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2011年10月31日 (月)

街に溶け込む現代アートに

先日の新聞記事(神戸新聞)で、初めて知ったのだが、神戸には、「C.A.P.(芸術と計画会議)」という随分堅い名称のNPO法人があるらしい(*注)。この会議の趣旨は、簡単にいえば、アートを街に飛び出させよう、ということのようだ。

美術館や博物館、あるいは画廊などに留まらず、街の中にアートを繰り出して、社会との接点を強めて、街を主体的に改革させる。そういう街の活性化の起爆剤にアートの活用を世の中にもっと認知してもらうことのようだ。

そのC.A.P.(芸術と計画会議)は、2011年11月3日(午前10時より午後9時まで)に、「CAPARTY(キャパティー)」というアートを楽しむパーティを開くそうだ。場所は、神戸市立海外移住と文化の交流センター(神戸市中央区山本通り3)だ。実に36回目だそうだが、全く知らなかった。

今回のキャパティーのコンセプトは、「客富(きゃっぷ)商店街」。客を富ませる商店街とC.A.P.を掛けたダジャレらしい(笑)。寂れる傾向の強い商店街をアートで活性化しようとする意味があるのだろう。

これはそういう観点で、すでに神戸ビエンナーレの元町高架下アートプロジェクトで展開され、街の中に飛び込んでいる。彼らと同じような視点なのかもしれない。どういうものか確認したい気持ちはあるが、今年は11月3日は他の予定があるので、残念ながら見には行けない。

現場に飛び出す元町高架下アートプロジェクトも捨てがたいが、今回のC.A.P.(芸術と計画会議)によるキャパティーは、商店街に展開する手法の展示会的な意味に近いかもしれない。そういうやり方も必要かもしれない。ただ、あまり独りよがりにならないことだ。

いずれにせよ、近所で食事しながら、もっと気軽にアートが楽しめ、社会にアートが溶け込むことが望ましい。今後は、そういう空間づくりが求められているのではなかろうか。現代アートが、新しい“浮世絵”になるのも近いかもしれない。敷居の高いアートよ、さようならとなっていくのだろうか。

*注 C.A.P.(芸術と計画会議

      http://www.cap-kobe.com/

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2011年10月30日 (日)

求められる美術館・博物館周辺の大人の遊園地化

先日行った浮世絵展は、高齢者の人々で盛況だった。今回に限らず、どこで開催しても、浮世絵は、高齢者に強い人気がある。またジュディ・オング版画展では、年齢層は、やや広がって、彼女の若い時の活躍を知っている同年代の中高年が多く鑑賞に来ていた。

ただ、日本の芸術鑑賞は、美術館・博物館で作品を鑑賞して終わり、ということが多い。もっと考えを柔軟にして、美術館や博物館周辺をアートの遊園地にしてはどうかと思う。関連商業施設があってもいいと思うのだが、残念ながら、ないところがほとんどだ。

人々は、そのように望んでいるような気がする。特に女性には、おしゃべり空間が求められる。というのは、美術館・博物館内では、おしゃべりはできない。館外に出て、すぐおしゃべりできる場所が欲しいそうだ。

春や秋なら、館外のベンチや芝生で楽しめないこともないが、限界がある。それなら、美術館とか博物館でのアートの展覧会等、特別な空間に、作品を展示するだけでなく、休憩スポットも含めて、もっと関連空間を広げた方がいいと思う。

ところが、博物館にしろ、美術館にしろ、館内に単独の飲食施設があるものの、必ずしも気軽に利用できる形態ではない。館内に喫茶店があってもいいとは思うが、思い切り、おしゃべりできる空間ではない。

となると、館外周辺に、そういう施設があればいいのだが、残念ながら、ない場合が多い。博物館や美術館周辺には、どういうわけか、こういう施設の周りに、飲料施設を設けることが憚られるのか、あるいは制限しているのか、料飲施設が少ない。法的な規制があるのなら、見直しも必要であろう。

求められるのは、その地域が、大人が終日過ごせる、大人の遊園地化が求められる。美術品を鑑賞して終わりにしてはならない。明らかにビジネスチャンスを逃している。施設の周辺に、関連施設や飲食店が進出できる仕組みにすればいい。もちろん、美術館・博物館のイメージを壊さないような仕組み・配慮は求められる。

*追記

尤も、上記の意見は、地方の美術館・博物館だけに言えることかもしれない。都市部は、それなりに、すでに遊園地化しているところもある。ただ、百貨店等のアートの催しは、十分でないと感じる。

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2011年10月29日 (土)

最近の日本企業の不祥事2011

最近の企業の不祥事としては、オリンパスと大王製紙が挙げられるかもしれない(*注)。前者は、海外企業買収に伴い、不明企業に仲介料として、法外な金が支払われている。後者は、カジノにおける博打資金に企業の巨額な資金が引き出されて使われている。

つまり、ビジネスとは関係のないお金が、企業外部に流れているのだ。細かい内容については、部外者には、なかなか分からないが、両者共に、企業統治と経営者として資質に問題があったことは確かだろう。そして、企業体質も問われている。

彼らが暴走した原因は何か。推定すれば、考えられるのが、経営者の過去にスキャンダルがあり、第三者に弱みを握られていたのかもしれない。第三者は、常にスキャンダルの種を蒔き、それらに食いつくのもを待っている。

海外の報道によると、両者共に、闇社会との関わりが指摘されている。ここら辺は、サスペンスドラマを、そのまま地で行く感じだ。日本では、暴力団対策法、総会屋対策などが、なされてきたが、経営者自身が自覚しないと何も変わらない。

彼らには、あまりにも、付け込まれる隙が大きかったのだろう。結果的に、日本の法律逃れに、海外を舞台に闇社会と取引して処理しようとしたのだろうが、所詮、無理があった。

それにしても、あれほど大きい金額なのに、会計監査はなぜ気付かなかったのか。あるいは見逃したのか。会計監査が企業と談合していたと受け止められても仕方ない。内部監査と外部監査が十分に機能していない。会計監理会社も、きちんと会計監査しているか疑わしい。

今、TTPが何かと騒がしいが、米国の目的は、サービス業の日本への参入であろう。こんなことが続くなら、日本の会計監査は、TPPにより、海外の監査会社を入れて、切磋琢磨する方向にした方が望ましいかもしれない。

もちろん、大切なのは、企業の経営姿勢であり、経営者の資質にある。企業の危機管理が、改めて問われる。

*注

もちろん、最大の不祥事は、東京電力の福島原発事故である。あれは震災による津波が引き起こしたが、基本的には人災である。本来、最早、この企業の存在さえ、許されない。ところが、政府は、リストラも不十分な段階で、電気代の値上げを認めようとしている。

*平成23年11月9日追記

報道によると、オリンパスは、財テクの失敗の穴埋めをファンドで埋めようとしたらしい。また簿価会計から時価家計への移行したのに、適切に処理できなかったようだ。経営者の見栄が生み出した犯罪のようだ。ええかっこしいの経営者は危ないということかもしれない。

*平成24年4月14日追記

現在のところ、両社共に、上場廃止にはなっていない。何しろ海外の投資家も、上場廃止には積極的意見はなかった。彼らが投資しているのが棄損することを恐れたのかもしれない。日頃は偉そうに言う欧米投資家も、我が身に災難が降りかかろうとすると、いい加減なものだ。

ただ、東証の判断は依然として甘く、日本市場への投資家は、対象案件を慎重に調べて投資すべきだろう。大体、上場基準や上場維持基準が甘すぎる。多くの関係者に配慮するから、そのようなことになる。

資本の論理は、もっと合理的でなければならない。世界で、上場企業の質が問われているのに、東証の旧態依然の状態が続くなら、投資家から見捨てられるだろう。企業の情報公開のシステムが曖昧なままだと、今後も日本の市場は縮小していく可能性が高い。

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2011年10月28日 (金)

相楽園の催し・中国画家(何昌林)展2011

少し前に、菊花展について少し触れたが、神戸・相楽園では、すでに10月20日から始まっている。今年も、日程は決めていないが、鑑賞に行く予定だ。そしたら、先日、津村という方から、ある催しについて、コメントを頂いた(但し、記事テーマとは内容の異なる所へのコメントであったので、流風の公開のルールに従い、公開はしていない)。お名前から察するに、もしかしたら、津村氏は、何昌林のコレクターかもしれない。

内容は、相楽園において、11月10日から11月23日まで、「何昌林絵画展」があるという。以前の流風のブログを読まれて、コメントされたようだ(できれば、その記事の所にコメントして欲しかった)。彼の作品は、3年前に、同所で鑑賞しているから、久しぶりの展覧会ということになる。前回の時は、中国・四川大地震があった後の催しであった。それゆえ、感慨も深かった。神戸も大地震を経験しているからだ。

今回は、東日本大地震後の開催となる。なぜか地震つながりだ。開催者に、そういう意思があるのだろう。作品は、30点ほど展示されるらしい。内容は、以前同様、四川省の少数民族を描いた作品。3年前より、その後、作品に、どのような変化があったか、確認してみたい。場所は、相楽園内、うまや画廊(旧小寺家厩舎)。

また11月13日(日)には、午後3時から4時半まで、前回同様、徐莉氏(ピアノ梅津幸子&アンサンブル・ソレイユ)による歌の公演がある。場所は、厩舎前広場。

相楽園の菊花展は、いずれにせよ行く予定していたので、11月10日以降に延ばし、その時に、絵画の方は鑑賞しようと思う。歌の方は、今は神戸を離れてしまったので、時間的に微妙だが、できるだけ聞いてみたい。

尚、それぞれの鑑賞には、菊花展の入場料のみ必要。

*平成23年11月13日追記

本日、相楽園の菊花展を観てきた。残念ながら、菊も終わりかという印象を受けたのは、午後の3時過ぎに行ったからであろうか。少し褪せて見える。

そして、中国画家(何昌林)展を鑑賞。絵のスタイルは以前と同じだ。ただ対象が、うろ覚えだが、以前は高齢者に焦点が行っていたと思うのだが、今回は、赤子から小さい子供に焦点が当てられているように思えた。それぞれに若干のユーモアを交えて描かれていた。どこか懐かしい、ほっとするような絵には違いない。帰りにポストカード(5枚組)を買い求めた。

うまやライブについては、若干期待外れ。中国の歌を期待していたのだが、テーマが「なつかしい日本の詩」であった。歌いにくそうに日本の歌を歌われても、「日本歌のど自慢」じゃあるまいし、そんなに感動はない。今後、同様の催しをされるのなら、日本の曲は、2,3曲混ぜる程度でいいのでは。

