« 腰軽く、腰低く | トップページ | これからの中小企業の重点課題 その一 海外企業管理 »

2011年9月 2日 (金)

お辞儀の価値

子供の頃、近所の人に出会ったら、必ずお辞儀をしなさいと、母によく言われた。母と一緒に出かけて、お辞儀をしないと、頭を無理やり後ろから押されて、お辞儀させられたことを思い出す。子供は、お辞儀の意味を理解していないし、当時、嫌なものだったと思いだす。

さて、企業の不祥事等で、役員が並んで記者会見して、一斉にお辞儀をしている場面が、よく映し出されるが、彼らが本当に詫びているのか疑問に思われることも多い。多分、彼らは本当に反省していないのだろうなと思う。

彼らの心情を推量すれば、多分「何で自分たちだけが、こんな目に遭わなければならないのか。これは先代の指導が悪かったからではないか」という風なことを考えているのではないか。

たまたま事件を起こした部下の上司だったとか、たまたま経営者になった途端に起こった事故とか悔やんでいるのではななかろうか。そこには謝罪の気持ちは概して薄い。現在、裁判になっている、あのJRの脱線事故についても、起訴されている前社長は、なぜ自分だけと思っているフシも態度から察せられる。

では、本来のお辞儀の価値はどのような姿が望ましいのだろう。明治の易学の大家、高島嘉右衛門は、次のように語っている。

「人間というものは、自分で骨を折っておいて、それでお辞儀をしておれば、決して間違いのないものだ」と。更に続けて彼は言う。「自分でやらねばならぬこともやらんで、ただペコペコしていたって何にもならん」と。

やることをとことんやって、お辞儀をする、それくらいでちょうどいいのだ。そこには、感謝の気持ちが溢れている。謝罪するような破目に陥らないようにするためには、経営者は、もっと骨を折る必要があるということだろう。

|

« 腰軽く、腰低く | トップページ | これからの中小企業の重点課題 その一 海外企業管理 »

経営関連」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 腰軽く、腰低く | トップページ | これからの中小企業の重点課題 その一 海外企業管理 »