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2011年10月 3日 (月)

花入~桂籠のこと

花入は、自宅にある。茶道や華道をやっていた母が遺したものだ。花入には、真、行、草の種類があるそうで、一応、数は少ないがあるようだ。流風は茶道も、華道も心得が無いので、花入を適当に使って、一輪挿し等にしている。花一輪でも部屋の雰囲気は微妙に違うものだ。

ところで、利休の花入に「桂籠」というものがある。元々は彼が桂川周辺を散策していた時に、漁師が使っていた魚篭(びく)が目に入る。利休は、漁師が腰に下げている、この魚篭を殊の外、気に入り、魚篭にすれば高い値段で買い受ける。まあ、この辺は、文化人の気まぐれとも言える。

もちろん、利休には、それなりの審美観があったことは否定しないが、所詮、魚篭は魚篭である。仮に、他の人が、魚篭を花入れにすると言えば、大きな非難を浴びただろう。茶道で、そこそこの地位を確立していたから、許されたのだ。世間とは、そんなものだろう。

この花入「桂籠」は、所有者が変わっていくのだが、不思議な因縁を持っている。この籠は、利休の孫の、千宗旦に渡り、そして、彼の高弟の山田宗徧(そうへん)に譲られる。更に、あの吉良上野介へと渡るのだ。

吉良上野介も、茶道を愛した人なのだ。彼は、千宗旦に茶を学んでいて、号まで持っている。ということは、山田宗徧とも茶を通じて友人であるという人間関係がある。このことが、彼に不幸をもたらす。つまり吉良邸に出入りしている山田宗徧に接近してくる人物がいた。

それが赤穂浪士の一人、大高源吾。名を隠して、山田宗徧に弟子入りを願う。元々茶の心得のある彼は、すんなり叶う。そこから、吉良邸の茶会の日程を聞きだし、討ち入りを成功させる。

ただ、宗徧は、大高源吾の素性は知っていたと云われる。なぜ、彼に教えたのか。それは、彼ら(上野介と大高源吾)の人間性の比較であったかもしれない。秘密を漏らすというのは、案外、そういう要素が強い。

茶会などは、米沢藩上杉家の上屋敷に移ってからでもよかったのに、引っ越せると、気分が高揚し、嬉しさが勝ったのだろう。また、茶会で、上野介自慢の、この花入を是非、披露したかったようだ。

いろんな話では、その1週間前に、話が持ち上がったが、不都合があり延期されて、移転前日になったという。そして、茶会を開き、酒が回って寝込んだところを襲われ、赤穂義士に討取られる。この花入は何を見たのだろうか。

*追記

この花入「桂籠」は、転々として、現在、神戸の香雪美術館にあるそうだ。阪急、御影駅から少し歩いた所の閑静な住宅地の中にあり、3,4度、行ったことがある。残念ながら、当時は、この花入のことは意識していなかったので、機会があれば確認してみたい。

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