*参考 

拙ブログ 2008年11月17日付 「相楽園と中国画家展」

相楽園に久しぶりに行ってきた。毎年、菊の季節には、訪れるのだが、今年の菊も美しかった。ここは、そんなに観光客も来ないところだと思うが、さすがに、この時期は、少し多い。落ち着ける庭園には違いない。皆さん、ゆったりと菊を鑑賞されている。

ここの見所は、庭園での菊花展のような催しのほかに、旧ハッサム住宅、旧小寺家厩舎、舟屋形などがある。大体、春と秋に催しが多いようだ。今回は、旧小寺家厩舎が公開されていた。

そこでは、四川省画家・何昌林氏による絵画展が催されていた(2008年11月23日まで)。四川省南西部の少数民族に題材を取ったもので、独特の風俗が描かれていた。そこに派遣された何氏は漢民族らしいが、少数民族の特徴をよく捉え、そこに愛情というか、尊敬さえも感じたような描き方だ。

それは未開の厳しい自然の中で育まれた何かを感じ取ったのだろう。都会との落差を痛切に感じたのかもしれない。日本でも、都会は、歌ではないが、砂漠と感じる人は少なくないだろう。相楽園のような庭園に来る動機づけも、多分そういうところから来ている。

そして、今回は、「うまやライブ」として、中国の江蘇省出身の歌手、徐莉氏による、「中国情歌~少数民族の心~」が催された。十曲程度歌われ、その意味はわからなかったが、雰囲気は味わえた。雰囲気をブログで表すことはできないが、その題だけでも示しておこう。

  1   ジャスミンの花             江蘇省民謡

  2   刺繍の贈り物              山西省民謡

  3   太陽の喜び               四川省民謡

  4   康定情歌                四川省民謡

  5   四季の歌                青海省民謡

  6   恋人たちの調べ            雲南省民謡

  7   遠く離れたかわいい娘        青海省民謡

  8   マイラ                  新彊省民謡

  9      月光の下で               新彊省民謡               

  10    小川の流れ               雲南省民謡

歌声を聴きながら、時を忘れ、遠い地に思いを馳せた。たまには、こういう時間を過ごすのも悪くない。いつもは、学生による琴の音が多いが、今回は、絵画展に合わせた園長の粋な計らいに感謝。入園料300円で、十分お釣が来ました(笑)。

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2011年10月27日 (木)

高架下アートプロジェクトに行く

神戸ビエンナーレの一環として催されている元町高架下会場に行ってきた。以前、兵庫県立美術館会場と神戸ハーバーランド・ファミリオ会場には行ったのだが、元町は、まだ行っていなかった。前回のビエンナーレの感想を記したブログには、この催しのディレクターをされている大森正夫先生から、他の会場も是非とコメントを頂戴していたので、それならと、今回は、まず元町高架下会場行ったのだ。

実は、元町高架下の商店街(通称、モトコー)は、あまり行ったことがない。少しうす暗く、中央の通りも高架下ということで狭い。未だに戦後の匂いが残る寂れた感じだ。古着とか古物が多く扱われていたが、今はシャッター街になりつつある。

初め、歩いていくと、なぜ、こんなところを会場にされたのだろうかと思った。JR神戸駅を降りて、モトコー7から歩き始めると、シャッター街に、13のアート作品が、ぽつぽつと展示してある。それぞれに特色のあるものだ。また昼に観るのと、夜に観るのとでは、感じ方が異なるだろうなと思う。

そして、モトコー1に到着。通しで観て、やっと趣旨が分かったような気がする。つまりアートを通じての町おこしなのだ。これを機会に、ここは全面的にイメージ転換されるかもしれない。若者向けに出店が促されて、いずれ、若者たちで賑わうのだろう。すでに、そういう店舗もある。

モトコー1を出ると、そこは元町駅西側の、よく見なれた風景。長い間、モトコーには来てなかったということだ。今後は、時々、お邪魔するかもしれない。アートの力、恐るべしである。まあ、今回の感想はそういうことで。

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2011年10月26日 (水)

ショウガ湯の季節

今日は、朝起きると、冷っとしている。温度計を見ると14度だ。いつもより6度も低い。寒いわけだ。これから、段々より寒くなっていくのだろう。温かいものが美味しい季節だ。これからは鍋料理が増えるかも。あれは楽だから(笑)。

後は、冷えるから体を温めないと。今年は、フリースを二着用意したので、用意万端問題なし。後は飲み物だ。コーヒー、紅茶もいいけれど、飲み過ぎるとカフェインが気になる。となると、毎年作るのが、レモン汁を少し多めに蜂蜜レモン。蜂蜜が相当減っているので、買い足さねば。

そして、ショウガ湯だ。これはブログで、モデルのどなたかが記していたので、数年前から試している。確かに体がぽかぽかするのは確かだ。ただ調子の悪い時には、生姜をするのも辛い。そこで、今年は、インスタントのショウガ湯を買ってみた。

いろんなタイプを買ってみた。似ているけれど、微妙に違う。どちらも、なぜか広島の会社だった。それぞれ飲んでみると、少し甘いが、美味しい。効果も、同様にあるようだ。今年は、これで苦手な冬を乗り越えよう。

*追記

風呂に入る前に、ショウガ湯を飲み、風呂に入ってから就寝すると、ポカポカしている時間が長い。日によっては、朝まで暖かい。これは、ある意味、省エネに役立つ。

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2011年10月25日 (火)

松浦佐用姫のこと

今回は、松浦佐用姫(まつらさよひめ)のことを取り上げてみよう。実は、最近、拙ブログは、神戸を含む播州地域のネタを中心に記しているのだが、松浦佐用姫の「佐用姫」に引っかかりを覚え記すことにした。この話は、佐賀県唐津の人だったら、地元の話として、誰でも知っているということだ。

ところが、兵庫県には佐用郡佐用町がある。調べたわけではないが、全国に、このような名の町は、あまりないはずだ。古代の人の女性の名に、なぜ「佐用」という名がついているのか。そこに疑問を持った。でも、以下の流風の話は、全て、妄想かも(笑)。

まず、彼女の名前を有名にしたのは、『万葉集』巻五の「松浦川に遊ぶ序」に続く、和歌と一文に松浦佐用姫のことが記されているので、少し長いが、それを挙げておこう。

「大伴佐提比古郎子(おおとものさでひこのいらつこ)、ひとり朝命を被り、使を蕃国に奉はる。艤棹(ふなよそひ)して、ここに帰(ゆ)き、やくやくに蒼波に赴く。

妾松浦(佐用姫)、この別れの易きことを嗟(なげ)き、その会ひの難きを歎く。すなわちたかき山の嶺に登り、離り去く船を遥望し、悵然肝を断ち、黯然(あんぜん)魂を銷つ。

ついに領巾(ひれ)を脱きて麾(ふ)る。傍らの者、涕(なみだ)を流さずといふことなし。よりて、この山を号(なづ)けて、領巾麾(ひれふり)の嶺といふ。

すなはち、歌を作りて曰く、

  遠つ人 松浦佐用姫 夫恋ひに

    領巾振りしより 負へる山の名」

これは、要するに夫の大伴佐提比が国の命令で、遣唐使(*注)に遣わされることになり、妻の松浦佐用姫が、もう二度と会えないのではないかと嘆きながら、夫の無事の帰国を祈って、山の上から領巾を振りつつ悲しんだと云う話。

彼女は遊女という話もあるが、明確にそうであるとも断定できない。大体、文学研究者は、素性不明な女性は、遊女とする傾向が強い。確かに、古代は巫女がイコール遊女であったことから、そういう話になるのであろうが、幾分短絡過ぎると思う。

そう考えれば、いろんな可能性がある。夫の海外派遣のため、九州に同道したのかもしれない。遣唐使船には乗る事は出来ないが、ぎりぎり乗船するところまでは見送りたい、というのが、彼女の気持ではなかったか。そう考えると、彼女が佐用の出身の女性であった可能性もないではない。

大体、こういう伝え話は、後世の者が、色々脚色する。『肥前風土記』に記されている話をベースに、『万葉集』では、旅人や憶良の想像で、書かれていると思う。更に時代が進むと、世阿弥は、各種伝説を組みあわせて、謡曲『松浦佐用姫』を創作している。

そして、時代と共に、それが真実のように語られる。そう考えると、文学とは、怖いものだ。

*注

歴史的には、遣唐使ではなく、任那に行き、百済を援けて、高句麗を討つために行ったという説ももある。彼は、どちらにも参加しているかもしれない。

*追記

『万葉集』の、この話は、大体、ほぼ同じ時期に編纂された『肥前国風土記』に伝えられる話を参考にして、話を広げた可能性もある。時代的には、これらの書籍ができる約1世紀前の話ではなかろうか。

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2011年10月24日 (月)

上からか、下からか

昔、母の世代の人たちが、時々、「嫁は、上からがいいか、下からがいいか」と喧々諤々とやって盛り上がっていた。上とか下というのは、家格の差のこと。当時は、今と違って、士農工商の身分意識とまでは行かなくても、家の格の考え方は戦後も残っていたようだ。

だから、金持ちでも、代々続く金持ちと成り上りの金持ちは、明確に区別したし、農家でも、戦前の庄屋クラスの大地主は、戦後の農地解放後、逼塞して、小作の方が強くなったのに、意識は、あまり変わらなかった人々もいるとのことであった。

普通、この上からか、下からか話題は、見合いでの金持ち同士の子息の結婚の場合、話題になる。本来、他人の息子さんの結婚問題についてだから、庶民には、あまり関係ないはずだ。関係ないことだけれど、女性は噂好き(笑)。色々詮索して、話題にして、お金持ちや逼塞した元金持ちの不幸を探し出して、留飲が下がる。まあ、そんなところだろう。

ところが、最初は、いろんな噂話で楽しんでいても、最終的には、自らの嫁姑の問題に転化させる。嫁に悩む姑同士の話になってしまう。つまるところ、結局、嫁をどのような所からもらうかという議論に終着する。

舅の場合は、嫁は異性であり、あまり、そういうことにあまり構わない人が多いとは思うが、姑にすれば、嫁は自らの文化の継承者として、それを素直に受け入れてくれる女性が望ましいと考えるようだ。そう考えると、同じような生活をしていた家庭から嫁を貰った方がうまくいくのではと考えるのが普通だろう。

