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2011年11月13日 (日)

平清盛と神戸 その四 兵庫津辺り(一)

それでは、平清盛と神戸とはどんな関係があるのだろうか。神戸に住んでいる方は大半がご存じだろうが、全国レベルで見れば、神戸に福原京があったことさえ、案外知られていない。確かに『平家物語』には、記されているが、それほど関心は持たれていないないのかもしれない。

今回から、流風なりに、清盛ゆかりの神戸の名所旧跡として、整理した観光候補を紹介しよう。まず兵庫津の辺り。

●来迎寺(築島寺)

全ての権力は、どの時代でもそうだが、経済的基盤を築いた所が、権力を握っている。平清盛の場合は、日宋貿易から上がる利益であったことは間違いだない。彼は、それを拡大するため、まず目を付けたのが、兵庫の港であった。

当時、大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれていた。ただ、大きな船は出入りできず、当時の大型の宋船が入港できない。それがまずいと思った彼は、人工の島を築こうとする。それが経ヶ島の築造だ。

ところが、いくら築造しようとしても、幾度も東南からの暴風雨と大波という悪天候のため、遅々として工事は進まない。そこで、占い師の言葉によると、海神の怒りをなだめるために三十人の人柱を入れるとおさまるだろうと言う。

そこで関所で、旅人を捕えて、獄につなぐということをやる。それを見ていた讃州香川城主、大井民部の子、松王丸が、見るに見かねて、「私を、この人たちの身代わりにしてください」と申し出る。

当時、彼は若干17歳。彼が、法華経を記したたくさんの石と共に、人柱に立つと、嵐は急に収まり、難工事は進展して完成する。彼の菩提を弔うために建てられたのが、この寺だ。ただ、これが事実かどうかは分からない。ただ、昔、人柱という発想があったことは確かなようだ。

いずれにせよ、この結果、大輪田泊は、日宋貿易で、栄える港になる。これは現在の国際貿易都市である神戸の礎を作ったことになる。この松王丸を弔うために建立されたのが、来迎寺(らいこうじ)と云われる。境内には、「松王小児入海」の碑と墓が残されている。その経緯から、かつては築島寺とも呼ばれていた。

なお、この来迎寺には、祇王・祇女の塔もある。祇王・祇女の姉妹は、清盛より寵愛を受けるが、やがて失い、京都の祇王寺で尼になる。平家滅亡の後、神戸に来て、真福寺で、平家一門を弔った関係で、神戸と関係がある。

兵庫区島上町二丁目。

最寄りの駅は、地下鉄海岸線、中央市場前駅下車。

*注記

なお、今回からの、観光案内は、神戸市の刊行物を参考にしている。また、平成13年に発行された『神戸西国街道まわり道』(神戸市都市計画局計画部まちづくり支援室編集・発行)の冊子は、復刊してもらいたいものだ。平家がらみの観光案内には、ぴったりだからだ。何も新しいものを作る必要はないと思う。

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