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2011年11月 4日 (金)

現代版生類憐みの弊害

欧米の鯨が可哀そうという発想に始まり、今、国内では、野良犬が可哀そうとか、野良猫が可哀そうという人々がいる。確かに、飼い主が飼うことを放棄して、彼らを遺棄した責任は問われるかもしれない。

しかしながら、その遺棄された動物で迷惑する第三者がいる。それを駆除しようとすると、それを非難する人々がいるが、解せない。動物による迷惑を十分理解していないからだ。いたずらに非難するのは、徳川綱吉の「生類憐みの令」を出されて、庶民が大変困ったことと似ている。全ての野良犬や野良猫を保護することはできない。

他方、珍しい海外の珍獣を飼う人も増えている。また彼らの遺棄も多い。『書経』には、「珍しき禽、あやしき獣、国に育はず」とある。そもそも、生き物を、自分の目を楽しませたり、狭い所に閉じ込めたりするのは、人間の横暴と言えるだろう。

遺棄された動物が可哀そうという人々は、遺棄された動物で困る人びとを非難するのではなくて、むしろ遺棄した元飼い主を責めるべきだろう。そういうことのないような仕組みの提言が求められる(*注)。一番いいのは、飼わないことだが。

*注

例えば、全てのペット類に対する税として「ペット税」の創設等により、ペットの遺棄を減らす。つまり、ペット登録(チップ埋め込み)税、ペット所有税、ペット売買税等。

なお、無登録や無断遺棄に対しては、強い罰則規定が必要だろう。概ね、100万円以上の科料が求められる。いろいろ意見はあるだろうが、それぐらいにしないと、遺棄はなくならない可能性がある。

安易に動物が飼える仕組みに制限は必要だ。

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