ところが、女性は、どうも体裁を構い、嫁との立ち位置を考える傾向が強い。それが、「上からもらうか、下からもらうか」論議を引き起こす。体裁の発想では、「上から」もらうことを望むようだが、そんなことをすれば、自分の立ち位置に問題が生じる可能性もある。

それに相手が金持ちであれば、親類付き合いに何かと金がかかって仕方ないから、あまりよくないとも思うだろう。逆に「下から」貰っても、相手方に借金など抱えていれば、色々問題を起こす可能性もあり、嫁姑関係が難しいと云われる。

現代では、恋愛結婚が多いから、あまりそういうことに構わない傾向があるが、嫁姑のことは分からない。ただ家格などには、あまり拘らない方がいいだろう。残念ながら、どのような嫁を貰っても、いつまでも、嫁姑問題はなくならないのだろう。今は、大体、姑が辛抱して、嫁の方が強いようだが(笑)。

*参考

同様な議論に、西鶴 『万の文反古』巻二、「縁付まえの娘自慢」がある。この話は、上記の話とは逆に、娘を持つ親の立場で、婿をどう選ぶかを親戚の人が忠告する形になっている。

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2011年10月21日 (金)

萩と和歌

       我妹子に 恋ひつつあらずは 秋萩の

      咲きて散りぬる 花にあらましを

           (万葉集巻第二、一二〇、弓削皇子)(*参考)

我が家の萩の花も満開だ。萩はススキと同様、秋を代表する花だ。年々、その枝ぶりは盛んだ。周囲にある木々に対して、そこを除けとばかり、枝を延ばし、多くの枝が重なるようになり、たくさんの花をつけている。

この花のイメージは、どこか頼りなくて、すぐ散ってしまう、弱々しい。可愛い花で、すぐ散ってしまうことから、儚さを感じさせる。ところが、ここまで盛んに成長すると、若干イメージも違ってくる。そもそも、この木は、痩せ地にも強い木のようだ。

毎年、咲き終わったら、根元から枝を切り取るが、年が変わると、また新しい枝を延ばし茂る。切られても、切られてもという感じで、木の本質は強いのだ。これは外見は弱そうに見えても、実際は芯の強い女性に当てはまるのかな。まあ、最近は、外見も強い女性が多いから、萩と形容するのは若干憚られるが(笑)。

*参考

この歌は、弓削皇子が、紀皇女という異母妹を思った歌。許されぬ想い。紀皇女は文武天皇の皇后になっており、難しい関係で色々噂される。この歌は、いろんな物議を醸したかもしれない。解釈としては、次のように癇癪される。

「あの女性に恋をして思い悩むことなどなく、この想いも、あの萩のように、咲いても、ぱっと散ってしまった方がずっといいのになあ」という感じかな。

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2011年10月20日 (木)

自転車、車道通行強制に異議あり

東日本大震災以後、交通手段として、自転車の利用をする人が増えている。それ自体は問題ないと思うが、交通事故が増えているようだ。実際、交通マナーの悪い人たちは、前からいる。それは老若男女を問わない。

そこで警視庁は、まず自転車の車道通行の通達(歩道通行禁止)を出すらしい。ただ、全国どこにも適用すると問題が出る。全国の道路事情は、それぞれ異なる。車の違法駐車は依然としてあるし、狭い道路や、車の多いところでは、車道での自転車走行は極めて危険だ。

当局は、以前、同様な通達を出して、自転車が車と接触事故を起こし、交通事故が急増したことを忘れているようだ。それに車を運転する方も、過剰に気を配れば、交通渋滞の可能性もある。

それでも、警視庁は、全国に一律通達するのだろうか。いろんな意見があるだろうが、それなら、まず車中心の行政を改めるべきなのだ。歩行者を守ると言うのなら、まず、車中心の社会を改めるべきだ。

そんなこともせずに、自転車通行を悪者にしても、何も、よくならないだろう。そういう対策に何もせずに、自転車の車道走行を強要しても、社会は何も良くならない。そして、そのような対策より、まず自転車運転のマナー徹底をすることが必要と思う(*注)。

当面、自転車の車道を走行するよう指導するのは、人の行き来の多い一部都市部に限定してはどうか。この通達の問題意識が起こったのも、都市部で起こった事故がほとんどだろう。地方は、あまり関係が無いはずだ。余り混乱させるような通達は止めて欲しい。

*注

自転車の通行違反及びマナーの悪さには、課題を上げれば次のようになる。

一、自転車通行は左側なのに、今は右側通行する人が極めて多い。そのため対面すると、危険を感じることが多い。これをまず徹底させる必要がある。

二、片手運転の多さ。例えば、煙草を吸いながら運転、携帯をしながら運転、傘をさしながら運転などだ。

三、また自転車競技用の自転車で、ハイスピードで傍を通られると、とても危険を感じる。

四、横並び運転で、道をふさぐ。基本的に若い人が多いが、おばさんたちも結構、無神経な人がいる。

五、過度なスピードを出して運転。スピード制限の必要性。

六、無灯火運転。

七、駐輪所あるいは駐輪指定場所以外の駐輪による交通の妨げ

これらに対して、指導を徹底強化し、罰則の強化が望まれる。

*追記

「自転車交通総合対策」の中に、「自転車通行が可能な歩道の見直し」があるが、過去に、そういうものをいったん作っても、潰して、無駄なお金を使ってきた経過がある。こういった政策は一筋縄ではいかない。それに現状の国家財政・地方財政からして、とても、そこに投じるお金はない。考え方は首肯できる部分があるとしても、それは所詮、世間知らずの学者の意見に過ぎない。まず必要なのは、マナーの徹底だ。

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2011年10月19日 (水)

外食産業の振興 その二 地域飲食マップと金券

外食産業を利用する場合、一般に日頃の馴染みの店を利用することが多いかもしれない。後は、知人の紹介、売り込みチラシによる発見、観光雑誌の食べ歩き特集とかの記事によるもの、あるいは新聞等の記事から情報を入手するかもしれない。

ただ、これらの情報は、長期間には利用されないかもしれない。保存版とか言っても、陳腐化するし、利用を継続的にするのは、比較的近くで利用しやすい場合だろう。後は、旅行等でスポット的に利用するに過ぎない。

そういう時に、このような雑誌情報は、利用しづらい面もある。むしろ、今いる位置から、食事店が一覧できる地図と共に表示されるものがいい。携帯等情報機器もいいが、やはり大きく見られる一覧性のパンフレットが便利だ。

その場合の、基本情報は次のようなものが求められる。

一、その地域の外食店全般の配置図。基本的に歩いていける距離が望ましい。

二、営業時間の全外食店の一覧になったもの

三、個々の外食店の扱い品目、お薦め料理と写真、基本概略予算、住所、電話番号、定休日

情報としては、大体、この程度でいい。後は、パンフレットをどのようにするか。最近はA4サイズが多いが、持ち歩きにくいので、半分に折ってしまうことが多い。よってB5サイズがベストだ。B5の冊子にするか、折りたたみ式にするかは、それぞれの判断だ。B5のサイズの冊子にする場合は、地図だけをA2サイズで折り込むことになる。

そして、後は期間限定で、金券を発行して、定期的に地域で販促キャンペーンを組み込むことも大切だ。ただ、最近、金券の額を大きくする傾向があるが、基本は100円単位で、綴りで1000円だろう(ちなみにB-1グランプリは、そのようにしていて、よく考えられている。提供される物の基本単価が低いこともあるが、価格への抵抗力を無くす役割がある)。

これに対して、あまり欲を出せば集客に影響する。例えば、基本を500円にしてしまうと、使いにくい。現実、500円以下の商品は少なくても、金券の基本価格は低く設定する方が望ましい。

地域の外食店の存在は、地域の一部の人は知っていても、多くは知らない場合も多い。外部から来た観光客となれば、ある程度、調べてきても、穴場はわからない。現在位置と穴場を探す楽しみも含めながら、地域を散策することもいいだろう。地域の外食店は、顧客に知ってもらうための活動を地域全体で取り組むべきだろう。

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2011年10月18日 (火)

柿と狂言『柿山伏』

今年は小さい柿の木に比較的多くの実がなった。父が植えたものだ。但し、木自体は、あまり大きくならない。それは父が盆栽のように、刈り込んだからだ。本来、果樹は、そのように育てるものではないだろうに、余計なことをしたものだ。もしかしたら、大きくなるのを嫌がったのかもしれない。

今年は、実は、比較的たくさん出来たが、結局食べきれないので、放置して、鳥の餌になっている。甘く熟した頃を狙ってやって来て、食べられてしまっている。果物は、完熟したものを食するのが健康にいいそうだが、鳥は、それをよく知っていて、人間様の上前をはねる。それでも、結構食したので、問題はない。

ところで仏教の宗派に修験道というものがあるが、そのお坊さんを山伏という。山伏と言うと、天狗が山伏に化けて、登場すると云われる。あるいは、鳶の姿になるとも云われる。なぜ、天狗が山伏や鳶に化けるのだろうか。今回は、そのことには触れずに置く。

山伏を扱った狂言で、『柿山伏』というものがある。登場するのは未熟な山伏だ。やっと修行を終えた山伏が、帰る途中で、空腹になる。いくら修業したとはいえ、山伏も人間。山を下りれば、空腹には耐えがたい。

そこで、巡り合ったのが、美味しそうな、たくさんの実をつけている柿の木。辛抱堪らず、柿の木に登って、柿を盗み食い。小さい頃、父には、「柿の木には決して登るなよ。あの木はさくい(折れやすい)からな」と、よく注意を受けた。父は登ったことがあるのだろうか。

後で、聞いたところでは、子供の時分、父の友だちが、柿の木から落ちて大けがをしたそうだ。でも、この山伏は、空腹には耐えられず、そんな心配もせず、思わず登ってしまったのだろう。

話を戻そう。この山伏は、一応、所望するため、畑主がいないかどうか確かめたのだが返事が無い。それで妙に安心したのか、今度は勝手に取って食べようとする。そこで、石を投げてみるが、なかなか当たらない。それで、止む無く、登ったのであった。ところが、運悪く、そこに百姓の畑主が現れる。足跡を見つけて、山伏発見。

山伏も気づいて、慌てて、すぐ隠れる。これはこれはと思った畑主は、知らない振りして、ふふん、ちょっとからかってやれと、「そこにいるのは人ではなくて犬だ」とか、「人かと思ったら鳥か」とか、「鳥かと思ったら猿か」と、次々言うので、山伏は、その度に、鳴きまねをして誤魔化そうとする。

