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2011年7月 7日 (木)

大臣の表現能力

また大臣が辞任したようだ。過去にも、いろんな失言をして世間からの強い風を受けて、辞任させられた例は多い。どうも大臣という役職が勘違いさせるようだ。大臣なんて別に偉い役職でもない。単なる一つの役割に過ぎない。

過去は、「末は博士か大臣か」と言われて、子供に期待したものだが、それほどの見識がなくても、なれるようになったためか、その地位は、あまり価値を持たなくなった。それは総理大臣も同様だ。そういうのがいいのか悪いのかは、分からないが、政治に、あまり期待されていないということだろう。

さて、大臣が失言で度々辞めるのは、大臣の表現能力に問題があるからだ。過去の失言録を読んでも、果たして辞めなければならなかったのか不思議なものも多い。ただ、多くの国民が注目する大臣という地位に対しては、不用意な発言が、不適切な発言として受け取られやすい。

特にマスコミにとっては、大臣の発言は格好のネタになりうる。彼らはあらゆる角度から、過去の発言も含めて、大臣を精査する。残念ながら、大臣は有名人と同様、私生活も含めて丸裸にされる。そういうことも含めて覚悟なければ、大臣を受けてはならないということだろう。

そして、過去や現在の、どんなスキャンダルに対しても、飄々と受け答えし、どんな危機にも物事の本質を理解し、笑顔で対処できる。そして、あらゆる人の立場に配慮して、この世の中の複雑系を十分理解し発言する。凡そ、そういう態度が最低限求められるのだろう。

大臣には表現能力が求められる。そして、今は、自分の発言は日本国内だけでなく、世界に発信されているという覚悟が必要だろう。また現在は、オフレコなんて存在しないと考えておかなければならない。あらゆる情報がオープンにされるのだ。息が抜ける瞬間はない。それが大臣職だろう。

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