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2011年9月30日 (金)

登りつめると、、、

登りつめると、そこは崖しかない。人間社会でも、そういうことは当然ある。山に登れば、後は降りなければならない。同様に、位階官を極めると、後は退任しかない。早く出世するのも善し悪しなのだ。若くてトップに登りつめると、そのままずっとトップに留まることができればいいが、トップほど風当たりはきつい。

結局、経験不足が災いして、耐えられず、退任に追い込まれることはよくあることだ。かつての、どこかの内外の首相もそうだし、企業でも、若くしてトップになったものの、何もできずに追い込まれることもよく見受けられる。

出世は、ほとぼどのスピードが宜しい。『易経』にも、最初の頃に、それは示されている。すなわち、「乾」の項で、「上九。亢竜悔あり」と。解釈では、天を登りつめて、降りることを忘れると、悔いをのこすことになる、という意。

すなわち、登りつめることは、降りることも同時に考えておかなければならない。そういう心構えが無いと、周囲から責めたてられると、右往左往することになる。こんなことは、冷静になれば、誰でも分かりそうなのに、意外と気づいていない人が多いのも、一つの事実だ。

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2011年9月29日 (木)

「ジュディ・オング倩玉~木版画の世界展」について

女優のジュディ・オングさんについては、あの孔雀姿の「魅せられて」の歌ぐらいしか、詳しく知らない。ところが、別の顔があり、実は版画家としても活躍されている。棟方志功氏の弟子に木版画を習い、かなりレベルの高い版画を作られる。

木版画にまさに「魅せられて」、ジュディ・オング倩玉(せいぎょく)という名で、画業をスタートされているとは全く知らなかった。彼女は、25歳の時に、ある版画展を鑑賞して、一気にのめり込まれたようだ。多分に、直感を信じる男っぽさを感じる(笑)。

それらの経過については、彼女のホームページで述べられている。元々、そういう才能をお持ちだったのだろう。弟子入りを認められ、活動を続けられている。テーマとしては、日本の伝統的な家屋や寺社仏閣。2005年、第37回日展で、「紅楼依緑」で特選を受賞されている。

その彼女の展覧会が、明石市市立博物館で開催される。それが「ジュディ・オング倩玉~木版画の世界展」だ。開催日が、10月8日から11月13日まで。開館時間は、午前9時半から午後6時半まで。どういう作品なのか、じっくり鑑賞してみたい。

*追記

尚、鑑賞の感想については、拙ブログ10月16日付「『ジュディ・オング倩玉~木版画の世界展』を鑑賞」にて、記しています。

 

 

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2011年9月27日 (火)

美しい立ち姿の女性

先日、美術館で並んでいると、少し前の女性の後ろ姿に見とれてしまった。立ち姿が美しいのだ。流風は、余り並ぶことをしないので、そういうことに気付いたのは、今回は特別かもしれない。だが、少し得をしたような感じだ。美しいものはいい。

流風は、子供の頃、体が弱かったものだから、どうしても姿勢が悪くなる癖がついている。父は、生前、その事を気にしていて、会うごとに注意を受けた。「人は、姿勢が大切。特にリーダーを目指そうとすれば、背中が大事だ。お前の姿勢は、どうにかならないのか」と苦言を度々を呈された。

流風の為に言ってくれるのはいいが、時々、嫌になった。だが、今は、その父もいない。誰からも言ってもらえない寂しさもある。言ってもらえているうちがいいと今更気づく。仕方なく、時々、自分の姿勢がおかしくないか確認する。

また、父からは、「男は、土を踏みしめるように堂々と歩け」とも言われた。ところが、せっかちなものだから、急ぐことは何もないのに、気がつけば、いつも前傾姿勢で、急いで歩いている自分。

そして、途中で、姿勢がおかしいことに気づく。この歳で性格を直すことは難しいが、父の忠言は、いつも心に刻んでおこう。そして、姿勢を正して、歩き直す。その繰り返し。

さて、その美しい立ち姿の女性だが、少し振り返られた時に、横顔が見えた。年の頃は40代だろうか、30代後半か。お化粧気が無く、すっぴんに近い。まあ、顔のことは、これ以上、あまり触れずにおこうか。

女性の後ろ姿の美しいのを、昔は、「バックシャン」と言ったそうだが、その女性は、そこまでは言うまい。多分、化粧をすれば、それなりに美しいだろう。そういう品のある御顔立ちでした。

しかし、それより、立ち姿の美しさだ。すらっとして、スタイルもいいいが、その姿に隙が無い。羨ましい。父が言っていたのは、そういうことなのだろう。男も、違う意味で、後ろ姿は大切だ。反省、また反省。父がどこかから見ているかな。

その後、美術館を観覧したのだが、その女性は観覧客が多いため、見失ってしまった。ただ、最後に、出口近くで、ちらっと見受けられたが、あまりじっと見るのもどうかと思って美術館を出た。いずれにせよ、結果的に、本来の意味ではないが、人のふり見て、わがふり直せ、と思ってしまった(苦笑)。

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2011年9月26日 (月)

神戸ビエンナーレ2011について

神戸市では、神戸アートウォークが9月1日から始まっている。22会場で、芸術・文化のイベントに参加して、スタンプをもらってプレゼントをもらおうという企画だ。すでに終了している催しもあるが、10月1日にスタートする催しが、港で出合う芸術祭、「神戸ビエンナーレ2011」だ。11月23日までの間、各所で、現代アートが展示される。

流風は、現代アートは、あまり分からないのだが、いつも散歩ついでに覗き込んでいる。現代アートの解釈の難しさは、作者の意図が、よくわからないことだ。基本的には、彼らの生き様を知っていないと、深くは理解できない。

写実的な絵や写真は、まだ、それらを知らなくても楽しめるが、抽象的なアートになると、作者の意図は全く理解できないと面白くない。そういう点で、現代アートは理解が難しいと思う。よく思うのは、現代アートについては、作者の思いをもっと別なところで発信する必要ではないかということ。

文章表現もそうだし、解読するヒントを、あちこちに鑑賞者に示すべきだろう。鑑賞者は、それを組み立てて、解釈して楽しむことが可能になる。そういうことがないと、下賤な表現で申し訳ないが、作者の自己満足的なマスターベーションに終わってしまう。作者が、それでいいのなら、まだしも、公開するからには、鑑賞者に分かるように表現することが求められる。