そして、遂に、「鳶だった」というものだから、鳶の鳴き声をするが、今度は「飛べ」と言う。そんなことはできないと思いつつ、しつこく「飛ぼうぞ、飛ぼうぞ」というものだから、ついついその気になって、柿の木から飛び降りた。結果は一目瞭然。腰を強く打って、「ギャー」。

笑って去ろうとする畑主に対して、家に連れ帰り看病しろという始末。取りあわないでいると、山伏の説伏で、体がすくんでしまうので、止む無く背負うが、隙を見て、振り落とし逃げてしまう(*注)という筋。

お腹が空くと、人間のやる事は、変わりしませんなあ。でも、最近の大量に果物を盗む人間と比べたら、可愛いものだ。どっちみち、余るものであれば、カラスにあげても、人間様に与えても同じこと。不思議だけれど、世の中、そういうものもあるにはある。

でも、悪いことはできまへん。流風も、子供の頃、悪ガキの友だちと、遊び疲れて、お腹が減って、畑で、日頃、苦手で嫌いなトマトやキュウリを黙って頂戴したことが一度か二度ある。普段は嫌いな野菜なのに、そういう時は、おいしく頂ける(笑)。スリルと空腹には、人間勝てません。

ところが、家に帰ると、母に随分叱られた。実は、その農家の人は、食べているのを見て、母に連絡したらしい。「言ってくれたら、いくらでも上げるのに」と。そのことは、母から父に伝えられ、お尻をぶたれ、散々な思い。嘘をつくのと、他人の物を盗むのは家の恥、と言った父の顔を今でも、時々思い出す。4歳か5歳の時の話なのに。この狂言は、子供向けに作られたものかもしれない。

*注

但し、別の話では、未熟な山伏のため、説伏は効かず、畑主に背負われて、終わりというのもあるようだ。

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2011年10月17日 (月)

これからの中小企業の重点課題 その二 国内市場の見方

よく少子高齢化で、国内市場は縮小するという議論がされる。確かに、一面的には、確かにそうなのだが、それはマスマーケットを追う大企業の視点だ。よって、中小企業にとっては、あまり関係ない。各種報道に惑わされる必要はない。

事実、人口が一挙に減るわけでもないし、市場が無くなるわけでもない。人口は徐々に減っていくが、一度にいなくなるわけでもない。むしろ、人口の構成比率の変化による市場の性格が変わると考えた方がいいだろう。

そう考えると、中小企業にとっては、特に高齢者市場は期待が大きい。小回りの利く中小企業にとってはチャンスだろう。ただ、彼らは何もしないと、いくら関心があっても、若い人のようには、やって来てくれない。

若い時は誰でもそうだが、デモストレーション効果で、あいつが持っているなら自分も持ちたいという行動を取りやすい。だが、高齢になれば、関心があっても、簡単には動かない。それは人生経験に基づく知恵や反省もあるだろう。

しかし、決して、お金が無いわけでもない。それに、高齢者の一部は、何かと欲を出して、詐欺にあうぐらいだから、そこそこの自由になるお金のある高齢者もいる。そこまでも行かなくても、生活費の範囲内でも、自由になる、一定のお金はあるだろう。彼らは、これからの現役世代と比べれば、年金も安定しているし、分相応の生活であれば、生活に支障はない。

ただ、老後のお金の使い方が分かっていないのではないか。高齢者は常に生きるコストリスク(長生きするリスク)を心配して、生活するのに、お金が足りなくなるのを心配するのだが、過剰に心配するのも問題だ。これは生命保険会社等が、保険を掛けさせるために、過剰な生活コストを設計提案したのが、影響していると言われる(*注)。

それに、もう一つの課題は、一つの行動を起こすのに時間がかかるということだろう。その原因は、あれこれ迷うのと、商品・サービスに対する理解が不完全なこともある。関心があっても、安心して納得いくまで聞ける人がいないこともあるかもしれない。つまり行動を起こすきっかけが必要なのだ。

そう考えれば、中小企業は、かゆい所に手を届ければ、需要はまだまだ掘り起こせる。そして、手間暇かけて、色々情報を分かりやすく流し、高齢者に納得してもらえる物・サービスを提供すればビジネスになる。確かに個々の市場は小さいかもしれない。でも中小企業には、ちょうどいい規模だろう。マスコミが流す国の情報や経済の専門家の声に惑わされる必要はない。

*注

日本は、大半がサラリーマンの社会である。逆に言えば、生命保険会社等のお陰で、彼らはサラリーマンで勤め上げれば、年金だけで十分生活できるのに、更に預貯金を積み上げた事実がある。

以前、ある番組で、老後の設計ということで、どれくらいお金が必要か、滔々と述べる生命保険会社のトップセールスがいたが、明らかに過剰設計だった。お金は、あるに越したことはないが、個人差はあるにせよ、医療費、介護施設入所費を除いて、一般的な生活をすれば、仮に旅行をたまにしても、それほどかからないはずだ。結局、老後に必要な資金は、そんなに必要なく、余資はあるということになる。

それに比べて、自営業者や中途退社組、自由業等は、概して厳しい老後になっているかもしれない。

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2011年10月16日 (日)

『ジュディ・オング倩玉~木版画の世界展』を鑑賞

ついに『ジュディ・オング倩玉~木版画の世界展』を鑑賞してきた。実を言うと、13日にも、他の用事があったので、ついでにと思い、少し足を延ばし、明石市立文化博物館を訪ねたのだが、長蛇の列ができていて、鑑賞するには2時間待ちだという。

しまった、当日は開館20周年ということを失念していた。基本的に並ばない主義なので、無駄足。皆さん、日頃、文化には、お金は投じないのに、無料だと、それ行けとなる。係員に聞いても、実際、その他の日は、それほどでもないという。

それで仕方なく、予定を変更して、改めて15日に行くことにした。それでも、当日は、ご本人が来られるということで、たくさんの人が来るだろうから、本当は出来れば避けたかった。コメント頂いた方からは、できればミニトークも聞いてきて、ということだったので、それならついでにと、早めに出て、着いたら、サイン会の整理券は配布済みとのこと。ミニトークも、会場が狭いため、すでに入場制限したとのこと。あ~あ、仕方ないかと諦め、多くの人と単に鑑賞するだけという破目に。なかなか思惑通りにはならないものだ。

さて、その感想というのが難しい。流風は美術の専門家でもないし、自分でも描かないから、極めて独断的な感想になる事をお許し願いたい。よって、制作者のジュディ・オングさんには極めて失礼な発言になるかもしれない。もし、このブログが、ご本人の目に触れたら、怒らず適当に流してください。

その展示作品は、1階と2階に分けて展示し、2階が、主たる展示であった。案内に促されて、まず2階の作品から鑑賞した(なお1階の作品の感想は省略する)。

彼女が25歳頃(1975)に版画を始められたということで、極めて初期の作品も展示してあった。これらは日本板画院展に、数年入賞されているが、少し違和感がある。白黒で、平面的で立体感が無い。例えで言えば、まるで、日本の生け花を白黒写真で撮ったような感じ。極めて平面的である。何か物足りない。

ところが、1983年から連続して3年、日展に入選されている。この辺も、若干の進歩はあるが、果たして、日展の審査基準はいかなるものなのかと感じる作品。そして、それから、ずっと日展では15年近く入賞が無く(出展されているかは不明)、1999年に第31回日展に久しぶりに入賞されている。

驚いたことに、この頃から、作風がころりと変わり、立体感のある奥行きのある見ごたえのある作品になっている。つまり版画を始められて、四半世紀経って、失礼ながら、一般の鑑賞に耐える作品になったということかもしれない。もちろん、これはプロの目ではない。あくまでも、流風の感覚だ。ただ、少なくとも、一般受けはする作品になっていると思う。

彼女の版画は、対象をスケッチして、版画にされる堅実なやり方だ。その結果、どちらかというと写実画に近い。尤も空間を切り取る力は、男性的だ。これは写真家のように、センスが問われる。成果は、それで半分以上決められるかもしれない。後は版画の技術だ。

ただ、見ていて気付いたことは、写実画に近いけれど、実は写実画ではない。それは色づけに表れる。実際の色と似ているところもあるが、あり得ない異なる表現もある。光の微妙なグラデーションも版画ならではの表現もある。また、対象の色の選択にも注目したい。赤と緑の対照などはそうだろう。これなどは色彩学を取り入れた結果かもしれない。

2000年ごろから、総合的に一つのパターンが形成されているようだ。そのパターンが、今後、どのように変化していくのか、それとも今のままなのか、見てみたい気もする。果たして、彼女ののアートは年々進化していくのだろうか。その一方、今後も、現在の路線で、無理なく、自然体で頑張って欲しい気もする。

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2011年10月15日 (土)

第6回 B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリ in 姫路について

今年5月に、B-1グランプリの前哨戦とも言うべき、プレイベントとして、中国・四国・近畿のB-1グランプリが、姫路で開催されて盛況だったことは、拙ブログに記した。そして、ついに11月には、本来の全国版B-1グランプリが姫路市で開催される(正式名は「第6回B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリin   姫路」。*注1)。日程は、平成23年11月12日(土)と13日(日)の両日。時間は9時半から午後3時半まで。

今年は前年の厚木大会より、参加出展団体は、17団体増えて、63団体になる。兵庫県からは、姫路おでん普及委員会、高砂にくてん喰わん会、あかし玉子焼ひろめ隊、の3団体が出展。過去の大会でゴールドグランプリを受賞した団体の内、富士宮やきそば学会、厚木シロコロ・ホルモン探検隊、横手やきそば暖簾会、甲府鳥もつ煮の4団体が登場するらしい。

場所は、第一会場として、シロトピア記念公園(県立歴史博物館のあるところ)と城の北駐車場、第二会場としては、大手前公園、第三会場としては、家老屋敷跡公園と大手前駐車場になる。その他には、姫路城三の丸広場が物販会場になる。要するに、姫路城をぐるっと取り巻いて展開される(但し、西側には会場は設けられない)。

よって、周辺駐車場(大手門駐車場、姫山駐車場、城の北駐車場、中央地下駐車場)は、9日午後5時から14日午前9時まで利用できない。中央地下駐車場は開催日だけ利用できない。

また交通規制がかかるため、車で会場に行くのは、薦められない。実行委員会も、公共交通機関の利用を薦めている。また当日は駅からバスで行くのではなくて、歩いた方が早く会場に着くだろう。

