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2011年7月15日 (金)

『播州皿屋敷』物語について

梅雨も終わり、まさに、これからは盛夏に突入。昼間の気温は室内でも35度を超える日もある。こうなると、やはりクーラーも無視できない。今のところは扇風機と換気をよくして耐えているが、熱中症になれば元も子もない。節電も、ほどほどにだ。

後は、幽霊話で、暑さを吹き飛ばすとしようか。ということで、今回はお菊の物語を記してみる(*注1)。『播州皿屋敷物語』は、子供の頃、母から、よく読み聞かされた。「一枚、二枚、三枚、、、、」と、幽霊の真似をして、読む母の読み方は、おどろおどろしくて、怖がりの流風は、よく泣いていたそうだ。

歌舞伎では、この『播州皿屋敷物語』をベースにして、『番町皿屋敷』という演目で演じられている。岡本綺堂作で、本来の話とは、離れて、男女の間の不安な心理を描いている。これは、『播州皿屋敷物語』を参考にしたとはいえ、完全な創作で、別の物語だ。

それでは、一応、ご存じない方のために、簡単に『播州皿屋敷物語』のあらすじを紹介しておこう。有名になったのは、江戸時代の浄瑠璃からだ。基本線は、播州地域で流布していたものが基礎になっている。

実際に存在した人物や仮名の人物も入り乱れ、多くの関係者に配慮した後が伺える。その話は、やはり姫路城が舞台だ。永正元年(1504年)、城主の小寺豊職(とよもと)が亡くなる。後を則職(のりもと)が継ぐ。だが彼は、まだ18歳。

ここにお家騒動の原因がある。よく時代劇にある主家乗っ取りを企む輩の存在だ。本来なら、城主を見守らなければならない姫路城代の青山鉄山は、置塩城主赤松氏の城代の浦上村宗と結託し、それぞれ両方の主家乗っ取りを企む。

やり方は、増位山(姫路市)で花見の宴を催し、そこで城主を打ち取る算段だ。ところが、この不審な動きを察知し、鉄山の下に派遣されたのが、お菊だった。彼女は、佐用町(兵庫県)生まれであるが、尼子十勇士の一人、寺本障子之助の娘とされる。

彼女は、家老の息子であり、忠臣である衣笠元信と恋仲であり、彼に頼まれ、危険を承知で鉄山の下で、動向をさぐることになる。恋仲とは言え、恋人をそういう風に使う元信は、あまり好きになれない。それとも、苦しむ元信を慮って、お菊が申し出たのだろうか。

他方、鉄山の三男は、善良な人物で、主家の則職の妹と恋仲だった。父の悪企みを知って、止めるよう説得するが逆に幽閉されてしまう。それを何かかにかと面倒を見たのが、お菊。彼は彼女に父の悪企みの計画を教え、お菊の通報により、増位山での襲撃は失敗に終わる。

ところが、事態は容易に解決しない。置塩城では、城代浦上が、城主赤松氏の幽閉に成功し、援軍を姫路城の鉄山に送ってくる。結局、城主の則職は、忠臣と共に家島に落ちのびる。鉄山は姫路城城主になる。

ここで祝宴を開き、家来のためのもてなしに使ったのが、赤松氏より拝領した小寺家の家宝「こもがえの具足皿」で、10枚揃いであった。ところが、お菊に横恋慕した悪臣の一人、町坪弾四郎が、皿の一枚を隠してしまって、お菊に罪をきせる(*注2)。

それは、お菊を何とか、ものにしたい邪恋のための策謀だった。しかしながら、お菊は、意に反して、自分の言うことを聞かない。五軒屋敷にある自邸(あるいは青山鉄山の屋敷か)に引っ立て、松に吊るして、責め立てても屈しない。止むを得ず、弾四郎は、罪を被せたまま、鉄山の前で惨殺する。

そして、遺体を井戸に投げ込んでしまう。現在、姫路城は、見学に行くと、ルート的には、最終に、「お菊井戸」があるが、残念ながら、彼女が投げ込まれた井戸ではなさそうだ。なぜなら、「お菊井戸」というのは、この事件のずっと後に、掘られたことが分かっているから。