さて、その神戸ビエンナーレ2011の会場としては、神戸ハーバーランド・ファミリオ(有料)、ぽーあいしおさい公園(無料)、兵庫県立美術館(有料)、元町高架下(無料)が主たる開催場所だ。

神戸ハーバーランド・ファミリオでは、「アートイン・コンテナ国際展」、「ゲートアート」、「こども絵画展」、「現代陶芸展」、「フォト展」、「いけばな未来展」、「書道展」が開催される。それに「文化庁メディア芸術祭ネットワークス」として、エンターテイメント部門に焦点を当てて、体験型の展示も行う。

また、近くのデュオこうべでは、10月1日に大道芸審査、10月2日にエキシビジョンが開催される。またキャナルガーデンでは「グリーンアート展」を開催。

ポーアイしおさい公園では、今回初の「しつらいアート国際展」を、広い公園を舞台に、環境造形、野外インスタレーションなどを展示。他にも、「いけばな野外展」を展示。

兵庫県立美術館では、「REFLEXIONEN  ひかり いろ かたち」展を開催。1950年代から1970年代に活動した「具体美術協会」と、当時交流のあったドイツの「ZERO」の作品等を展示。元町高架下では、「高架下アートプロジェクト」展を開催。

その他にも、関連イベントが開催されるが、それは神戸ビエンナーレのホームページで確認してもらおう。あまりに多彩で、会場は散らばっているので、場合によっては、「神戸街めぐり1dayクーポン」を利用するのが得かもしれない(*注)。

なお会場券(神戸ハーバーランド会場+兵庫県立美術館会場共通券)は、期間中2日間有効となっている(連続しなくても可)。当日券1200円。前売り券1000円である。流風は、タダ券(1日のみ有効)をもらったので、それで行く予定。心配なのは、作品が理解できるかどうかということ。うろうろして、それで終わりということのないようにしたいのだが(笑)。

*注

それぞれの会場をつなぐ運航船やシャトルバスも本数は少ないが、運営されている。うまく計画すれば、面白い。

運航船としては、ハーバーランドの「かもめりあ」とHAT神戸/兵庫県立美術館の間を運航している。また「かもめりあ」としおさい公園とも運航している。大人片道500円。

シャトルバスは、「かもめりあ」としおさい公園を運行している。またHAT神戸/兵庫県立美術館としおさい公園の間も運行している。大人片道240円。

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2011年9月25日 (日)

手こすり健康法

以前、両手をこすり、その手を患部に当てると、よくなるというのを紹介した。両手を擦り合わせると、摩擦熱が発生するからだろうか。よくわからないが、確かに効くという人は多い。流風も、時々、試してみることもある。

さて、今回紹介するのは、掌で直接、症状に関連している部分をこする方法。例えば、風邪気味だったら、肺の部分に手を当て、少し強くこすってみるのである。小さい頃、喘息だったので、近所の方に、乾布摩擦として、タオルでごしごしすれば、肺が強くなると教えられた。

ただ、今考えると、タオルでごしごしやると、皮膚を傷つけることになるので、本当は、あまり勧められない。韓国では、垢すりとか言って、そういう美容法があるそうだが、あまり健康にはよくないようだ。掌であれば、そういう危険性は少ない。

効果は、朝目覚めた時にやるのが効果がありそうだ。時々試してみるが、体がポカポカしてくる。これで、一日の開始がしやすくなる感じ。これからの寒い時期には、別にどこも悪くなくても、いいかもしれない。

また、花粉症の原因に、肺が弱っているからという人もいる(実は父が母の花粉症を見て、言っていた)ので、このやり方は、多少効果があるかもしれないが、はっきりとしたことは言えない。ただ試しても毒にはならないだろう。

*追記

他人にマッサージをやってもらうのもいいが、自分の手が届く範囲は自分でやった方がいい。

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2011年9月24日 (土)

イカと大根の煮物

魚屋に行くと、スルメイカが美味しそうなので、買ってきた。今回も手抜きして、捌いてもらった。新鮮さは少し落ちるが、凄く楽。以前、数回ほど捌いたが、簡単そうで、なかなかうまくいかないので、最近は店で捌いてもらう。自分でやると、不器用な流風は、どうしても、墨袋を破いてしまい、後が少し大変だからだ(苦笑)。

料理はというと、今回は、大根との煮物にした。まず、大根を輪切りにして、出汁で煮る。沸騰した段階で、捌かれたスルメイカ投入。灰汁を取りながら、しばらく煮る。そして、酒、みりん、砂糖で調理して、落しぶたを置いて煮込む。大根が柔らかくなったら、醤油を入れて、更に煮込んで出来上がり。

初めて作ったが、なかなかいい。年齢的に、砂糖も醤油も少なめにしたが、問題なし。いつも里芋と煮ることが多いが、これも定番にしよう。

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2011年9月23日 (金)

風水害対応について

今回の大型台風で、至る所で大きく傷ついている。自然災害の日本という形容から逃れられないのかもしれないが、それなりに対応したいものだ。ところが、先日の台風の時、近隣地区では、避難勧告が出ている地域でも、実際に避難している人は非常に少なかった。

テレビでコメントを求められた中年の女性たちは、「まあ、何とか大丈夫だと思った」とか、「自分の所まで被害は及ばないと判断した」と言っていた。これは困ったことだ。確かに、避難勧告に対して、主体的に判断することは必要だが、危機に対する心構えとしては、あまり宜しくない。

それは流風も同様で、今まで、風水害に対する避難に対する考え方は若干甘いものを持っていたように思う。震災対応については、繰り返し報道されることもあって、それなりの対応をしているつもりだが、風水害には多少無頓着であったと反省する。

以下、備忘録的に覚えとして、風水害対応について記しておく。

一、まず役所から通報される情報について

  ①避難準備情報

     要するに避難準備を促す情報。

      ↓

     (対応)

               避難に時間のかかる高齢者等は直ちに避難所に避難。

       それ以外の人も早期に避難してもいいし、避難の準備をする。

  ②避難勧告

     要するに、即、避難しなさいということ。

       ↓

     (対応)

               助け合い、指定避難所に速やかに避難する。

       また徒歩避難であること。車移動は不可。危険である。

   ③避難指示

     指定地域が危険な状況になり、避難中の人々に避難を早く完了を促す。

       ↓

      (対応)