また、料理を購入するには、直接現金で購入できないため、まずイベントチケット(金券)の購入が必要(100円券10枚綴り)。またプレイベントでは、チケット購入のために長い列ができていたことを考えると、事前購入が望ましいと思う(*注2)。

それから、毎年恒例の姫路食博が、姫山駐車場・東御屋敷跡公園で、同時開催される。「兵庫のご当地グルメ」として、約60団体が揃う。B-1グランプリ同様、イベントチケット制(チケットはB-1グランプリ共通券)だ。

なお、兵庫県のご当地グルメについては、「あいたい兵庫キャンペーン2011ガイドブック(秋冬版)」に詳しく紹介してあるので、それを読んでから、目的のグルメを味わいに行くのもいいかもしれない。「あいたい兵庫」の冊子は、JR、山陽電車駅等に配布されているので、そこで入手できる。これを熟読して、会場に足を運ぼう。

*追記

B-1グランプリの仕組み

 

 一、まずイベントチケットを購入

 二、チケットで食べ比べ

 三、気に行った団体の投票箱に、使用済み割り箸で投票

 四、箸の総計量により、グランプリ、各賞の決定

*注1 

    第6回 B-1グランプリ in   姫路の公式ホームページ

    都合により削除しました。

*注2

イベントチケットは、10月17日から、下記の場所で販売される(ネットでも23日まで販売されている)。なお、金券が余った場合、姫路市内の提携している登録店舗店であれば、11月30日まで利用できるので、無駄は生じない。なお使用できる提携店には、「B-1グランプリ イベントチケットは、この店で使えます」のチラシが貼られている。

  ・B-1グランプリ姫路実行委員会事務局

  ・姫路市観光案内所(JR姫路駅構内)

  ・播産館(じばさんびる1階、JR姫路駅近く)

  ・商店街等の協力店

  ・姫路市内イオン3店舗

  ・姫路市内マックスバリュ各26店舗

    ・姫路城周辺の商店街74店舗と家老屋敷跡公園の便益施設8店

  ・ヤマトヤシキ姫路店

  ・山陽百貨店

  ・FESTA(フェスタビル南館)

  ・ファミリーマート

       JR姫路駅前店、山陽姫路駅前店、姫路船場川通り店

    姫路市役所南店、姫路国分寺店

  ・セブン-イレブン 姫路南町店

    ・神姫バス姫路旅行センター

  ・山陽電車特急停車駅12駅

         姫路・飾磨・網干・大塩・高砂・東二見・明石・

    垂水・須磨・東須磨・板宿・西代

  ・明石観光案内所(JR明石駅構内)

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2011年10月14日 (金)

万年青と落語『おもと違い』

日中はまだ暑い日が続くが、朝晩は、少し涼しくなってきた。全体として、例年より、少し温かいかもしれない。まだ木の植え替えは不向きかもしれない。ただ、一部植えかえしてみたところ、問題が無いものもある。

昨年、繁殖し過ぎた万年青(おもと)を株分けしたが、その後、今のところ、あまり大きくは成長していないので、今年は株分けの必要はなさそうだ。また実は、まだ青い。もうすぐ赤くなるのだろう。聞くところによると、この実は漢方薬に使われるらしい。

万年青は、木の根元に根締めに使われるが、縁起のいい植物だ。父も、「万年、家が栄え続ける」と信じて植えたらしい。父は占いを信用しなかったが、いろんな縁起を担ぎながら、人は生きていくらしい。また花言葉は長寿、母性の愛だ。

ところで、落語にも、万年青を扱ったものがある。それが『おもと違い』。早とちりしたことで大騒ぎする話だ。一応、あらすじを示すと以下のようになる。

ある大工の棟梁が、知り合いの家の前を通りかかると、そこの女房に呼び止められる。「あら、どうしたんだい、そんなに急いで。素通りしないで、ちょっとお寄りでないか」と言うので、「しばらく、兄貴とこは行っていないのに、ここに寄ったことを知られたら、ちょっとまずいんですよ」と返す。

それで、女房が怪しんで、「なぜ、無沙汰してんだい」と聞くと、「へえ、この間のこと、兄貴からオモトを預かったんだが、どうやら私が馬鹿やって、それを叩き殺して埋めてしまったんですわ。それで、ついつい兄貴のところには来にくい。だから、私がここに寄ったことは、くれぐれも内緒にしてくれ」と言って去る。

ところが、それを使いに来ていた田舎者の権助が聞いていて、勘違いする。「これはえらいことを聞いてしまった。あの人は、確か旦那の所にも出入りしている大工の棟梁だ。おもとさんという預かった娘を叩き殺して埋めたとか。これは早速、旦那に注進しなければ」と思い、去る。

そして、家に戻って、主人に見聞きしたことを伝えるのだが、主人の方は、「おもとからは今朝手紙が来ている」と納得しない。ところが、権助が、色々煽るものだから、主人も、「おもとは、元々親戚の娘で、預かっていたが、それを棟梁の所に頼んだのに、なんてことをやってくれたのだ」と疑念の気持ちが大きくなって、「家から縄つきを出すのもよくないので、棟梁の兄貴のところで訴えてもらおう」と権助に棟梁の兄貴の所に使いを出す。

その話をすると、棟梁の兄貴もびっくりして、すぐ棟梁を呼びつけ、「すぐに自首しろ」などと問い詰める。それを言われた棟梁は、合点がいかず、言い返し、掴み合いの喧嘩直前。「お前、もう一度聞くが、人を一人殺したそうじゃないか。叩き殺したと言ったそうだな」

「それはとんだ勘違いだ。俺の殺したのは、預かった万年青の鉢を横川の川上質屋へ預けて金を借り、それで借金を埋めたんだ」と。「なんだ、お前、あの万年青を川上質屋に叩きこんだのか」

権助は、それを耳にすると、「川上か。それじゃ今頃、流れたんべ」と言うと、「心配するな。利上げ(*注)してある」とオチ。

世の中、聞き違い、見間違い、言い違い、勘違いなど、そそっかしい人のいろんな間違いで、騒動を起こすことが多い。聞きかじったことを勘違いして、要らぬ噂を流して喜んでいる人たち。また商業主義に流されて、煽り記事を書くマスコミの若手の未熟な記者たちも大いに反省すべきだろう。これなどは、見当違いと言うのだろう。

*注

「利上げ」とは、質屋言葉で、利子だけ払って、期限を延ばしてもらうこと。念のために記せば、「流れ」とは、期限までに返せず、担保の質が流れること。

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2011年10月13日 (木)

ついに日本玩具博物館に行く

前々から、いろんな人に薦められていた、日本玩具博物館についに行ってきた。JR姫路駅から、播但線に揺られて、5つ目の駅、香呂駅下車。そこからは、ほぼ一本道で分かりやすい。ひたすら歩いて15分。途中は、田舎臭い感じでほっとする。あれは何の匂いなのか。藁の匂いかもしれない。

そして、白壁土蔵造りの家を発見。国内外の玩具が、ぎっしりと展示されている。館長の井上重義氏が、個人で蒐集されたようだ。中には寄贈の物も含まれるという。それにしても、よくこんなに集められたものだ。

一応、1号館から6号館まであることになっている。ただ、1号館から3号館まではつながっていて、展示内容を観覧者に分かりやすいようにしているだけのようである。

1号館には、季節ごとの企画展示で、今回は「ふるさとの玩具~古今東西」がテーマ。全国の玩具が整理されて、350点ほど展示。知らない物も多いけれど、どこか懐かしさのあるものばかりだ。ただ、じっくり見ていれば、日が暮れてしまう(笑)。また、この関係の図書『ふるさとの玩具図鑑』(税込1995円)も平凡社から出版されたようだ。

2号館には、駄菓子屋の玩具と近代玩具、草花あそびと手作り玩具の展示。これらも懐かしい。草花遊びも、子供の時、おもちゃの普及していない時代には、よくやったものだ。子供は自然の物を使って、遊びを生みだす。3号館は、伝統手芸の世界とか、実際に遊べるヨーロッパの木製玩具が置いてある。そして、ミュージアムショップもある。

それから一旦、外に出て、4号館へ。こには、日本の郷土玩具と世界の玩具を展示。5号館では、一休みできる空間があり、ランプを吊った囲炉裏がある。そして、更に奥に行くと6号館。ここには、特別展が展示。

今回は、「世界の動物造形」だった。800点を展示。世界の子供たちは、まず動物に関心を持つことから、動物の玩具が作られてきたようだ。そして、それは、それぞれの国の文化を反映していることは間違いない。それゆえ、同じ動物でも、捉え方は異なる。これは今月11日ですでに終了し、22日からは、「世界のクリスマス飾り」が展示されるという。

細かくて、とても詳細には見切れなかったが、子供時代に手に取ったこともある物も少しあった。だが、大半は知らないものばかり。日本全国、世界にはいろんな玩具があるものだと初めて知った。皆、子供を楽しませる為に、色々考えた結果なのだろう。

この博物館は、全体としては、大きな施設ではないが、多くの玩具が詰め込まれている。多くの来館者が懐かしそうに見ていた。中には、手に取って経験できる物もある。色々試している若い方がいた。多くは高齢者だが、そのように若い人も来ている。玩具への関心は、それぞれにあるということだろう。

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2011年10月12日 (水)

孫文記念館(移情閣)に行く

久しぶりに、舞子公園にあり、孫文記念館になっている移情閣に行ってきた。この記念館のある舞子公園は、潮風に当たりながら、ゆったりできる空間である。家族連れの人々が時の流れを楽しんでいるように見える。

ところで、孫文記念館のある移情閣とは、神戸で活躍した中国華僑の呉錦堂の別荘「松海別荘」が前身だ。その別荘の東側に建てられたのが移情閣という。ここで、孫文が来神した時、歓迎の食事会に使われたようだ。

名前の由来は、それぞれの窓から色んな景色が眺められ、それに伴って心も移っていく、と言う意味から名付けたらしい。人の心は現象に惑わされ移ろいやすいことを嘆いたのだろうか。それとも、そういうことを的確に掴めばビジネスが拡大すると感じたのだろうか。

さて、今年(2011年)は、辛亥革命100年ということで、関係各地でいろんな催しがされている。御存知と思うが、1911年10月10日の辛亥革命は、孫文が、理想の共和国建設を目指すため起こした。

