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2011年10月25日 (火)

松浦佐用姫のこと

今回は、松浦佐用姫(まつらさよひめ)のことを取り上げてみよう。実は、最近、拙ブログは、神戸を含む播州地域のネタを中心に記しているのだが、松浦佐用姫の「佐用姫」に引っかかりを覚え記すことにした。この話は、佐賀県唐津の人だったら、地元の話として、誰でも知っているということだ。

ところが、兵庫県には佐用郡佐用町がある。調べたわけではないが、全国に、このような名の町は、あまりないはずだ。古代の人の女性の名に、なぜ「佐用」という名がついているのか。そこに疑問を持った。でも、以下の流風の話は、全て、妄想かも(笑)。

まず、彼女の名前を有名にしたのは、『万葉集』巻五の「松浦川に遊ぶ序」に続く、和歌と一文に松浦佐用姫のことが記されているので、少し長いが、それを挙げておこう。

「大伴佐提比古郎子(おおとものさでひこのいらつこ)、ひとり朝命を被り、使を蕃国に奉はる。艤棹(ふなよそひ)して、ここに帰(ゆ)き、やくやくに蒼波に赴く。

妾松浦(佐用姫)、この別れの易きことを嗟(なげ)き、その会ひの難きを歎く。すなわちたかき山の嶺に登り、離り去く船を遥望し、悵然肝を断ち、黯然(あんぜん)魂を銷つ。

ついに領巾(ひれ)を脱きて麾(ふ)る。傍らの者、涕(なみだ)を流さずといふことなし。よりて、この山を号(なづ)けて、領巾麾(ひれふり)の嶺といふ。

すなはち、歌を作りて曰く、

  遠つ人 松浦佐用姫 夫恋ひに

    領巾振りしより 負へる山の名」

これは、要するに夫の大伴佐提比が国の命令で、遣唐使(*注)に遣わされることになり、妻の松浦佐用姫が、もう二度と会えないのではないかと嘆きながら、夫の無事の帰国を祈って、山の上から領巾を振りつつ悲しんだと云う話。

彼女は遊女という話もあるが、明確にそうであるとも断定できない。大体、文学研究者は、素性不明な女性は、遊女とする傾向が強い。確かに、古代は巫女がイコール遊女であったことから、そういう話になるのであろうが、幾分短絡過ぎると思う。

そう考えれば、いろんな可能性がある。夫の海外派遣のため、九州に同道したのかもしれない。遣唐使船には乗る事は出来ないが、ぎりぎり乗船するところまでは見送りたい、というのが、彼女の気持ではなかったか。そう考えると、彼女が佐用の出身の女性であった可能性もないではない。

大体、こういう伝え話は、後世の者が、色々脚色する。『肥前風土記』に記されている話をベースに、『万葉集』では、旅人や憶良の想像で、書かれていると思う。更に時代が進むと、世阿弥は、各種伝説を組みあわせて、謡曲『松浦佐用姫』を創作している。

そして、時代と共に、それが真実のように語られる。そう考えると、文学とは、怖いものだ。

*注

歴史的には、遣唐使ではなく、任那に行き、百済を援けて、高句麗を討つために行ったという説ももある。彼は、どちらにも参加しているかもしれない。

*追記

『万葉集』の、この話は、大体、ほぼ同じ時期に編纂された『肥前国風土記』に伝えられる話を参考にして、話を広げた可能性もある。時代的には、これらの書籍ができる約1世紀前の話ではなかろうか。

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