                 指定避難場所に直ちに避難する。

二、避難時の心得

   ①日頃から、避難場所の確認と最も安全な避難路の確認

   ②懐中電灯や携帯ラジオを用意

   ③ラジオ・テレビ等から正確な情報を把握して避難

   ④電気ガスの火元確認。

   ⑤非常持ち出し品の準備

   ⑥消防団等からの呼び掛けに注意し、速やかに避難

   ⑦車の移動は危険。徒歩で二人以上で避難。

   ⑧外出している場合は、家族に帰宅経路、帰宅見込み時刻を連絡

三、水の中を避難中の注意事項。但し、臨機応変に。

   ①長靴は歩きにくいので不可。運動靴がベスト。

   ②二人以上で腰にロープを繋いで歩く

   ③但し、水の中を歩けるのは、大人で水位50センチ以下。

     それ以上ある時は、無理しない。救助を待つのが正解な場合も。

   ④水底の危険物に注意

 

*参考 水害を受けやすい地域

   ①造成地

   ②扇状地

   ③山岳地帯

   ④河川敷

 

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2011年9月22日 (木)

一生懸命ということ

以前、一所懸命ということを取り上げたが、今回は、一生懸命として取り上げてみる。語源的には、一所懸命が始まりで、一生懸命に変化して行ったとされる。一所懸命が、持ち場でしっかり役割を果たすことを言うのに対して、一生懸命は、若干ニュアンスが違う。瞬間、瞬間をを懸命に生きる感じだ。

さて、以前にもどこかで記したことだが、流風が若い頃、辛そうに仕事をしていると、「もっと楽しそうにやれ」と上司や先輩方から注意を受けた。その後、仕事を楽しくやっていると、先輩に告げると、「まだ、仕事の厳しさが分かっていない。もっと一生懸命に仕事をやれ」と叱られた。

そして、一生懸命仕事をして、なかなか成果が上がらないと自分が情けくなった。その事を言うと、父からは、「一生懸命を忘れろ。そうすれば、必ず成果が上がる」とアドバイスを受けた。こうなると、禅問答だ。

要するに、瞬間、瞬間を精一杯に生き、それを積み重ねていく。そして、それを意識の外に置くようなやり方が望ましいのだろう。他者の評価を意識しているようでは、一生懸命の域に達していないということだ。人生は修行ですなあ。若い人、頑張れ。

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2011年9月21日 (水)

『播磨国風土記』を読む その十一 根日女のこと

女性を巡る男女の三角関係は、揉めるもとだが、ライバルがいると、余計に燃えるのも事実である。そして、結果的に女性を勝ち取っても、幸せになるとも限らない。ライバルに取られるを恐れて、燃え上がったに過ぎない。

その結果、勝ち取った方は、獲得した女性が、それほどでなく、期待外れということなりがちだ。女性の方も、こんなはずじゃなかったと思い、別の男の方が良かったのではと後悔するのは、よくあることだ。

さて、『播磨国風土記』に出てくる根日女は、どうだったのだろう。彼女は針間鴫国造・許麻の娘である。於奚(おけ)と袁奚(をけ)が、大和に帰還する前に、志染(しじみ)に宮を建て、そこに、しばらく住まいする。

ちょうど、その頃に、根日女に出会う。すぐに二人ともぞっこん。そして、二人で小楯を仲立ちに求婚。根日女にすれば、どらか一方と思っていたので、大変困惑。どちらかに決めてと承諾。ところが、二人の王子がお互い譲り合うものだから、いつまで経っても結論がでない。

そうこうするうちに、二人の皇子は、大和に呼び戻され、帰ることはなかった。時は長い年月が流れ、根日女も歳を重ね、遂に亡くなる。二人は大変悲しみ、使者に朝日夕陽の隠れない所に墓を作り、玉で飾れと指示する。そこで、この墓は「玉丘」と呼ばれ、その村は「玉野」と呼ばれるようになる(*注)。優柔不断な皇子たちに振り回された女性の悲劇だ。

根日女は、どうすればよかったのだろう。当時、選択権は女性にない。となれば、優柔不断な、この兄弟が、彼女を不幸にしたのだろう。現代は、女性にも選択権はある。彼女らは、このような場合、どのような判断を下すのだろう。そして、男たちは、どのように対応するのだろう。

*注

玉丘古墳が、兵庫県加西市にある。夕方には、志染の洞窟方向に影が伸びるそうである。

*追記

かつて聞いたところでは、ある人に聞くと、「男女関係は一時の迷い」だと。別のある人によると、「迷ったら止めておく」という。やはり男女関係は、その時の勢いですかね(笑)。ただ、何らかの不思議な縁が結びつけるのは確かなようだ。なるようになるということ。

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2011年9月20日 (火)

『播磨国風土記』を読む その十 於奚と袁奚の物語

『播磨国風土記』には、顕宗天皇と仁賢天皇の子供時代のことが描かれている。お二人は兄弟である。なお、後で記すが、二皇子は、弟君が先に第23代顕宗天皇になり、兄君は、後に第24代仁賢天皇になる。

兄弟は、仁徳天皇の孫、市辺之忍歯(いちのべのおしは)の子供で、兄は、於奚(おけ)と、弟、袁奚(をけ)と名乗る。なぜ、この兄弟が播磨の地にいらっしゃったのか。そのためには、まず、天皇家の系譜を知る必要がある。

第16代仁徳天皇には、四人の皇子(内一人の皇子は、仁徳天皇崩御時、反乱して殺される)があり、その後をまず、兄が継ぎ、第17代履中天皇になられる。そして、先ほど記したように、その皇子が市辺之忍歯である。彼の子供が、於奚と、弟、袁奚だ。

普通であれば、履中天皇の後は、皇位継承権のある市辺之忍歯が次の天皇になるべきだが、彼は、大長谷の皇子(後の雄略天皇)に、近江の国の摧綿野(くだわたの)に呼び出され、騙し打ちされ殺され、履中天皇の弟が天皇になる。それが第18代反正天皇だ。

ただ反正天皇には、子供が無く、彼の弟が天皇の位に就く。それが允恭天皇。そして、彼の家系が天皇を引き継ぐ。第20代が安康天皇、第21代が雄略天皇、そして第22代が清寧天皇だ。ところが、清寧には、皇后もなく、もちろん子供も無く、後継者がいないので、問題になっていた。