当時、中国は国内の混乱に乗じられて、欧米列強に食い物にされていた。そのような時、革命を起こそうとする孫文の考えに、多くの日本人が共感した。日本も、欧米列強から脅威に晒されていたからだ。あの南方熊楠も、彼の考えに共感した一人だ。孫文と留学先で同じになり、日本と中国は、共同で東洋から西欧諸国を追い出そうと意見が一致したという。

もちろん、純粋に、そう考えた日本人もいたし、当時貧しい日本の資源獲得の思惑が働いた大陸浪人という人々もいた。玄洋社の頭山満もそうだろう。いずれにせよ、アジアから、欧米列強を締め出すという点で、利害が一致していた。

そうした中で、孫文の精神的支柱になったり、私財を提供した一人が、梅屋庄吉だ。彼のことは、最近になって、色々明らかになっているが、長く知られなかったのは、本人の意向で、家族にも口外を禁止していたからという。それは彼の曾孫にあたる小坂文乃(あやの)氏が、最近、明らかにされている。

彼の他には、身元引受人の役割を果たした宮崎滔天(とうてん)や、自ら革命に直接身を投げ出した山田良政・純三郎兄弟等がいる。彼らは純粋に、孫文の革命を支援した。また中国華僑の呉錦堂と取引のあった瀧川辨三・儀作親子も何かと支援している。ざっと見てみると、割と九州出身者が多い。中国と地理的に近いこともあるのだろう。

残念ながら、孫文を支えた多くの日本人の望みは叶えられず、日中戦争に突き進んでいく。何がそう駆り立てたのか。単なる軍部の暴走だけで片づけられない。なぜ、そのように歯車が狂ってしまったのか。

両国の指導層に考え方の相違が大きくなったこともあろうが、多くの日本の軍部には、侵略される恐怖感が大きかったこともあるだろう。だが、なぜ侵略される国家のことは考えなかったのだろうか。その辺に、軍部の人々の哲学の不足を感じる。これは、軍部も含めて日本の指導層に、勝海舟のように、深く中国を理解している人も少なくなっていたこともあると思う。

原因としては、明治維新以後、幕府にいたような教養のある人物が少なく、薩長の下級武士たちが、国家運営を取り仕切ったこともある。彼らは、欧米列強に追いつき追い越せという命題のため、左脳思考が優先したことも大きい。更に、軍部は、日露戦争で、指導者として哲学のある優秀な軍人をほとんど失ったことが両国を不幸に陥れたと思う。

結論から言えば、歴史的に、日本にとって、中国の安定は大切なことなのだ。中国が不安定になれば、日本にも不幸を招く。そのように考えると、国同士の対話も必要だが、多面的、多段階的に、国民レベルでの相互理解が深め続けることが、今後も望まれる。移情閣を見学しながら、そのような考えに至った(*注)。

*注

もちろん、指導層に、教養、哲学に基づく見識、胆識が十分備わっていることも大切だ。

*参考

映画『1911』が2011年11月5日からロードショーが始まるようだ。

   http://1911-movie.jp/

『レッドクリフ』のスタッフが作り、ジャッキー・チェンが主役だ。中国・香港映画で、中国の国策映画の匂いが強いが、彼らが、この革命をどのように受け止めているか参考になるかもしれない。

現在、中国では、孫文の評価は、必ずしも肯定的ではない人もいる。あれはブルジョア革命だと言うのだ。しかし、彼が理想を掲げて動かなかったら、状況は更に悪化していた可能性もある。

ただし、勝海舟が指摘していたように、中国は深い。例えは悪いがアメーバのようだ。一時的に失っても、必ず取り戻す。仮に孫文がいなくても、別の方法で国家を統一しただろう。ただ歴史に、もしもはない。彼の果たした役割を彼らも冷静に評価すべきだろう。

*追記

なお孫文記念館のある兵庫県立舞子公園では、公園のグランドオープン1周年記念イベントが、2011年10月22日(土)・23(日)開催される。家族連れで、のんびりしたい人にお勧め。但し、天気にもよるが、日傘、帽子は必携だ。

        http://www.hyogo-park.or.jp/maiko/

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2011年10月11日 (火)

神戸ビエンナーレ2011に行ってきた

この連休中に、神戸ビエンナーレを鑑賞してきた。今回は、神戸ハーバーランド・ファミリオ会場と兵庫県立美術館の二か所のみ。内容的には、何も深く考えず楽しめるタイプと、作者の意図を知らないと理解できないタイプだった。前者は、ファミリオ会場に多く、後者は兵庫県立美術館の展示だ。

ファミリオ会場は、小さなお子様も多く来ていたし、誰でも楽しめる。作者は、テーマはそれなりにお持ちなのだろうけれど、何か面白いものを追及しているように見える。あるいは、色々やっていたら、面白いものができたというのもあるかもしれない。写真を撮れるので、カメラは必携だ。

この場所は商業施設撤退後の一時利用とのことだが、展示がゆったりとしていていい。ここは、商業施設の入れ替わりが激しいが、相対的に成功していない。なぜ成功しないかは、流風には分からないが、場所的に、プル戦術の不足があるだろう。何も仕掛けをせずに来てもらえると云う場所ではないと思う。

それはそれとして、こういうアートの遊園地化はビジネスの可能性として今後も検討してもいいかもしれない。途中の休憩スペースで軽い食事ができたらいいと思う。賃料とか難しい問題もあると思うが、アート出品に対しては、格安で提供して、客を呼び込める催しを随時やればいいと思う。

兵庫県立美術館の方は、作品の展示の種類は多くないが、ゆったりと広いスペースを使って展示してある。何となく意味が分かるものもあるが、制作者の意図が全くわからないものもある。それなりに作者の知識が必要だ。だが、説明のパンフを読んでも意図が理解できないものもあった。

現代アートは難しい。他の美術館でも、結局、訳の分らぬまま、退出することが多い。大体、説明書きはないのが基本で、題も無題とかされると、ちんぷんかんぷん。制作者によると、何かを感じてもらえばいいと言うが、やはり限界がある。幼稚園児が筆をこねくり回して描いた絵と、一体どう違うかと言いたくなるようなものもある。

具象と抽象との境界が明示されれば、一定の理解もあるかもしれない。制作者も、もっと表現の仕方を研究して欲しいものだ。まあ、それでも、全体としては、このビエンナーレは比較的楽しめた。今後の展開に期待しよう。

 

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2011年10月10日 (月)

播州地方沿岸部の秋祭り

都市部の秋まつりと言うと、町内で、子供たちが小さな神輿を挙げて、わっしょいわっしょいと言う声と共に練り歩く光景が多い。兵庫県播州地方も各地の神社で秋祭りが行われる。その中で、沿岸部で催される秋祭りは、本格的な神輿を主として、屋台(*注1)を気が荒い若衆が担いで迫力がある。

大阪府では、沿岸部の岸和田のだんじり祭りが有名だが、播州地方では、灘のけんか祭り(神戸の灘ではない)が有名だ。兵庫県の指定無形民俗文化財になっているぐらいだ。旧灘の7箇所の村から、豪華絢爛な屋台(*注)が繰り出される。ちなみに掛け声は、ヨーイヤサ(チョーサーというのもある)だ。間違っても、ワッショイとは言わない。

男たちは、この日の為に、貯めたお金をぱっと使う。そして、全国に散らばっている地域出身者たちが、この日だけは集まってくる。少し、いわくつきの兄ちゃんたちも、戻ってくるそうだ。今は、全てが全て漁師ではないが、現業系の気の荒い人々による担ぎ手(ちなみに、普段、いつも気が荒いわけでもない)だから、熱がこもる。

まず、屋台7台(旧灘7カ村の東山・木場・松原・八家・妻鹿・宇佐崎・中村)が、練り合わせをしながら、松原八幡神社へ宮入りする。そして、3基の神輿合わせの後、練り合わせをする。日程(*注2)は、10月14日の宵宮と15日の本宮。ただし、祭りは両日、見ないと意味はない。

14日の宵宮では、11時頃から、夕方まで、楼門前広場で、屋台7台が練り合わせ。祭りのメインは15日の本宮の神官渡御。9時から、12時の間に6台が宮入り。すなわち、神輿が御旅山に登っていき、年番以外の屋台6台が次々入っていき、練り場で、激しくぶつかりあい、練り合わせを行う。まさに、けんか祭りの名に相応しい。午後に、当番の台が入り、神輿合わせと屋台練りが行われる。場所は、山陽電車、白浜の宮駅下車数分。

その他の祭りでは、大塩天満宮で行われる毛獅子の舞。6台の屋台と8頭の獅子。長い毛に覆われた獅子が、迫力ある舞を披露する。日程は、同様に10月14日と15日。14日の宵宮では、屋台が宮入りし、練り合わせを行う。夕方頃から、7頭の獅子舞が登場。毛獅子が、道中舞、地舞を舞う。15日の本宮では、もう一つの獅子舞・小林丁の獅子舞が加わって、笛や太鼓に合わせて、8頭の獅子が、道中舞を行う。その後、境内に入り、地舞を舞う。場所は、山陽電車、大塩駅下車数分。

それから、魚吹(うすき)八幡神社の秋季例大祭もある。日程は、10月21日の宵宮と22日の本宮。7つの村による提灯練り、屋台18台、壇尻4基が御旅所に集結し、宮入り、練り合わせを行う。

すなわち、21日の宵宮の午後7時頃から、長さ3メートルほどの青竹の先に提灯を付けた「高張り提灯」を持ち、行列となって、神社楼門前に集まり、提灯が激しくぶつかり合う。屋台は18台の参加に加えて、3基の壇自利尻が、御旅所に集結して神事をを行う。奉納演芸もある。場所は、山陽電車、山陽網干(網干)駅下車で、歩くと少しあって15分くらい。

勇壮な男の荒々しい祭りが好きな人は是非見に行ってください。そして、祭りは恋愛の場。肉食系の女子にはいいかも(笑)。流風は、子供の頃、場所は分からないのだが、一度連れて行ってもらった記憶がある。ただ外部の人間があまり集まっても邪魔になるだろうし、簡単に行けるとも思っていなかったので、その後は、とんと御無沙汰だ。今年は予定していないが、いずれ機会を見て、行ってみようと思う。

*注1

屋台とは、太鼓台のことで、神輿の役割はしない。渡御の御供だったり、神前の奉納の役割をする。でも、この祭りの由緒を見ると、本来の祭りの主体ではないが、現実は、この屋台になっている。

