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2011年11月15日 (火)

日本とトルコ~山田寅次郎

トルコ地震では、10月31日現在で、2601戸の全壊と、18335戸の半壊が確認されている。これはトルコの建築事情が影響しているらしい。なお、日本赤十字社は、すでに1億円相当の物資を送り、2000万円の資金援助をしている(*注)。東日本大震災では、支援を受けており、早く復興してほしいものだ。

ところで、日本とトルコは友好国である。別に地震繋がりというわけではない。明治時代、日本とトルコは、共にロシアの南下政策に脅威を抱いていた。明治23年 親善友好のため、オスマン・トルコのスルタン アブドゥル・ハミト2世が、横浜に木造軍艦エルトゥールル号の派遣する。

その帰途、不幸にも、紀州串本の沖で台風に巻き込まれ座礁する。乗組員650人の内、実に581人が死亡する事態になった。その時、付近の漁師が船員の救助に当たり、助かった人々には食糧を提供し、献身的な介護をした。そして、亡くなった人たちは、篤く弔った。

生存者たちは、明治天皇の命で、二隻の軍艦でトルコに送り届けた。そういうことで、今でも、和歌山県とトルコは、交流がある。共同で、沈没した船の引き上げなどをしている。ここまでは、美談として、よく知られている。

ただ、これだけでは、トルコとの友好が、ここまで強くならなかっただろう。山田寅次郎という人が旗振りをして、言論界の知人、福本日南、陸羯南の協力の下、各地で講演活動して、義援金を集め、トルコの遺族に直接届けたことは、最近は、あまり知られていない。山田寅次郎は当時27歳。

届けた、その額、現在のお金にして、約1憶円という。トルコの大臣、サイド・パシャに渡すと、彼は感激して、スルタンに、その事を話す。そうすると、やがて、彼はスルタンと拝謁することになり、勲章を授与される。

その後、大臣から、彼の地に留まるよう要請され、日本文化を広めるよう依頼を受ける。元々、茶道家の出身の為、茶道を中心として、日本文化を普及させていく。彼は、本来、茶道家を継ぐ意思は薄かったのだが、これを機に日本文化の重要性を再認識し、茶道を継ぐ決意をする。その後も、日本とトルコを行き来している。

つまり、国ではなく、民間人の彼が直接、トルコのイスタンブールに義援金を届けたものだから、多くの人に、日本を知らしめることになった。日本の青年の志が、トルコとの友好の絆を強めたことになる。志で、不思議な運命が展開されていく。たった一人の力でも軽んじてはいけないということだろう。彼に見習うべきは、その志と行動力だ。

*注

日本赤十字は、現在の所、トルコ赤新月社から、国際的支援要請がないため、特に救援金の募集はしてないとのこと。また義援金口座も開いていない。ただ、一部の人たちは、日本にあるトルコ大使館に直接、義援金を届けているようだ。一部、ネットで、口座らしきものが紹介されているが、義援金を送るのなら、大使館に書留等で直接送った方がよさそうだ。

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