ところで、於奚と袁奚の二皇子は、琵琶湖の畔で父が殺されたことを目撃した従者、日下部連意美(くさかべのむらじおみ)と共に逃亡する。そして追手から、やっと逃れた地が、志染(しじみ)の洞窟であった。志染は現在の兵庫県三木市。今も、言い伝えの洞窟は存在する。

ただ日下部連意美も、市辺之忍歯殺害には絡んでおり、二皇子の安全を確保したと思ったのか、その罪を恥じて、自害する。頼るべき人もいない異郷の地で、二人の皇子は更に苦労を重ねる。

まず身分を隠して、志染の村長である伊等尾(いとみ)の家に召し使われる。ただし、村長だけは事情を把握していたのだろう。ある時、祝宴にて、燭を命じ、祝辞を述べるように指示する。そうすると、二皇子は、お前がやれ、いや、お前がやれと譲りながら、遂に、弟君が立たれて、次のように詠われる。

  多良知志(たらちし) 吉備の鉄(まかね)の 狭鍬(さぐわ)持ち

  田を打つなす 手拍(う)て 子等

  吾は まさに舞ひ為さむ

これを聞いて、村長は、やはり普通の人ではないと感じ取る。それに、大和の天皇家の後継問題の噂が地方にも聞こえてくる。二皇子の叔母(忍海郎女。実際は、天皇の代行をしていたと伝えられる)が、彼らを探しているらしい。ここは潮時と、皇子たちを、いつまでも隠してはおけないと覚悟する。そこで、まず新築祝いという名目で、大和の山部連小楯(やまべのむらじおだて)を招く。そして、皇子たちに、次の歌を歌わせる。

  淡海(おうみ)は水たまる国

  倭は青垣

  青垣のやまとに坐(ま)しし

  市辺の天皇の御足末(みあなすえ)

  奴僕(やっこ)  良麻(らま)者(は)

これを聞いて山部連小楯はびっくり。急いで帰り、清寧天皇(実際は、二皇子の叔母)に報告する。すぐさま、二皇子は帰還させることになる。そして、まもなく天皇に即位するのだが、一緒に苦労した中なので、譲り合いの精神で一杯。

結局、弟君の袁奚が、まず天皇に就き、後、兄君が、天皇になる。そして、天皇を退いた後、再度、志染を訪れ、宮を造り、近所に住まわれたとのことである。その地を御宅村(みやけむら)と名付ける。

こういう波乱の人生は、誰もが経験するものではない。この話は、子供の頃、母から、読み教えられ、お前は、どう思うとか、感想を求められて困ったことを思い出す。今思うと、高貴な身分に生まれるより、自由気ままに過ごせる人生の方が有難い。

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2011年9月19日 (月)

敬老の日について

本日、9月19日は敬老の日らしい。以前は9月15日で固定していたが、ハッピーマンデー制度により、毎年異なる。それで、どうも休みがピンと来ない。つくづくハッピーマンデー制度とは変な制度たど思う。観光業者の人に聞いても、あまりメリットはないそうだ。せいぜい喜ぶのは学生くらいだろう。

さて、この「敬老の日」は、兵庫県と関わりが深い。そもそも日本にしかない「敬老の日」は、戦後間もない1947年、兵庫県の多可町の当時の町長と助役が「としよりの日」として、提案したものらしい。それが1950年には、兵庫県全体に広まる。

兵庫県は、早くから敬老精神を重視していたのだろうか。ただ、「としより」と言うのに抵抗があったのか、「老人の日」に変えている。そして国に働きかけて、「敬老の日」が生まれたようだ。地方の町長でも声をあげれば、広がるという例だろう。

ところで、現在の高齢者人口は2980万人だそうだ。全体に占める、その比率は23.3%。高齢者とは65歳以上を指すから、流風には、まだまだ時間がある。でも、この比率はまだまだ高くなる。先輩諸氏の動向を参考にしようと思う。

まず、就業率が65歳から69歳までで、男46.8%、女26.9%。これを高いと見るかどうか。海外では、老後は年金でゆったり過ごす人が多いから、なぜと思う人が多いかもしれない。ただ、働いて、頭と体を使うことは、老化を防ぐことは確かだろう。

もちろん就業しなくても働くことは可能だ。ボランティアもそうだろう。データは有給の仕事をやっている人を集めているが、実際は無給のボランティアのデータを含めると、更に実質働いている人は、もっと多い。高齢になっても、何らかの役割は大切だ。

そして、経済的には、高齢者世帯では、1か月38000円の持ち出しで、貯蓄を切り崩していることが分かる。今後、どういう経済状態になるか分からないが、老後に一定の持ち出しは必要ということは明確なようだ。また、国債残高の多さを、貯蓄残高の多さでカバーできるという人もいるが、これは結構怪しい議論のようだ。

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2011年9月18日 (日)

最近の洗濯機

先日、洗濯機を買い替えた。母が買って、数年でおかしくなり、修理に修理を重ねて使っていたものだ。今回のは、前の物と比べて運転音が静か。前の物は、すぐ途中でストップするし、水が余計にかかるし、洗濯音は大きいし、散々だった。

もっと早く買い替えるべきだったのかもしれない。ただ、新しい洗濯機の取扱説明書を読んでいると、設計寿命が7年となっている。実家に戻るまでは、ずっと二層式だったが、二層式の寿命は、10年だったように思う。もちろん、簡単には、壊れないので、寿命以上に使っていた。二層式は、機能が単純だったから、強かったのだろう。

ところが、最近は、一槽式が主流で、売り場には、二層式はほとんど置いていない。企業にすれば、多機能で付加価値を上げたつもりだろうが、消費者にとっては余分な機能が多すぎる。付加価値を付けて高く売りたいのは分かるが、それは消費者のためになっていない。

企業の開発者は、本当の付加価値は何なのか、再考してほしいものだ。

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2011年9月17日 (土)

周囲を豊かにする発想

この世の中、自分だけが豊かになることはない。利己心で、自分だけが豊かになればいいという考え方をした国は、歴史的に貧しくなっている。過度な金儲けに狂奔したり、他者を苦しめて暴利を貪ると、個人レベルでも、社会レベルでも、国家レベルでも、衰退していく。

世の中は不思議な構造になっている。逆に周囲を豊かにする発想をすると、回り回って、豊かにした人も豊かになっている。ここで言う「豊か」とは、物心両面でだ。もちろん、過剰な物心の満足を求めたりはしない。今、多くの日本人は、大きな災害を見て、足下を見ているのではないか。他者への関心が自分を豊かにしていく。

