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2011年12月13日 (火)

池田輝政と督姫 その一

関ヶ原の合戦後、姫路城城主になった池田輝政の人生も希有なものであろう。彼は姫路城の改修工事を8年にわたり続け(*注)、町割りも含めて、現在の姫路城を作り上げた。彼は静かな人だったらしいが、流風には建築設計者のようなタイプを想像させる。

永禄7年(1613年)に、織田信長の重臣、池田恒興の次男として、尾張国清州城で生まれた彼は、幼名を三左衛門という。この名前は、後年、彼が姫路で開発した飾磨港まで通ずる運河(濠)に、その名前を現在まで残している。

彼は、当初、親と共に、信長に仕えるようになるが、信長が明智光秀の裏切りに遭い、殺されると、父兄と共に、長年の付き合いから秀吉に仕える。1583年には池尻城城主になる。ところが、小牧・長久手の戦いでは、あろうことか、父と兄が戦死してしまう。そういうことで、家督のお鉢が回ってきて、相続することになる。

その後、美濃国大垣城城主、岐阜城城主になる。彼は秀吉の下、ほとんどの戦いに参戦している。そういうことで、秀吉に可愛がられ、1587年には羽柴氏を与えられる。秀吉にすれば、養子のような扱いだった。1590年には加増されて、豊橋にある吉田城の城主になり、これはまさに、豊臣一族に準じる扱いであった。

そして、秀吉の計らいで、家康の次女、督姫と結婚することになる。両者とも再婚である。輝政は、最初、糸姫と結婚して、糸姫は、長男、利隆を産んだが、産後の肥立ちが悪く、結婚生活の継続が不可能になり、離縁している。督姫の方は死別であった。この結婚が、輝政に、いい意味でも悪い意味でも大きな転機になるきっかけを与える。

*注

改修工事に必要以上に時間がかかっているのは、途中で、幕府の方針で、他の城の改修工事も手掛けざるを得なかったからだ。

次回に続く。

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