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2011年8月 1日 (月)

『播磨国風土記』を読む その九 石乃寶殿

『播磨国風土記』に大石について記した箇所がある。印南郡のところに記されており、それは、石乃寶殿と呼ばれる。今回は、それについて触れてみよう。

風土記の内容は、まず池原という池のある原っぱの南に作り石があるとされている。それは伝承では、聖徳の時代に弓削大連が造られたものということだ。大きさは、長さ二丈、幅は一丈五尺、高さも一丈五尺とあり、名付けて「大石」と云われる、とある。

記してあるのは、それだけだが、この石はパーワースポットとして注目されている。弓削大連とは、排仏派の物部守屋のこと(物部一族は、ゾロアスター教の信者とも。一般に、神社は、その流れをくむと言われる)。

石乃寶殿は日本三奇の一つである(*注1)。そういうこともあり、一応、念のため、その石がある神社に参拝してきた。それが生石(おうしこ)神社(*注2)だ。JR宝殿駅を降りて、歩いて25分くらいということだったが、一応不案内の為、タクシーを利用すると、あっという間に着いた。

少し石の道を歩いていくと、鳥居がある。くぐって石段を上がる。足元は悪く、急勾配だ。上がっていくと、途中に狭い道路に接する。そこは車が結構飛ばしていて、少し危険。左右をよく見て、渡ると、また石段だ。勾配はきついまま。ふうふう言って上がると、そこに社殿がある。

まず、そこで参拝。更に、石乃寶殿に入るには、参拝料100円。それを払って中に入ると、大きい石がお目見え。周囲をぐるっと回ってみた。正確な寸法は、幅6.5メートル、高さ5.7メートル、奥行5.46メートルだそうだ。巨石が水に浮かんでいるように見える。

神社の謂われによると、神代、大穴牟遅(おおあなむち)と少毘古那(すくなひこな)の二神が、天津神の命を受け、国土経営の為、出雲の国より、この地に来て、相図り、国土を治めるのに相応しい石の宮殿を造営しようとした。

それは一夜の内に進めていたが、工事半ばで、阿賀の神一行の反乱に遭い、その反乱を鎮めるため、工事は中断し、石は倒れたままになり、起こすことができず、そのままになったという。

しかしながら、石の宮殿は未完成とはいえ、二神は、この石に籠り、未来永劫国土を鎮めると言明。それ以後、この宮殿を、石乃寶殿、鎮の石室と称しているらしい。あらあら、途中で投げ出しですか。

実際は、排仏派の物部守屋が、疫病を鎮めるため、造りかけたが、仏教を奉ずる蘇我一族に負けて、彼が亡くなった後、中断して、そのままになったのではなかろうか。石を見ると、人間の手で加工されたとも見える箇所がある。

この地は、元々、神功皇后も行かれたという遠い昔から、石切り場。山を切り開き、石を切り出し、加工していたことは確かだろう。比較的大きく、形が整っていたので、若干、手を入れて、神事に使おうとしたのではなかろうか。だが、今となっては、事実は分からない。

更に、謂われでは、十代崇神天皇の頃(西暦97年)、日本全土に悪疫が流行し、多くの民が亡くなった時、天皇の枕元に夜、二神が現れ、「吾が霊を斎き祭らば天下太平なるべし」というお告げがある。それによって、生石神社が創建されたと云う。

なお、この神社は、天正7年(西暦1579年)に、羽柴秀吉の三木攻略の折、神吉城を落すべく、当神社を陣屋として貸せと、言ったが、当時の宮司は、神吉城主の弟の為、拒否。それが秀吉の怒りを買い、焼き払われた。梵鐘も、持ち去られ、石田光成の将、大谷刑部吉隆が、関ヶ原の戦いで、陣鐘として利用。敗戦後、徳川家康の戦利品になる。そして、美濃国赤坂の安楽寺に寄付されており、現在もあるそうだ。

色々記したが、風土記の内容は信憑性があると思う。物部守屋は、当時、疫病で苦しむ民を救済するため、祈りの対象を創造しようとしたのだろう。物部一族がどういう人々であったのか、益々関心が深くなる。

*注1 日本三奇

東北地方にある塩竃神社の塩竃(鉄)、九州にある霧島神社の天乃逆鉾(銅)、そして生石神社の石乃寶殿(石)。

*注2  生石神社(おうしこじんじゃ)

拝観後、神社の上の方に登ってみた。見晴らしがよく、周囲がはっきり見える。鳥や蝉がなく中、涼しい風が通り過ぎ、避暑にはいい。

また、この神社には、この巨石の分石とされる霊石がある。これを力いっぱい押すといいらしい。流風も押してみた。当然ながら、びくともしない。そして、触れた手を、悪い所にあてると、病が治るらしい。どこにあてたかは秘密(笑)。

    兵庫県高砂市阿弥陀町生石171

    JR宝殿駅下車、徒歩25分。  

  筆者のようにタクシー利用もいいのだが、帰りは、タクシーがつかまらず。

  歩いて帰ったが、疲れた。後で気がついたのが、貸し自転車。

  駅を降りたところに店がある。

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