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2011年11月19日 (土)

テレビの時代劇ブームは再び来るか

大衆劇では、今、静かなブームだそうで、若い女性の観客も増えているという。そして、改めて、時代劇の楽しさを再確認している。宝塚でも、そういう催しがあるようだが、料金も高いし、敷居が高い。若い人たちの懐具合を考えると、大衆演劇は、ちょうどいいのだろう。

流風も、舞台を観に行くことはあまりないが、どこの国の時代劇テレビドラマが好きだ。それぞれの国の思いが感じられて、ふんふん、なるほど、そういう考え方か、と思わせる。韓国の時代劇テレビドラマも、ある程度、ワンパターンだが、支持されるのは、そういうところもある。

もちろん、これらは、制作者の意図があり、国民を代表する意見ではないかもしれない。でも、各国民の琴線に触れなければ、作られることもないだろう。時代劇ドラマは、その国の国民性が出てくる。それはアジアの人々に共通する思いであることも多い。

ところが、日本の民放は、ついに『水戸黄門』の制作中止を発表している。スポンサーで、メーカーのオーナーだった松下幸之助は、大変好きだったらしいが、彼と共に、忘れ去られるのだろうか。これで、民放の時代劇は、ほぼ全て無くなってしまった。

だが、テレビ局は、時代が読めていないというか、マーケティングが出来ていないと思う。また彼らは、時代劇の存在価値を知らないのかもしれない。時代劇は、ある意味、教養娯楽番組であると考えれば、いつの時代も必要な物である。

世の中、なかなか、勧善懲悪とは、行かないものだが、それでも、人々の心には、そうあって欲しいと望む気持ちがある。現実の憂さを晴らす時代劇の存在は、それなりに意味を持つ。そして、子供たちには、人として、あるべき姿を伝えられる。かつて、テレビのない時代は、落語、講談、浪曲が、その役割を果たした。

現代は、これらを聞くのにも、割と金がかかる。テレビ局は、もう一度、時代劇ドラマの意味や価値を再考してもいいと思うのだが、流風は古いのだろうか。

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