をする楽しみは、そうしたものだろう。人間は、そのようにして、知らず知らず罪を犯していると言うことだろうか。

現代で言えば、それグルメだ、なんとかだと言って、いろんなものを食い散らすのと似ている。最近、インドでも、宴会等で余り物が多く捨てられることが問題になった。たくさんの貧しい人がいるのに、多くの無駄がされている。日本も、かつて、それが問題になった。

また、脱線してしまった。話を戻すと、そこで、僧は、所の者から詳しい事情を聞き、地獄で苦しむ鵜飼を哀れみ、法華経を一石一字毎、記し、川に沈め、鵜飼を供養する。そうすると、閻魔大王が現れ、かつて鵜飼が、僧を泊めていたことを評価し、殺生の罪を赦し、地獄から極楽に送ることを告げ、法華経の有難さを讃えるというもの。

これには、時代背景がある。男尊女卑、仕事に拠る身分階級社会。それを乗り越えるには、法華経が必要とされたということ。親鸞は、ある意味、当時の仏教界において、マーケティングがうまかったと言える。これは戒律の厳しいユダヤ教が、女性に辛かったので、キリスト教は、そこを突いて女性に甘くし、多くの女性に支持された状況と少し似ている。

なお、この謡曲の場合は、鵜飼が、鵜を使って魚を取るという罪と、禁漁区で魚を取った罪が重なっているのだが、僧に宿泊場所を提供したという一つのよい行為だけで、救われるとしている。すなわち、罪深い人たちも、一つのよい行いで救済されるということのようだ。

でも、この謡曲が伝えたかったのは、それだけだろうか。人間が食にも困る状況の極限で、守るべき戒律の中で、どのような判断をすべきかを問うているのではないか。それは鵜飼と言うより、僧自身が問われているのだろう。否、私達全てに問われているのかもしれない。

戦時中、東南アジアの戦場では、生きるために、病気で死んだ戦友の人肉さえ食さざるを得なかったと聞く。ここには倫理とか戒律とか言っておれない世界がある。生を繋ぐということが、いかに厳しいことか。この謡曲は、人間が生きる難しさを教えてくれる。そして、食べられる幸せを日々もっと感じ、食のあり方を考えたいものだ。

     鵜飼はいとおしや 万劫年経たる亀殺し

     また 鵜の首を結い 現世はかくもありぬべし

     後生わが身をいかにせん

                                         (梁塵秘抄)

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