*注2

上記に挙げた、その他の祭の開催日は、9月終わりか10月初めにかけて、神戸新聞等で、播磨地区全域の秋祭りの日程が公表される。基本的に、日程は固定されているが、天候状態で、順延されることがある。毎年、大体、10月中旬の日程が多い。その次が次の週。

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2011年10月 9日 (日)

播磨娘子の別れ歌

万葉集に、播磨娘子(はりまのおとめ)の歌がある。詞書きによると、「石河大夫の任遷さえて京に上りし時、播磨娘子の贈れる歌二首」とある。ただ、播磨娘子については、研究者でも、よく分かっていないらしい。

当時、歌を詠えたのは、基本的に漢語の分かる相当の教養がある者とされる。彼女は遊女だとする見方もある。当時の遊女は、それなりの教養があり、巫女であったかもしれない。そういう見方は、あながち否定もできないが、必ずしも、そうとも言い切れない。

石河大夫については、播磨国の二代目国司、石川朝臣君子であったとされる。彼は、初代、播磨国の国司の巨勢朝臣邑治(こせのあそみのおおじ)が始めた、『播磨国風土記』を完成させた。

その彼が、任を終えて、兵部大輔遷任のため、都に帰ることになる。播磨娘子は、彼の恋人か妻であったのだろう。その時に、彼女が歌を贈ったのが次の歌だ(巻九、1776)。

    絶等木(たゆらき)の 山の峰(を)の上(へ)の 桜花

      咲かむ春べは 君を思(しの)はむ

「絶等木」とは、桜木の意味のようで、「桜の山の峰に桜が咲くころには、あなたは行ってしまうのですね。今更ながら、あなたのことを忍ぶことになるのでしょう」ぐらいの意か。桜の山の峰とは、姫路城が建っている姫山と推定される。西の丸辺りだと指摘する人もいる。

もう一つの歌は次のようだ(巻九。1777)。

  君なくは 何(な)ぞ身装はむ くしげなる

      つげの小櫛を 取らむとも思わず

解釈としては、「あなたが行ってしまったら、もうオシャレもする意欲も沸かない。櫛箱から、黄楊の櫛も手にする気にもなれないわ」という感じで、これは現代でも同じだろう。別れた時はそんなもんだろう。

これに対して、石河大夫の返歌もないところから、彼女が遊女だという意見も出るわけだ。しかしながら、多くの古典にも、男女の和歌のやり取りの記録はあるが、返歌が、あまり秀歌でない場合、記録されない場合も多い。ただ、『播磨国風土記』を記したような当時の知識人である、石河大夫が歌を返せないはずもない。

だから、この歌は、彼が去ってから、作られた可能性もある。果たして、本当に、これらの歌が贈られたのだろうか。単なる事後の嘆きにしか聞こえないのだが。

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2011年10月 8日 (土)

栗ご飯を作る

秋になると、栗ご飯を毎年、子供時代を思い出して、一応作る。でも、いつもは、出来合いの栗と汁がセットになったものを洗った米に投入して作っていた。今回は、たまたま美味しそうな栗が目についたので、思い切って買ってみた。

子供の頃、母は確か蒸し栗をおやつに食べていたのを覚えているが、栗ご飯をどのようにして作っていたのかは知らない。少し調べてみた。今回は熱湯で茹でて、皮を剥くことにした。簡単に剥けるのもあるが、なかなか剥けないものも物も多い。ちょっと四苦八苦。少し後悔(笑)。

何とか剥き終わり、洗った米に、適当に酒とみりんと昆布と塩を一緒に投入し、炊き上げた。出来合いの物より栗の形は悪いが、初回にしてはまずまずか。なかなかの味と自画自賛。昔懐かしい母の味だ。残った栗は、蒸して、おやつとして食べよう。

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2011年10月 7日 (金)

兵庫県立歴史博物館の『四大浮世絵師展』について

今年は浮世絵関係の展覧会が大変多い。そういうことで、若干食傷気味。今回は、兵庫県立歴史博物館にて、『四大浮世絵師展』が開催される。兵庫県下では、これが浮世絵関係の最終の展覧会だろうか。

四大とは、御存知、写楽、歌麿、北斎、広重だ。中右コレクションの中から約170点展示される。特に写楽20点は圧巻。なお、中右瑛(なかうえい。国際浮世絵学会常任理事)氏は、著名な神戸の浮世絵蒐集家である。

以前、今年の1月にも、明石市立文化博物館で、『広重と北斎の東海道五十三次と浮世絵名品展』があって、見に行ったが、この時も、彼のコレクションであった。その時の図録が手元にあるが、彼の図録の説明は素人にも分かりやすい。

今回は、広重、北斎に加えて、写楽、歌麿が加わる。明石の時も、多少、写楽や歌麿の展示もあったが、今回はどうなるのだろう。展示スペースから行くと、多少総花的になるが、どのような展示がされるのか、少し期待がある。

一応、これらの浮世絵師4人については、簡単な紹介を記すと次のようになる。

◎東洲斎写楽

   1794年にデビューして、わずか10か月の間に140点余の作品を発表。

   4人の中で、一番謎が多い。多分、名を隠しての活動だったと推定される。

◎喜多川歌麿

   版元に見出され、大首絵美人画で喝采を得る。

◎葛飾北斎

   器用に何でも描けた。役者絵、美人画、風景画、絵本挿絵何でも来いという感じ。

   長寿で90歳まで生き、生涯現役。

◎歌川広重

   風景画の名手。東海道五十三次シリーズを展開。

もう一度、図録を読みこんで、観覧に行くことにしよう。

*参考

  『四大浮世絵師展』

    兵庫県立歴史博物館にて

    期間 2011年10月8日より12月4日まで。

    開館時間 午前10時より午後5時まで。

*平成23年10月8日追記

本日、オープン初日に観覧してきた。初日ということで人が多い。割とゆったりと観覧できるが、人が多すぎると、じっくりとは鑑賞はできない。全体としては、明石の展覧会よりは、立派。かなり力の入った浮世絵展覧会だろう。

説明を読んでいると、キリがないので、本日は、さらっと鑑賞し、図録(222ページ)を読みこんで、後日再訪の予定。図録は、ほとんどが、一ページ一図で大変見やすい。

 

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2011年10月 6日 (木)

若い人の不平不満の原因

ノルウェー、イギリスに次いで、アメリカでも、若者が騒動を起こしている。彼らは一般に不平分子と言われるものだろう。日本は、まだ騒動こそ起こらないが、生活保護を受ける若い人たちがいる。それは静かな不平活動と言えるかもしれない(*注)。

そもそも、若い人たちが、なぜ社会に不満を持つのか。これは一般に、若い人たちが、自分の本当の能力を知らず、自らを過大評価することから生まれる。自分は、能力があると思いがちなのだ。これは流風も、若い頃、そういう傾向があった。

何度か、現実に頭を打つことで、自分の未熟さを知ったものだ。こういう騒動を起こす人たちは、ある意味、頭を打つこともしていない。だから、自分の未熟さに気付かないのだ。それが不平不満を蓄積させることになる。

もちろん、いつの時代も理不尽は存在する。それも踏まえて、人は、他者から認められて、自分の存在価値を再確認する。しかし、認められるようなこともせずに、不平不満だけを述べるなら、それは未熟な子供以下だろう。

人は、他者の下で、辛抱することが大切だ。それを潜り抜けると、不思議と不平不満は起こらない。やっと自分の不完全さを知るからだ。人生に完成はない。そう思えば、その後も、自分を鍛えて、前に進むしかない。

*注

現役世代に、生活保護をするというのは、厚生労働省の政策転換に拠るものらしいが、このことは、却って労働意欲を削いでいく。非正規雇用であれば、稼ぎが少なく、生活保護費より低くなる可能性もある。

その結果、仕事を紹介されても、あれも嫌だこれも嫌だとなり、生活保護の期間が長くなり、徒に人生の持ち時間を食いつぶしていく。これは政策としては決していいとは言えない。

そもそも、根本的には、地域(言葉としてはおかしいかもしれないが、主として都市圏)に拘り、仕事に拘り、職種に拘る若い人々を正しく指導しなければ、何も良くならないだろう。田舎に行けば、「相対的貧困」という言葉自体、意味がなくなる。

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2011年10月 5日 (水)

波乱万丈の千姫の一生

戦国時代、政略結婚で、多くの子女は無理やり結婚させられている。ただし、皆が皆、不幸せかと言うと、決してそうではなく、幸せな時を、一時的かもしれないが過ごしている女性も多い。ただ概して波乱万丈の人生を送っている(*注)。

千姫も、その一人かもしれない。彼女は、信長の血をひいて、美貌であったと伝えられる(「千姫絵姿」による。茨城県の弘経寺蔵))。その彼女は徳川二代将軍秀忠と、大河ドラマでも取り上げられた、あの江(ごう)の長女として、1597年、4月11日生まれる。ここから彼女の波乱に満ちた歴史が始まる。

彼女は、7歳で、徳川家の政略結婚に利用される。相手は、豊臣秀吉の子、秀頼だ。仲は良かったという。彼女は面食いで、秀頼が、美丈夫だったからという。世にも珍しい美男美女の組み合わせだ。

だが、幸せは続かない。実家の徳川家が、豊臣家を滅ぼすために、大阪城に攻め寄せる。だが、この時、秀頼の妻として、夫や淀と共に、籠城。その後、慶長20年(1615年)、大阪夏の陣では、大阪城も落城し、秀頼と死別し、千姫も後を追うつもりだった。

ところが、家康が、「救出させれば、千姫をやってもよい」と、坂崎出羽守に命じて、脱出させたと言われている。しかしながら、脱出した千姫は、救出時、火傷を負った坂崎出羽守を嫌い、相手にしなかったと伝えられる。

ただ、実際は、秀頼が、千姫に逃げよと命じ、豊臣方の紀伊新宮城主の嫡男、堀内久氏に、徳川方に届けさせたのが事実とも云われる。坂崎出羽守は、単に、秀忠に引き渡しただけのようだ。どうも、ここら辺は、歴史小説家が事実を知らずに作り話をした可能性もある。

そして、彼女は、江戸への帰路の途中に、桑名藩藩主、本多忠政の子、忠刻に一目惚れ。1616年、この時代には、珍しい恋愛結婚をする。家康も、政略結婚に使った負い目もあり、認めたのだろう。また千姫が、忠刻の母、熊姫(ゆうひめ)といとこ同士だったことも影響しているようだ。年齢差の大きい、いとこということになるが、それが幸いしたのかもしれない。