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2011年9月16日 (金)

『太平記』にみる南北朝時代の戦い方

『太平記』に出てくる軍略理論の裏付けは、正統軍法ではなく、どちらかいうと、当時の悪人の軍法である。それは盗賊、すなわち海賊、山賊、川賊、山法師、非人の賊たちの手法を集大成したものと云われる。

彼らは、当時正統派だった源氏や平氏の戦法ではなく、相手の大軍に、少数精鋭で奇襲をかける戦法で、相手が予測もしない戦いで、敵を撃破していく。それはゲリラ戦法と言うべきもので、海賊や山賊が得意としたものだ。

そういうと、鎌倉時代末期から南北時代の乱れに乗じて現れた楠正成たちも、彼らの頭領であった。明治以降、えらく崇められたが、その出は、本来いかがわしい。戦前は、後醍醐天皇の忠君として褒め称えられた彼は、本来、このように正統派の武士ではない。

播磨国では、赤松円心もそうであろう。彼は、先祖は京都から追放された源氏の流れを汲むと云われるが、赤松氏は、当時の播磨地域の「悪人」たちをまとめ上げた頭領と言える。

そして、彼らの戦い方は、ある意味、弱者の戦法だか、既成勢力には、案外強いものを発揮する。そして、そういう人たちが、触媒になって、良くも悪くも、新しい時代を築き上げたのも確かだろう。“常識”に捉われないことが、新しい時代を生む。

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2011年9月14日 (水)

復興増税は相互扶助

復興債発行に伴う復興増税について、いろいろ議論されているが、増税は仕方ないことだろう。復興には金がかかるし、国にはお金が無い。特別会計等の見直しで、お金を抽出することもないではないが、法の改正等、時間がかかる。

でも、早くしないと、ずるずると被災地の人々が苦労が長引く。議論ばかりしていても、前に進まない。結果的に、被災地の困難は、いつまでも解消されないことになる。いろいろ議論はあろうが、今回は、増税で凌ぐしかないだろう。

本当を言えば、震災後、すぐに増税を決めていれば、何も問題はなかった。あの時は、皆、支援しようと思っていたし、増税も当然と思っただろう。だが日が経つにつれて、我が生活のことを考えてしまう人も増えてくる。それで、議員の中には選挙を意識して、増税反対論が出てくる。

そういう時に出てくる理屈は、デフレから脱却して、成長に伴って税収は増えるのだから、増税は不要と云う意見だ。でも、こういう議論は、延々と十年近くしてきた。それで、デフレから果たして脱却したか。成長というのは、最早、幻想でしかない。

世界の経済構造が変わった今、いくらデフレ脱却と言っても、空しい議論だろう。もちろん、ミクロで見れば、成長する産業分野も出てくる。だが、全体として見れば、逆ピラミッドの人口構成で、高齢社会は、ますます進む。

どんなに頑張っても、国内経済は、せいぜいゼロサムか、マイナス成長になってしまう。それを海外市場で賄うとしても、欧米市場の縮小は避けられず、途上国も、多かれ少なかれ影響を受ける。となれば海外余剰も限界がある。

そういうなかで、大震災が起こったのだから、増税は、ある意味、国内で相互扶助の意味を持つ。それに大震災は、今回で終わったわけではない。今後も、連続して、起こる可能性がある。となれば、今回の復興にかかる費用は先延ばしにできないはずだ。できるだけ早く処理した方がいい。

先に起こった災害には、早く処理して、次に備える必要があるのだ。よって、復興増税はやむを得ない。問題があるとすれば、むしろ、復興予算の中身のチェックだろう。大体こういうものは、昔から震災太りと言われるように、過大に計上されがちだ。

増税に反対する人々は、むしろ復興予算の中身を吟味することにエネルギー投じるべきだろう。そうすれば、税負担額が多少減額されるかもしれない。それでも、何回も言うようだが、復興増税はやむを得ない。

それも期間も短く5年程度で賄うべきだろう。短ければ短いほどいい。各世帯の事情は様々だが、決して負担できない数字にはならないだろう。それに、逆に、いつ国から支援を頂く立場にならないとも言えない。お互い様だ。

*平成23年10月25日追記

民主党首脳は、復興債の償却年限を10年としていたものを、公明党の主張に配慮して15年とする可能性に言及している。しかし、これは問題だろう。このような災害に伴う債券は、早期に償却する必要がある。10年でも長いくらいだ。この間に、同じような災害が起こって、さらに増税するとなれば、国民の負担感は大きくなる。公明党の主張のような目先しか見ていない考え方に惑わされてはいけないだろう。

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2011年9月13日 (火)

女性を導くには

女性社会をまとめることは、なかなか難しい。女性の管理者でも、女性の部下たちを適切に指導するのに苦労するという。まして、男の管理者では、更に苦労が多い。男の社会も、それなりに難しい面もあるが、論理が優先するのに対して、女の社会は、そう単純には行かないことが多い。

そうした中、世界一に、なでしこジャパンを率いた佐々木監督に注目が行っている。彼の書いた書籍も売れているらしい。彼の指導は、民間企業でも参考にする必要がある。女性の戦力は、最早、どの職場でも避けられないが、その扱いに苦慮されている方には参考になるかもしれない。

特に女性中心の職場では、彼の考え方は有効のようだ。詳しくは、本を読んでもらうしかないが、その佐々木監督の指導理念の項目を覚えとして記しておこう。

  一、責任感

  二、情熱

  三、誠実さ

  四、忍耐力

  五、論理的分析思考

  六、適応能力

  七、勇気

  八、知識

  九、謙虚さ

  十、パーソナリティー

  十一、コミュニケーション

どれも一般社会のやり方と同じような気がするが、比重の違いがあるかもしれない。また、ここには、記していないが、選手の扱いには、公平性にも十分配慮されたようだ。女性を扱うには、むしろ、そちらの方が大事かもしれない。

その他には、奥様から指摘されて、鼻毛には注意したとのこと。これには笑ったが、その鼻毛処理機が売れているそうだ。そういうことは、男はなかなか気がつかないものだ。女性は、細かいところを本能的に瞬間的に見えるらしい。それに違和感を感じると、嫌になるという。

