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2011年11月24日 (木)

落語『権助提灯』から見る男の悲哀

前の記事で、「分を知る」について記したが、この落語、『権助提灯』は、それをよく表している。若い人には、現代の感覚では、分からない人もいるかもしれない。あらすじは次のようになっている。

ある大家の主人が、ある所に、お花という妾を囲っていた。本妻も公認の仲で、妬いたふりも見せず、嫉妬などは、おくびにも出さなかった。昔の人は、そういう人が多かったが、本当の胸の内は分からない。ただ、昔の水商売上りの女性は、それをよく心得ていたという。明治維新をやった人たちは、それが分かっていたので、花柳界から妻を迎えている人が多い。

話を本題に戻すと、妾の方も、自分の立場をわきまえ、本妻をきちんと立てていた。ある晩、主人が妾の所から戻ってくると、本妻は、「今夜みたいな夜は、火の元が不用心だから、お花と女中だけでは心配です。あちらの宅に行っておやりなさい」と言う。

なるほどと思った主人が、権助に提灯をつけさせて、お花の元に行くと、お花は、本妻の心配りに感謝して、「このままお泊めしたのでは、お内儀さんに申し訳ない。今夜は本宅にお帰りください」と言う。それもそうだなと思い、本宅に帰ると、「お花は、なんといじらしいこと。今夜は、是非、お花の元に帰っておやりなさい」と本妻が言う。

こうして、主人が本宅と妾宅を、延々と何回も行き来したりしていたが、「権助、また提灯をつけな」と言うと、「いや、提灯は必要ありません。夜が明けましただよ」、という筋。このように主人は妾を囲ったものの、本妻と妾に、うまく遊ばれてしまって、くたくた。もちろん、裏には、双方の女性の見えない嫉妬があるのだろう。

これでは、主人に付きそう権助も、たまらない。どんなに賢婦人を装っても、その心の実はわからない。心は、煮えくりかえっているかもしれない。公認の浮気でも、女性には、許せないということだろう。妾の方も、表面的には分を守っても、主人を独占したい欲がある。

女性は、どんなに教養があったり、美人でも、皆同じで、男が浮気するには、相当な覚悟がいるということを、この落語は、冷やかしている。そして、別の見方では、男とは、女性に、うまく、あしらわれている時が、案外、うまく行くことを示しているのかもしれない。仏の掌ではなく、せいぜい女性の手の上で、もてあそばれる男は、哀しい動物だ(笑)。

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