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2011年12月15日 (木)

池田輝政と督姫 その三

家康の意向を知っていたかどうかわからないが、督姫は、そんな輝政のところに嫁ぐ。もちろん、輝政の動きを監視できる多くの召使を連れて姫路城に入る。彼女は播磨御前と呼ばれるようになる。家康の後ろ盾を明らかに意識したものだ。虎の威を借りる狐同様で、嬶(かかあ)天下であった。

さらに池田家の重臣で輝政と関係が深く、今は三木城主の伊木忠次は家康と気脈を通じており、姫路城の家老の息子の伊木忠繁を通じて、姫路での出来事は、こと細かく家康に連絡が入り、また家康の意向は随時、忠次に連絡が入る状況だ。

多分、輝政は養子の様な扱いを受けたであろう。ただ、彼は、そういうことは多少苦痛に感じていたかもしれないが、それらを忘れるように、播磨入りすると、早速、当時三層の姫路城の改築に取り組む。それだけでなく、町割りもして、整然とした城下町にしていく。

彼の本心は分らないが、姫路城から飾磨港に通ずる運河も作ろうとする。これは家康に対する意趣返しとして、秀頼を盛りたてるつもりであったかもしれない。ここら辺は、家康と輝政の微妙な葛藤が感じられる(なお輝政の父と兄は、かつて徳川軍と戦い戦死している)。

だが、家康は老獪である。輝政に加禄するとともに、子供にも加禄し、百万石の大名にしてしまう。周囲から、身動きできないように縛ってしまうのだ。そのような重苦しい環境の中、彼は十数年、ハイペースで播磨地区で活動し、姫路城を中心に町づくりに心を傾けた結果、寿命を縮めてしまう。現在の西播磨の原型は彼が作り、後世の者は、その恩恵を受けている。

次回に続く。

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