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2011年9月 7日 (水)

講談のこと

     講談師 見てきたような 嘘を言い

講談師とは、確かに、そのような人物と評価されてきた。現代では、政治評論家のことを指すのだろうか。講談は、元々小さい話を話を大きく広げ、面白おかしく大袈裟に話す。浪曲師も同じかもしれない。祖父は浪曲同様、人情話を好んで聞いたが、父は、史実に基づかない作り話として敬遠した。

最近は、街で講談を聞く機会がない。講談は、元々江戸で始まったようだから、関西では浪曲(浪花節)に比して、馴染みが薄いのだが、子ども時代は、時々、公演されていた。流風は、子供心に、浪曲は分かりにくいが、講談は何とか理解できると思ったものだ。それほど、話を分かりやすく話す。

さて、その講談だが、それは軍書講釈として始まったと云われる。軍書講釈とは、慶長の頃、家康の御前で、赤松法印という人が、『太平記』講釈講釈のが始まりらしい。ちなみに家康が、『太平記』の講釈に関心を持ったのは、天下を取った徳川家の正統性を裏付けるものが欲しかったと云われる。

やがて、それは一般人に対して講釈する町講釈というものが生まれる。町講釈は浅草御門の傍らで始めたようだ。最初に清左衛門という人が、人を集めて『太平記』を講釈した。

しかしながら、「軍書講釈」と「町講釈」の境界は曖昧で、「町講釈」師であっても、武家の前で講釈すれば、「軍書講釈」師となるようなものだったらしい。そして、共に最初に取り上げられた題材が『太平記』というのも、妙な一致だ。

というのは、彼らは概ね武士出身の浪人で、仕官がならず、止むなく講釈師の道に踏み込む。そういうわけで、彼らにとって、『太平記』の軍略は、日常的に武士の関心事で、材料にしやすかったのかもしれない。

その後は、時代が進むにつれて、その時代の話題を取り込み、聞き手に心地よい勧善懲悪の話とか人情話を取り込んでいく。ところが、最近は、このような講談が、最近は、テレビ以外で、聞くことは難しくなっている。

子供でも理解できる講談は、紙芝居と違って、自分で映像を想像力を働かせて聞くものだ。紙芝居も、子供の教育に役立っていたと思うが、子供向け講談も含めて、もっと広めて欲しいものだ。

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