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2011年11月27日 (日)

平清盛と神戸 その十一 須磨各所(二)

須磨各所の続き。

●平重衡とらわれの松跡

平清盛の五男で、生田大手門を守る副将・重衡は形勢が悪いと判断し、須磨に逃れる。しかし、源氏方の梶原源太景季(かげすえ)によって馬を射られ、捕われる。その時、大きな松の根に腰をおろして無念の涙を流した。それを見て、村人が、濁酒を一杯差し出すと、彼は大変喜んだという。そして、次の歌を詠ったという。

   ささほろや 波のここもと 打ちすぎて

      須磨でのむこそ 濁酒なれ

かつては、「腰掛の松」と云われる大きな松があったらしいが、今はない。なお、重衡は、捕虜になって、鎌倉に送られ、奈良で処刑されている。なお、彼が捕われたことで、平家の没落は決定的になった。これで宮中も平家に手を差し伸べることは不可能になったと伝えられる。

山陽電車須磨寺駅下車すぐだが、あまり知られていない。

●安徳帝内裏跡伝説地

源氏との戦いに敗れ追われた平家は、第八十一代安徳天皇を奉じて、西走する。その途中、一の谷に陣を構えて、反攻の機会を窺うが、義経の奇策により破れ、屋島に逃れる。この時に、一の谷に内裏(御所)が置かれたと伝えられる。そして、寿永四年、壇ノ浦の戦いに海中に七歳で、祖母の二位尼に抱かれて身を投じられ亡くなった。安徳天皇のご冥福を祈るために、祀られた。これを安徳宮という。

山陽電車、須磨浦公園駅から徒歩約15分。

●勝福寺

清盛が寄進したと伝えられる密教法具や清盛の築島供養の幡や松王丸が父に宛てた手紙と称する文書もあるらしいが、公開はされていない。水害で倒壊していた本堂が、71年ぶりに、2009年に再建された。

山陽電車 東須磨駅下車

●聖霊大権現 證誠神社

清盛を初め、平家一門は、1182年、遷都するにあたり、当地の守護神として、聖霊大権現に対して崇敬篤かったという。明治時代に、證誠神社と改められた。

山陽電車 東須磨駅下車

●妙法寺

清盛が、福原遷都の際、平安京の鞍馬になぞらえ、ここを新鞍馬と称したという。彼は、この地を鎮守の森として保護した。

地下鉄妙法寺駅下車、徒歩約10分。

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