そういうことをアドバイスした奥さんの隠れた配慮が、案外、彼女らをまとめているのかもしれない。また、女性は、おしゃべりの中で、ある信号を発信続けているらしいのだ。それを受け止められる感性があるかも管理者には問われる。女性チームの管理者の方、ご苦労様です(笑)。

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2011年9月12日 (月)

『酒井抱一と江戸琳派の全貌』展を鑑賞

以前、拙ブログで、少し紹介した『酒井抱一と江戸琳派の全貌』展が、姫路市立美術館で始まっている。酒井抱一生誕250年を記念しての催しだ。総数約270点を三期に分けて展示する。第一期は9月11日で、すでに終了しており、9月13日から第二期に入り、9月19日まで展示、第三期は9月21日から10月2日まで展示される。

先日、第一期を鑑賞してきた。早く行ったので、特製「抱一生菓子」を頂けた。ラッキー。毎日先着150名に提供されるらしい。美術館にしては粋な計らいである。そういうこともあってか、この美術館にしては、長い列がてきて大変多い観客(笑)。皆さん、饅頭目当てかな(笑)。

さて、彼は徳川家の重臣、酒井雅楽頭(うたのかみ)家に、兄で姫路城城主になる酒井忠以(ただざね)の弟として、宝暦11年(1761年)に生まれた。彼は文化を嗜む酒井家の家風の影響を受け、早くから、狂歌、浮世絵などに親しむ。

そして、どういうわけか、37歳に出家して、酒井家から離れ自由な身に。多分、兄が藩政改革の心労から10年くらい前に急逝し、その空しさを感じ続けていたからかもしれない(*注1)。

その頃から、琳派に傾倒し、やがて、それに新しい解釈を加えて、江戸琳派なるものを確立していく。花鳥画を中心としながらも、民間に強く影響受けたため、風俗画、仏画、吉祥画にも、手を染めていく。

彼の芸術は、本物で、殿様の余技では決してないところから、芸術の分野では高く評価されている。兄が政治で忙しく、多忙のため、あまり芸術の分野に踏み込めなかったのに対して、弟の抱一は、その気楽さから、本当の芸術家になっていく(*注2)。

そもそも、彼が琳派を継ごうと決心するのは、谷文晁に、それを薦められたからと云う。迷いのある時、他人のアドバイスが、ちょうど心の中に染み入った感じだ。これで、やるべきことに目覚め、琳派の新しい取り組みに踏み出し、江戸琳派を形成する。

でも、苦労人ではないため、その描く絵は、すっきりしていて素直。これが、また多くの人々に支持される要因らしい。本人は、色々苦悶の日々があったのかもしれないが、やりたいことをやって、幸せな人だ。

*注1

忠以が姫路藩城主の頃、天明の大飢饉が起こり、藩内も大打撃を受ける。それがため、藩政改革に取り組もうとするが、既得権を主張して反対する者が多く、改革はままならない。そういうこともあり、忠以は十分、芸術の分野に関心があったが、時間が取れなかった。

抱一は、兄の後を受けて、姫路城城主になることも考えられたが、その苦労を知っていたので、敬遠し、芸術の道を歩むため、方便として出家したとも考えられる。見方によっては、逃げ込んだとも言える。

*注2

彼は、酒井家より千石五十人扶持を得ていた。だから道楽できるわけ。吉原で、彼の流儀で遊びまくっている。そして、遊女を身請け。後、彼女も、抱一に影響されて、それなりの絵を描き、詩文も嗜むようになったらしい。彼女の才能を見抜き、身近な同士が欲しくなり、身請けしたとも考えられる。

*参考

作品内容については、触れず仕舞いだが、基本的に琳派の流れである。それを彼が、どのように解釈したかが見もの。流風には詳しいことはわからない。次のようなテレビ解説があるようだから、参考にしてみようとは思う。

9月18日日曜日午前9時から9時45分まで、NHK Eテレ 日曜美術館にて、「酒井抱一 ~江戸によみがえる琳派~」として、紹介される。

*追記

姫路市立美術館 http://www.city.himeji.lg.jp/art/kikaku/index.html

なお、図録は、地方の美術館の催しにしては、立派。力が入っていることが、よくわかる。美術館に行けない方は、図録だけでも楽しめるだろう。図録は、直接、美術館に申し込めば、発送してくれる。

*平成23年10月1日追記

姫路での展覧会は、明日10月2日でいよいよ終わる。見逃した人は、次の会場でどうぞ。

  千葉市立美術館 平成23年10月10日より11月13日まで。

  細見美術館    平成24年4月10日より5月13日まで。

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2011年9月11日 (日)

播磨の織物~播州織

播磨の織物としては、播州織がある。それは兵庫県西脇市を中心として生産されている。先日、西脇市の学生が、東日本大震災で被災した小学校に、自らデザインして、作ったエプロンを贈呈していたが、評判も上々のようであったと聞く。

播州織は素材は木綿だ。作られ普及するようになったのは江戸時代後期。西脇周辺は、水が少なく、ため池に依存していた。だから、雨が降らなくなると、農業生産は滞る。そこで干ばつに強い綿花を生産するようになる。

となれば、自然の成り行きで、大きな農家では、自家用に、糸を紡いで染めて織物を織っていた。それは主として農家で働く農閑期の女性の役割だ。ただ、ほとんど手作業で効率が悪く、せいぜい自家用が限界。

ところで、この地、比延村(現在の兵庫県西脇市比延町)に建築がうまい飛騨出身の宮大工の匠が住んでいた。名を出身地にちなんで、飛田安兵衛という。彼は仕事で京に上り、御所の仕事などをするが、その関係で西陣辺りにも通りかかる。当時、西陣織は、足踏み式が普及していた。

その時は、何となく見ていたのだが、西脇に帰ると、そこでの織物のやり方は、相変わらず座って織っているから、なかなかはかどらないのを発見する。それならと、扱う生地は違うけれど、同じやり方をすれば、もっと楽ができるではないかと閃く。

元々大工だから、木工の扱いはお手の物。それでも、いろいろ試行錯誤しながら、仕事の合間に、数年かけて、やっと作り上げた。そうすると、それを使うと、生産力は数倍になり、余りを売ることができるようになる。それは、やがて、「播州縞(じま)」と呼ばれ、いつの間にか、「播州織」と呼ばれるのが普通になる。