投げ入れたのは、多分、弾四郎邸か鉄山邸の井戸ではないか。一応、ここでは、城内の井戸に投げ込まれたとしておこう。いずれにせよ、鉄山の前で、お菊を惨殺した。その時から、お菊の祟りか、怪異現象が多く現れる。その一つが、井戸から哀しげに聞こえてくる、「一枚、二枚、三枚、、、、」という声で、いつも、恨めしそうに、九枚で途絶える。

ついに耐えられなくなった鉄山は、姫路城を脱し、自分の館に引き籠る。しばらくして則職の忠臣らは赤松氏らと一緒に攻め込み、鉄山は自害し果てる。他方、弾四郎は、隠しておいた皿をネタに、小寺家に帰参しようとするが、則職の計らいで、お菊の妹二人に仇討される。そんなに要領よくは、悪人も生きられない。

その後、小寺家では、お菊の忠義に感謝して、十二所神社(*注3)に祠(ほこら)を建て祀ることになる。

以上が、大まかなあらすじだ。これらが、どれほど実際にあったことなのかは分からない。ただ言えることは、似たような話は播州の巷に流布しており、二、三の話が合わさって創られた話であるという感は強い。

例えば、外部から侵略してきた山名宗全の家来が、播州地元の赤松氏を追い出し、その後、悪行を働いたというものがベースにあるという説もある。その他にも、お菊は、奉公先の妻に嫉妬されて、殺されたとか、あるいは、お菊伝説と同様、大切な家宝を、横恋慕した家来が、隠して、罪をきせたというような、いろんな話が、組み合わさっている。

それらに後世、いろんな戯作者が、「滅びの文学」として、創作した可能性が高い。人間の権力欲、愛欲が絡み合って、事件は起こるが、結果的には空しい。でも、人間は、そういうことを続けてきた。そういうことがテーマであろう。この物語が、後世の人たちに、感動を与えながら、多くの教訓を残したことは間違いない。

*注1 お菊について

お菊というのは、本当の名ではないように思う。ただ菊を愛した女性の悲劇ということで、「お菊」としたのであろう。また、菊には、中国茶で、「菊茶」があるように、健康によい。菊は、当初、お茶同様、医薬品の一つとして、日本に輸入された。そういうイメージを、悲劇の女性に冠したと考えられる。 

*注2   10枚目の皿について

よく聞く話では、10枚目を割ってしまったという筋になっているものもある。ところが、こういう皿を割ってしまえば、それを管理していた人物も責任を問われることになる。町屋の奉公人が皿を割ったのとは意味が全く違うからだ。よって、話としては少し無理がある。ただ子供に話すには、割ってしまった方が分かりやすく、割れば罰を受けるという躾にもなるから、そういう話もあるのではないか。

他方、ある女中の奉公先の妻に嫉妬されて、妻が主人が大事にしている皿をわざと割って、その罪を、その女中にきせた話も伝わっており、そういうところから出た話の可能性もある。

*注3 十二所神社について

なお、十二所神社は医薬の神様をまつってり、重陽の節句には、酒に菊を浮かべて、長寿を祝う習慣もあった。お菊は、小寺豊職が病に陥った時、お百度を踏んで、一時的に回復したという話もある。当時から、病気からの回復のための信心の対象であったことは想像に難くない。現在も、百度石はある。

但し、この神社の発祥の起源は、昔、人々が疫病で苦しんでいた時、12本の蓬(よもぎ)が生え、少彦名大神が現れ、蓬を煎じて飲めば病が治るとしたことから、この神を祀ることになったという。いずれにせよ、医療と関係がありそうだ。

場所は、姫路駅を降りて、お城に向かってしばらく歩くと、十二所線という道路があるので、それを西に行くとある。珍しく東向きである。中に、お菊神社がある。なお、戦前は、皿とか、お菊関係の、いろんな貴重な資料があったそうだが、戦災で、お菊神社も、すべて焼けてしまったそうだ。毎年5月8日に「お菊祭り」が催される。

*追記

五軒屋敷跡(姫路市)には、後世、お菊の墓である石地蔵が建てられたとのこと。お菊が、その弔いに感謝したのかもしれないが、願い事が、よく叶えられたらしい。

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