« 東証の甘い上場基準と維持基準 | トップページ | 2012年動向予測 国際編 (一) 総論 »

2011年12月22日 (木)

『播磨国風土記』を読む その十二 火明命のこと

久しぶりに、『播磨国風土記』の記事について触れてみよう。今回は、火明命(ほあかりのみこと)だ。彼は、大国主の子供とされる。ただ、『古事記』にも、『日本書紀』にも、彼の名はない。出てくるのは、この『播磨国風土記』のみ。果たして、彼はどういう存在だったのだろう。

どうも気性が激しく、荒っぽい子供であったようだ。これには親の大汝命(おおなむちのみこと。播磨の大国主命、つまり伊和大神 *注)も、手を焼き、遂に勘当して追い出そうとする。いつの時代も、そういう子供はいる。彼は案外、孤独だったのかもしれない。大汝命はたくさんの妻と子供がいるし、そうでもしないと、親から注目もされない。

すべての子供が、火明命のような行動を起こさなくても、多くの子供たちは、それぞれ、心の中では親に注目を浴びたいものだ。それが火明命の場合は裏目に出る。大汝命の怒りを買い、追い出され、捨てられる。

そのやり方は、因達(いだて)の神山まで、一緒に船で行き、着いたところで、すぐに火明命に水を汲ませにやらせる。彼が水を汲みに行っている間に、船は出港し、彼を置き去りにする。彼は、大いに怒り、風と大波を起こし、船が進まないようにする。

そして船は難破。船に積まれていたものが、各所に打ち上げられ、いろんな地名が付いたそうだ。それが、船丘(船が打ち上げられた)、波丘(船が打ち上げられたことによる波)、琴神丘(琴が落ちた)、箱丘(箱が落ちた)、匣(くしげ)丘(梳匣が落ちた)、箕形(みかた)丘(箕が落ちた)、甕(みか)丘(甕が落ちた)、稲牟礼丘(稲が落ちた)、冑丘(冑が落ちた)、沈石丘(沈石が落ちた)、藤丘(綱が落ちた)、鹿丘(鹿が落ちた)、犬丘(犬が落ちた)、日女丘(ひめぢ)丘(蚕が落ちた)。

十四の丘の地名になっている。いろんな人たちが現在の場所の特定をしているそうだが、まだわからない箇所もあるようだ。それにしても、いろんなものを積んでいたんだ。犬は分るとしても、鹿を積んでいたとは。何に使っていたのだろう。ちなみに、蚕(かいこ)が落ちたのが、現在の姫山で、姫路城がある場所。

このように船は難破させられて大変な目に遭うのだが、そのことを大汝命は、妻の弩都比売(ぬつひめ)に厳しく詰られている。「悪(さがな)き子を遁れむと為て、返りて波風に遭ひ、太(いた)く辛苦(たしな)められつるかも」と。

乱暴な子供に向きあこともなく、逃れようとして、追い払って捨てようとするから、子供の逆襲に遭い、却って、私たちは苦労を抱えることになったと。子供の心をどうして受け止めてくださらないの、というぐらいの意味だろう。

いつの時代も、子供を育てることは大変だが、親の思いと子供の思いは、ちょっとしたことで食い違いが出る。日頃から、親は自分の考え方を披露して、子供が独立しても、やっていけるようなコミュニケーションが大切だが、お互いの甘えから、ついつい、それがおろそかになり、子供が暴発して、親がうろたえるパターン。今も昔も変わらないようだ。古典も、いろいろ教えてくれる。

*注

私見では、大汝命は播磨の大国主命と思う。なぜ「播磨」の冠をつけたかというと。大国主命は、何代にもわたって名乗っていたと思われるからだ。播磨の大国主命は、先祖が出雲で国譲りをした後、反発して播磨国に逃れてきたとも考えられる。それが播磨国に、いろんな先進文化を伝えた伊和大神と同一人物と思う。 

|

« 東証の甘い上場基準と維持基準 | トップページ | 2012年動向予測 国際編 (一) 総論 »

姫路と播磨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 東証の甘い上場基準と維持基準 | トップページ | 2012年動向予測 国際編 (一) 総論 »