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2011年7月29日 (金)

渋沢の礼儀観

ある番組で、ぶりっこキャラと言われる某女性アナウンサー(笑)が、作法の先生にしごかれていたが、放送局が、きちんと指導しないから、そういうことになるのだろう。ある意味、公的な仕事に就いている彼女たちは、放送局が基本的な作法を義務付けることが望ましい。

それほど、礼とか、礼儀は、人間交際上、大切な意味を持つ。そして、現在は、公的空間が広がっているだけに、一般人も気を付ける必要がある。ただ、それがあまり形式になってしまっては、あまり意味はない。渋沢栄一も、似たようなことを次のように指摘している。

「礼儀は、あくまでも精神を尊ぶ。あまり、その形式の細目に拘り過ぎると、かえって、その精神を没却して、もぬけのカラになるおそれがある。カラの礼儀は絶対に排すべきだ」と。

これは利休がお茶の作法で、客に対する自分の思いを一番いいと思った方法で、自然体で臨めばいいとしているのと通じるものがある。あまり形式に流れ過ぎると、かえって、不自然になり、接遇の意味が薄くなる。まずは、心から、ということだろう。

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