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2011年11月28日 (月)

松平不昧のこと

以前取り上げた宗雅すなわち、酒井雅楽頭家二代目姫路城城主、酒井忠以(ただざね)は、松平不昧(ふまい)を兄と慕ったと伝えられる。宗雅は、不昧に刺激されて、茶の湯を愛するようになる。不昧に対して、茶道具について、いろいろ問いあわせして、教えを乞うている。その往復書簡が残っている。そして、彼に心酔して、自らを小天狗と呼び、不昧に対しては、大天狗と呼んでいた。

さて、今回は、その松下不昧について、少し触れてみよう。彼の正式の名は、松平治郷(はるさと)。不昧は号である。『無門関』の「不落不昧」から取ったようだ。彼が松江藩藩主になった頃は、藩の財政は破綻していた。財政改革の必要性から、家老の朝日茂保丹波守と共に改革を急ぐ。

実は、この改革は、不昧の父の宗衍(むねのぶ)の時から、家老小田切尚足を使って、始まっていた。ところが、既成勢力からの抵抗が激しく、いろんな不幸が重なって、財政改革は失敗し、小田切尚足は責任を問われて失脚する。宗衍も自ら退いて、雰囲気を変えようとする。

その結果、不昧は17歳で第七代目松江藩藩主になる。不昧は、改革担当に朝日茂保丹波守を指名。しかしながら、実際の改革は、息子を正面に出しながら、実質、宗衍が朝日茂保と密な連絡を取りながら改革を推進したようだ。息子の不昧は、リモコンロボットの感じ。でも、そういう役割は必要だった。そういうものかもしれない。

いずれにせよ、大胆な藩政改革を行い、リストラを遂行すると共に、農業政策を強化する。すなわち、治山治水工事と新田開発で、水害の被害を小さくして、農作物の収穫増を図る。更に特産品の開発にも注力している。特に、木綿、薬用人参(朝鮮人参)、楮(野白紙)、ハゼノキ(木蠟)の栽培を奨励した。

財政再建のためには、借金の棒引きもしている。藩札を使用禁止にしたのだ。これに合わせるように、当然ながら、歳出削減のため倹約令を発している。更に優秀な人材を登用し、村役人の既得権になっている特権を取り上げている。これらの対策の結果、数年で、最終的には、借金はなくなり、倉には8万両の金銀が積み上げられたという。

問題はここからだ。これを見た松平不昧は変な安心感から、茶道楽に莫大な、お金を投じていく。朝日茂保丹波守の了解はあったものの、茶道具道楽にのめり込んでいく。彼は若い時は、茶道具収集を馬鹿にしていたから、大いなる変節である。何か特別の裏事情があったのか。

それで、再度、財政は悪化していく。こうなると、財政改革は一体何だったのかと疑いたくなる。当時、幕府の財政も逼迫していた。そういう事情もあるのだろう。財政再建しても、最終的には、幕府に吸い上げられてしまう。それなら、茶道具で持てば、それだけは松江に残せると考えたのだろうか。

なお、彼の集めた高価な茶道具は、死後、雲散霧消していく。そして、松江には、茶の文化だけ残ったとさ(笑)。確かに一度、松江に行ったことがあるが、そういう雰囲気はある。彼のやったことも無駄ではなかったのだろう。

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