また、当時、織物は、普通、糸を紡ぐこと、染色すること、織ることは分業されていたが、播州織は一貫生産だったことが、コストを下げたのは確かだろう。価格的にも、庶民向けにちょうど良い。これに着目して、全国に広めたのは姫路藩家老河合道臣(みちおみ、後、隠退して、寸翁と名乗る)だ。彼は一手に取り扱い、全国に広め、財政再建の一助にしたと云う。

*追記

それにしても、不思議な縁を感じる。まず、飛騨出身の飛田安兵衛が出てきて、比延町に移り住んだこと。彼が京都で仕事をして、西陣織の現場を見たこと。アイデアを実現しやすい大工だったこと。そして、財政再建にあえぐ姫路藩が探し求めていた商材になったことなど。

*追記

最近、播州織の端切れを使って、扇子を作ったところ、価格も比較的安く設定したため、好評で引き合いが多かったらしい。アイデアのチャンスは、足下にあるということだろう。

*追記

なお、2016年に、飛田安兵衛没後200年を迎える。何か行事が行われるのかな。

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2011年9月10日 (土)

流行らない酒屋

原因・結果の法則があるが、多くのことは、実際、そうであろう。原因もなく、結果は生じない。結果の大本になる原因に十分配慮する必要がある。少し、観点は違うが、『寒山拾得』にも、そういうことが例え話として記されている。

ここでは原文は記さないが、その一文を、流風なりの解釈として、次に示そう。

「大きく構えている、あの店は誰が経営する酒屋なのだろうか。その店の売る酒は、馥郁たる香りで濃厚で味がいい。店の目印である幟も高く掲げられ、目立つ。升目も正確で、客を騙すようなこともしない。

ところが、どうしたことだろう。来客が少しも無くて、全く売れない。いろいろ見ていると、その家は、猛犬を何頭も飼っている。そういうわけで、子供がお使いとして買いに行こうとしても、犬が咬まないか心配で、店の前まで来ても、すぐ退散してしまう」

この文の本来の趣旨は、君主に、賢人が進言しようとしても、奸臣が邪魔をして、阻害されることを皮肉っている。これは、あらゆる組織に、多かれ少なかれ見られるものだ。それが過ぎるとは、組織は乱れ、腐り、朽ちていく。

逆に、一つの阻害要因を除くだけで、組織が活き活きと生き返ることもある。それはガーデニングにおいて害虫を除くのと似ている。そして、害虫は、一回除いただけで満足してはいけない。常に目を光らし、注意する必要がある。組織を枯れさせないようなチェック体制が望まれる。

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2011年9月 9日 (金)

秋の古今集の和歌

       秋きぬと 目にはさやかに 見えねども

      風の音にぞ おどろかねぬる

      (藤原敏行朝臣、古今集巻第4)

朝夕が、ぐっと涼しくなって、半袖では寒いくらいだ。そろそろ秋の出番だ。蝉の声に代わって虫の音がにぎやかだ。ちょうど、今は、藤原敏行朝臣の和歌は、誰もが知っているが、ちょうど似つかわしい。彼は、歌人として、なかなかのセンスだ。日本人の秋の感性をうまく詠み込んでいる、いい歌だ。

そして、秋の月を見上げると、次のような気持にもなる。

   月みれば ちぢに物こそ 悲しけれ

      わが身ひとつの 秋にはあらねど

       (大江千里、古今集巻第四、百人一首第23番)

本日9月9日は重陽の節句。そして幾日か過ぎると中秋の名月だ(今年2011年は9月12日)。秋の月は、どこか寂しい。風が冷たくなるからだろうか。夜の闇が深くなるからだろうか。光と影。日本人の心に微妙に影響する。

大江千里の歌も、そのような状況で詠まれたのだろうか。大江千里(おおえせんり)という歌手もいたが、同姓同名だが、彼とどういう関係があるかは知りません(笑)。最近の若い人は知らないだろうな。こちらの本家は、「おおえのちさと」と読む。

大江千里は、行平や業平の甥(甥の子という説もある)で、漢学者になるが、彼は儒官として博覧強記だったらしい。歌は本来、専門ではなかったが、天皇の詔により、止む無く、古い中国の漢詩をもじって作歌したらしい。つまり訳して、翻案して新しいものに練り直した。いわゆる、翻訳のはしりだ。

そして、この歌で、秋は悲しいものであり、それは月を見ることによって更により強く思われると初めて文学上、指摘されたと云われる。本日は、重陽の節句、進みゆく秋を感じながら、菊を浮かべて、酒を嗜みますか。数日後の中秋には、団子を作って、名月を拝むとしますか。

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2011年9月 7日 (水)

講談のこと

     講談師 見てきたような 嘘を言い

講談師とは、確かに、そのような人物と評価されてきた。現代では、政治評論家のことを指すのだろうか。講談は、元々小さい話を話を大きく広げ、面白おかしく大袈裟に話す。浪曲師も同じかもしれない。祖父は浪曲同様、人情話を好んで聞いたが、父は、史実に基づかない作り話として敬遠した。

最近は、街で講談を聞く機会がない。講談は、元々江戸で始まったようだから、関西では浪曲(浪花節)に比して、馴染みが薄いのだが、子ども時代は、時々、公演されていた。流風は、子供心に、浪曲は分かりにくいが、講談は何とか理解できると思ったものだ。それほど、話を分かりやすく話す。

さて、その講談だが、それは軍書講釈として始まったと云われる。軍書講釈とは、慶長の頃、家康の御前で、赤松法印という人が、『太平記』講釈講釈のが始まりらしい。ちなみに家康が、『太平記』の講釈に関心を持ったのは、天下を取った徳川家の正統性を裏付けるものが欲しかったと云われる。

やがて、それは一般人に対して講釈する町講釈というものが生まれる。町講釈は浅草御門の傍らで始めたようだ。最初に清左衛門という人が、人を集めて『太平記』を講釈した。

しかしながら、「軍書講釈」と「町講釈」の境界は曖昧で、「町講釈」師であっても、武家の前で講釈すれば、「軍書講釈」師となるようなものだったらしい。そして、共に最初に取り上げられた題材が『太平記』というのも、妙な一致だ。

というのは、彼らは概ね武士出身の浪人で、仕官がならず、止むなく講釈師の道に踏み込む。そういうわけで、彼らにとって、『太平記』の軍略は、日常的に武士の関心事で、材料にしやすかったのかもしれない。