元和3年(1617年)、本多家の転封に伴い、多額の持参金と共に、姫路城西の丸に移り住む。1618年、長女の勝姫を生み、1619年、男の子を生む。それが長男、幸千代だ。残念ながら、幸千代は3歳で、1621年病没。その嘆きは、大きかった。書写山円教寺に葬る。

姫は、その後、男子出生を強く望み、男山千姫天満宮を建立し、羽子板を奉納。西の丸長局の廊下から朝夕、遙拝したという。残念ながら、その願いも叶わず、1626年、夫は病の床に。父親の本多忠政は、廣峯神社の拝殿等を修復し、平癒を祈願したが、その甲斐なく若くして病没。書写山円教寺に葬る。

千姫は江戸に戻り、落髪。天樹院と称する。姫路城にいたのは、10年程度ということになる。1628年、長女の勝姫を当時、鳥取藩主の池田光政に嫁がせている。1666年2月6日、千姫没。享年70歳。

*注

「波乱万丈」については、「波瀾万丈」が正しいのではないかという指摘を受けたが、広辞苑によると、「波乱万丈」もありとある。但し、一般的には、「波瀾万丈」がよく使われているかもしれない。

*追記

千姫は、結婚した相手が二人とも若くして亡くなっているので、いろんな噂が立つ。世間は何かとうるさい。例えば、男殺し、淫乱等々散々。でも、実際はそんなことはなく、我がままだったかもしれないが、自分が惚れた男には命がけというようなタイプではなかったか。

後、母親の愛情に飢えていた弟の家光が千姫を慕い、相談相手になり、蔭から支えた、その人柄が偲ばれる。

*参考

その彼女を扱った『江の娘 千姫展』が、姫路文学館で、開館20周年として、記念特別展が開かれる(この催しはすでに終了しています)。副題は、「愛とかなしみに生きて」である。

展覧会では、千姫の生涯を、「戦国の姫君~徳川家と豊臣家のはざまで~」、「白亜の新天地~姫路城での十年」、「慈母として~落髪以後~」のコーナーで順次紹介する。

その他には、「徳川秀忠千姫宛書状」、「本多忠刻太刀」、「千姫 徳川秀忠宛消息」、「千姫奉納羽子板」も展示。

   『江の娘 千姫展』  姫路文学館 

           http://www.city.himeji.lg.jp/bungaku/

           北館特別展示室及び南館ギャラリー

     期間 平成23年10月7日より11月27日まで

     開館時間 午前10時より午後5時まで。

*追記

なお、姫路文学館の、近くに(本当は傍と言った方がいいかも)千姫天満宮がある。今回展示してある羽子板のあるところだが、ここには、恋愛成就祈願の羽子板形の絵馬を奉納すると、いいことがあるそうだ。多分(笑)。

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2011年10月 4日 (火)

秋の匂い

   痩せながら わりなき菊の つぼみ哉   芭蕉

   白露や 茨の刺(はり)に ひとつづつ   蕪村

今朝はぐっと冷え込んで、本格的な秋がやってきた感じだ。自宅のなかなか咲かなかった萩も、可愛い花を少し咲かせている。萩にも色々種類があるそうだが、近所の家の萩は、少し前から満開。それに比べて、自宅の萩はなかなか咲かないので、心配していたが、今朝見ると咲いていた。寒くならないと咲かないらしい。

また菊は、一部の小菊は咲いているが、本格的には、これからという感じ。大輪の菊の栽培している方もいらっしゃるが、流風は、まだ、そこまで興味はない。せいぜい、もうすぐ始まる菊花展を見に行くぐらいだ。

ヤツデも、涼しくなってきたから、より元気な様子。今年、実生から更に、小さなヤツデを発見。これで二株目だ。先に生えたヤツデは、少しずつ大きくなってはいるものの、まだ小さい。移植したい気持ちはあるが、ここはぐっと我慢している。

さて、今日の夕食は鍋にしますか。

 

 

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2011年10月 3日 (月)

花入~桂籠のこと

花入は、自宅にある。茶道や華道をやっていた母が遺したものだ。花入には、真、行、草の種類があるそうで、一応、数は少ないがあるようだ。流風は茶道も、華道も心得が無いので、花入を適当に使って、一輪挿し等にしている。花一輪でも部屋の雰囲気は微妙に違うものだ。

ところで、利休の花入に「桂籠」というものがある。元々は彼が桂川周辺を散策していた時に、漁師が使っていた魚篭(びく)が目に入る。利休は、漁師が腰に下げている、この魚篭を殊の外、気に入り、魚篭にすれば高い値段で買い受ける。まあ、この辺は、文化人の気まぐれとも言える。

もちろん、利休には、それなりの審美観があったことは否定しないが、所詮、魚篭は魚篭である。仮に、他の人が、魚篭を花入れにすると言えば、大きな非難を浴びただろう。茶道で、そこそこの地位を確立していたから、許されたのだ。世間とは、そんなものだろう。

この花入「桂籠」は、所有者が変わっていくのだが、不思議な因縁を持っている。この籠は、利休の孫の、千宗旦に渡り、そして、彼の高弟の山田宗徧(そうへん)に譲られる。更に、あの吉良上野介へと渡るのだ。

吉良上野介も、茶道を愛した人なのだ。彼は、千宗旦に茶を学んでいて、号まで持っている。ということは、山田宗徧とも茶を通じて友人であるという人間関係がある。このことが、彼に不幸をもたらす。つまり吉良邸に出入りしている山田宗徧に接近してくる人物がいた。

それが赤穂浪士の一人、大高源吾。名を隠して、山田宗徧に弟子入りを願う。元々茶の心得のある彼は、すんなり叶う。そこから、吉良邸の茶会の日程を聞きだし、討ち入りを成功させる。

ただ、宗徧は、大高源吾の素性は知っていたと云われる。なぜ、彼に教えたのか。それは、彼ら(上野介と大高源吾)の人間性の比較であったかもしれない。秘密を漏らすというのは、案外、そういう要素が強い。

茶会などは、米沢藩上杉家の上屋敷に移ってからでもよかったのに、引っ越せると、気分が高揚し、嬉しさが勝ったのだろう。また、茶会で、上野介自慢の、この花入を是非、披露したかったようだ。

いろんな話では、その1週間前に、話が持ち上がったが、不都合があり延期されて、移転前日になったという。そして、茶会を開き、酒が回って寝込んだところを襲われ、赤穂義士に討取られる。この花入は何を見たのだろうか。

*追記

この花入「桂籠」は、転々として、現在、神戸の香雪美術館にあるそうだ。阪急、御影駅から少し歩いた所の閑静な住宅地の中にあり、3,4度、行ったことがある。残念ながら、当時は、この花入のことは意識していなかったので、機会があれば確認してみたい。

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2011年10月 2日 (日)

美味しいレンコン

先日、売り場で、美味しそうな色白のレンコンを見つけ、買ってみた。冬場には比較的よく買うが、これからがシーズンだ。そして、毎年、レンコンを様々なレシピで試してみたが、結局のところ、お節で作る煮しめのように、レンコンを煮たものが一番おいしい。料理としては簡単で、その上、美味しいので、今後は迷わず、煮ることにした。

念のために、どのように調理しているかと言うと(笑)、まず皮を剥き、輪切りにして水にさらす。よく酢水にさらすという人もいるが、料理店じゃあるまいし、そこまではやらない。確かに、仕上がりの色は、醤油の量で黒くなるが、健康のためにも、少なくすれば、それほど気にする程度にはならない。

後は、出汁(昆布と鰹のだし。ここは手抜きせず、自分で作る。インスタントの出汁は極力使わない)、砂糖、みりん、醤油に火をかけ、沸騰したらレンコン投入し、再度沸騰したら、火を弱めて煮る。鍋の大きさによっては落しぶたをして、蓋をして煮る(その方が早く仕上がる)。これで゛出来上がり。

ただ、これだけだから、男でも簡単。その上、とても美味しい。結局は、素材次第と気づく。同じように、ごぼう、にんじん、シイタケ、こんにゃく、里芋、高野豆腐も同様に作ることもある。ただ高野豆腐の場合は、塩を少し入れる。このようなシンプルな料理が、案外、身体によい。

料理番組で、手の込んだものがたくさん見受けられるが、手間がかかるし、本来の素材の味を誤魔化した料理に思えて仕方ない。素材を活かした簡単な料理がいいと流風は思う。

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2011年10月 1日 (土)

万理一空ということ

琴奨菊関が、大関昇進を受ける際の挨拶に「万理一空」という言葉を使っていた。宮本武蔵の『五輪書』からの引用だということだ。大関昇進ともなると、難しい言葉を引っ張り出して来て、その決心を述べなければならないのは、大変なことだ。

ただ、『五輪書』の中で、「万理一空」という言葉を使っている訳ではない。確かに、「兵法三十五箇条」の中に、三十五箇条を記して、最後に、「万理一空のこと」という項目があり、「万理一空の所、書あらはしがたく候へば、自身御工夫なさるべきものなり」とある。ここでは、武蔵は、このことについて、説明していない。

多分、この一文は、『五輪書』をまだ記す前に書かれたものだろう。『五輪書』には、この言葉に対して、彼なりの答えらしきものを記している。

例えば、「地の巻」では、「水の巻」の紹介として、「剣術一通の理、さだかに見わけ、一人の敵に自由に勝つ時は、世界の皆に勝つ所也」とか、「一をもつて万と知る事、兵法の利也」とある。

「空の巻」では、「武士のおこなふ道、少しもくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ、少しもくもりなく、まよひの雲の晴れたる所こそ、実の空としるべき也」とある。

ここに、万理一空に対する武蔵の理解が示されているように思う。心眼を開き、空の状態に持っていけば、恐れるものは何もない、ということを言いたかったのだろうか。

ただ、彼は剣術に禅を取り入れたが、人生の究極を求めた、やり方を参考にしたのだろう。流風の理解では、禅さえも、彼にすれば手段に過ぎない。それでも、剣術に究極を追い求めた武蔵の姿勢は、後世の者にも参考になる。

そして、万理一空についての本当の理解は、『五輪書』を通読しないと正しく把握できない。是非とも、未読の方には、『五輪書』を読んで頂きたい。ただ、『五輪書』には、いろんな解説本や、あるいは口語訳の本が出版されている。だが、本来の武蔵の意図と異なる解釈も見受けられる。できるだけ原文を読むことをお薦めする。

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