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2011年8月29日 (月)

党内闘争と映画『金環蝕』

民主党は、本日平成23年8月29日、新しい代表を選ぶそうだ。党内の権力闘争と言えるだろう。だが、誰がなっても、そんなに期待できる人はいない。まあ、政治に、あまり期待してはいけないのだが。

さて、党内闘争を描いた映画に『金環蝕』(山本薩夫監督、1975年)がある。ビデオを整理していたら、母が録画したものが見つかったので、思わず視てみた。この映画の原作は石川達三だ。自民党政権時代の池田勇人政権、佐藤栄作政権当時の人々をモデルにしている。

かなりドキュメンタリーに近いが、もちろん、架空の話も織り込んでいる。当時は、それまで低迷していた日本経済が、池田政権の所得倍増計画で、かなり産業界も動きがあった。蠢いていたと言う方が適切かもしれない。ちょうど高度成長時代の走りだったかもしれない。

そういう環境下、産業界は、何が何でも仕事を取るために、汚職は蔓延っていたし、現ナマが飛び交っていた。映画では、総裁選で10億円の現ナマが動いている。もちろん、それらは、仕事と引き換えを条件に産業界から裏献金されたものだ。

戦後は、政界だけでなく、巷には、一癖も二癖もある人物が各界にいたと言われる。当時は、金にものを言わして相手をねじ伏せるタイプの政治家も多かったが、彼らに結び付いている人々も、皆、一筋縄でいかない人たちだ。

「清濁併せ呑む」という言葉必要な時代だった。今でも、そうかもしれないが、政治は綺麗事では何も進まない。当時も、官僚を巻き込んで権力の私物化も派手だった。権力闘争は、男の性(さが)だが、民主主義は形だけで、いわゆる、何でもありの時代だったと言える。

この映画では、その例として、政界、官界、電源開発(映画では電力開発)のダム開発に絡む汚職問題を扱っている。ドロドロした権力闘争は、政治記者の買収や腐敗、大陸帰りのフィクサー、裏社会も巻き込んで、怪しい政界だった。権力の維持のためには、なんでもやるという凄さ。

なぜそうなったかは、色々指摘があるが、明治維新で、教養のない下級武士が、政界のトップになったため、権力を握れば、お金を自由にできるという考えが蔓延したと言われる。明治維新から、そのことは引きずっているのだ。

もう一つは、戦後の復興のどさくさには、各種いろんな人間の協力が必要で、彼らを利用したことが、つながりを生み、その後の政界が、汚れていったという。だが、人間社会を捌くには、難しい問題だ。

ところで、自民党が政権を逃し、政権が民主党に移っての代表選び。度々代表を代えるのは自民党と変わりない。自民党の遺伝子を引き継ぐ人も多いから、同様なことが行われたのか。今回は、現ナマが飛び交ったのか。それとも権力を握ってからの政党助成金を握ることに眼目があるのか。『金環蝕』の時代に逆戻りさせてはいけないだろう。

国民から見れば、遠い世界の意味のない闘争のように見える。政治も、もう少し進歩して欲しいものだ。政治の仕組みそのものを根本的に、変えないと、どうしようもないのかもしれない。でも、人間社会である限り、いかなる仕組みを作ろうとも限界があることも事実だ。個々の政治家の自覚に期待するしかないのかもしれない。

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