その後は、時代が進むにつれて、その時代の話題を取り込み、聞き手に心地よい勧善懲悪の話とか人情話を取り込んでいく。ところが、最近は、このような講談が、最近は、テレビ以外で、聞くことは難しくなっている。

子供でも理解できる講談は、紙芝居と違って、自分で映像を想像力を働かせて聞くものだ。紙芝居も、子供の教育に役立っていたと思うが、子供向け講談も含めて、もっと広めて欲しいものだ。

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2011年9月 6日 (火)

小人の使い方

藤田東湖が小人の使い方について述べている。「小人であればあるほど、才芸があり、器用なものである。いわば使いやすい。これは是非とも上手に使わねばならぬ」。

これは何を語っているのか。多分、才あるものは、一般に、ある分野に限っては、よく通じて知っている。そのような専門家を上手に使うことは大切だと説いているのだと思う。政治家の皆さんは、お分かりですよね。

続けて彼は指摘する。「さりとて、長官に据え、重職を授けることは避けた方がよい。必ず大事を誤って邦家をくつがえすもの故、決して最上位に立たせてはならない」と。

どの分野であっても専門家は専門分野に通じていても、どうしても視野が狭くなりがち。彼らをトップに据えると、全体的視野がないため、大きく判断を誤る可能性が高い。日本の政治が、遅れているのは、官僚の使い方を間違ったのが大きな理由だろうと思う。

また、西郷隆盛は、「世の中、十人中、七、八人は小人だ」と指摘する。そして、小人を使うには、「小人の実情を察して、その長所を採り、これを小機(*注)に用い、その才芸を尽くさしめることが肝要」と言う。要するに、大人(たいじん)と小人の使い分けを言っているのだ。

これらの言は、東湖、隆盛共に、小人の使い方のポイントを突いている。時代が変わっても同じだろう。

*注

隆盛が使っている「小機」とは、本来、仏教用語だが、その意味ではなく、単に「目先の小さな機会」というような意味のようである。逆に、「大機」という言葉もある。これも同様に仏教用語。大乗仏教と小乗仏教から出た言葉の様である。だから、西郷流に「大機」という言葉を使うとすれば、「大局を見据えた大きな機会」と言う意味になる。

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2011年9月 5日 (月)

これからの中小企業の重点課題 その一 海外企業管理

円高だと騒ぐ企業が多い中、目端の利く企業は、円高を利用して海外企業の買収に動いている。これは単に大企業だけでもない。中小企業でも、その気になれば、それは可能だ。もちろん、海外進出して、失敗した例は山と聞かされているだろう。

政治体制の違い、文化の違い、商習慣の違い、従業員意識の差など、いろいろ苦い経験をした経営者もいることだろう。ただ、成功した経営者ほど、あまり話さないから、失敗例だけが余計に目立っていることに注意しなければならない。

もちろん、失敗例から学び、そういうことをカバーするには、買収企業や進出企業における海外企業管理が重要となる。そのためには、管理オペレーションに長けた人材が必要なのは言うまでもない。成功した企業は、いろんな要因があるが、内外の人材を確保したことが大きい。

日本にとって、企業規模に関わらず、国内市場を考えると、海外への展開は避けられない。となると、経営者は、そのような人材確保・育成にもっと熱心になっていいだろう。国としても、そういうことに配慮・後押しすべきだ。また学生たちも、そういう分野への準備をした方が賢明だ。

*注記

以上の記事は、海外生産を、部品ごとに多国籍でやることを前提としている。一か所に完成品を任すことは考えていないし、それは日本にとっても望ましくない。多国籍に複数の工場を持つことで、各国の工場管理と物流管理が、重要な意味を持つ。

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2011年9月 2日 (金)

お辞儀の価値

子供の頃、近所の人に出会ったら、必ずお辞儀をしなさいと、母によく言われた。母と一緒に出かけて、お辞儀をしないと、頭を無理やり後ろから押されて、お辞儀させられたことを思い出す。子供は、お辞儀の意味を理解していないし、当時、嫌なものだったと思いだす。

さて、企業の不祥事等で、役員が並んで記者会見して、一斉にお辞儀をしている場面が、よく映し出されるが、彼らが本当に詫びているのか疑問に思われることも多い。多分、彼らは本当に反省していないのだろうなと思う。

彼らの心情を推量すれば、多分「何で自分たちだけが、こんな目に遭わなければならないのか。これは先代の指導が悪かったからではないか」という風なことを考えているのではないか。

たまたま事件を起こした部下の上司だったとか、たまたま経営者になった途端に起こった事故とか悔やんでいるのではななかろうか。そこには謝罪の気持ちは概して薄い。現在、裁判になっている、あのJRの脱線事故についても、起訴されている前社長は、なぜ自分だけと思っているフシも態度から察せられる。

では、本来のお辞儀の価値はどのような姿が望ましいのだろう。明治の易学の大家、高島嘉右衛門は、次のように語っている。

「人間というものは、自分で骨を折っておいて、それでお辞儀をしておれば、決して間違いのないものだ」と。更に続けて彼は言う。「自分でやらねばならぬこともやらんで、ただペコペコしていたって何にもならん」と。

やることをとことんやって、お辞儀をする、それくらいでちょうどいいのだ。そこには、感謝の気持ちが溢れている。謝罪するような破目に陥らないようにするためには、経営者は、もっと骨を折る必要があるということだろう。

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2011年9月 1日 (木)

腰軽く、腰低く

商人の行動原則は、腰軽く、腰低く、ということを母はよく言っていた。腰軽くとは、世の中、腰の重い人が多くいるから、商人は、腰を軽く、さっさっと動いてやれば、ビジネスになるというのだ。だから、腰の重い人は、商人にはなれない。

もう一つの腰低くとは、世の中、誰が顧客なるとは分からない。気の合う人、気の合わない人、色々いるが、顔には出さずに、腰をいつも低くして挨拶しておれば、意外な人が顧客になるかもしれない。人見知りしたり、威張り散らしていれば、わさわざ顧客にはなってくれないのは明らか。

人見知りしたり、威張りたいのなら、商人は止めとけとなる。そして、どんなに儲かっても、いつも腰低くして謙虚でいることが大切。「もうかりまっか」と聞かれたら、「あきまへん、ぼちぼちですわ」と答える大阪商人には深い智恵がある。

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