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2011年12月 5日 (月)

刈萱上人の無常観

僧の中には世の無常を感じて出家された例が多い。刈萱上人もそのようであったらしい。今回は、流風の覚えとして、刈萱上人・石童丸親子の物語を記していく。彼は、元々、筑前の国司で加藤左衛門尉重氏という人であった。ある時、世の無常を感じて、家を飛び出し、京都、法然上人のもとを訪ね、出家する。その後、高野山に赴き、仏道修行に励む。

家族は、妻や娘は、ほったらかしにして、出てきている。ところが、彼の出家後に、妻の千里御前は男の子を産む。彼は、どこに行ったかわからないので連絡はできていない。子供は石童丸と名付けられ、父は亡くなったとして養育していくが、風の便りで、重氏が高野山で修行していることが分かる。

そこで、千里御前は高野山に、石童丸を連れて元夫を訪ねて行く。千里御前は石童丸に、刈萱上人が父親であることを告げていない。高野山は女人禁制。仕方なく、石童丸に手紙を預け、刈萱上人に会いに行かせる。しかし、重氏は、千里御前から、手紙で、石童丸が、彼の子供であると告げる内容であったにもかかわらず、父子の名乗りはしない。

石童丸は、手紙を届ける役割を終え、高野山を下りて、宿所に戻ると、母の千里御前は亡くなっていた。子供を父親に届けた安心感からか、あるいは女手一人で生き抜くことに絶望したのかもしれない。やむを得ず、彼は筑前に帰るのだが、ここでは姉も亡くなっていた。石童丸は無常を感じて、再度、高野山に入り、刈萱上人に弟子入りを願い、仏道の道に入る。

石童丸は、ついに刈萱上人が父親と知らず、30年修行する。しかしながら、刈萱上人の方は、親子の情愛断ちがたく、このままではいけないと思い、一人で信濃に行き、善光寺近くに庵を営み、善光寺如来に導かれて地蔵菩薩を刻み、ここで没する。後、石童丸は、刈萱上人が実は父だと知り、信濃に向かい、同じように、地蔵菩薩を刻む。これを刈萱親子地蔵と言うらしい。

一応、刈萱上人・石童丸親子の物語は、以上のようになっているのだが、石童丸が、母親と姉を急に失って、無常を感じたことはわかるのだが、刈萱上人がなぜ無常を感じたのか。これについては、嘘か真か、分りかねるが次のような話がある。落語のネタにもなっている。

昔、加藤左衛門尉重氏という殿様が、奥方と側室が姉妹のように親しくしているので、喜んでいた。ところが、ある晩、二人が向かい合って、双六に興じていたが、まどろんで、突っ伏していた。その様子は、二人の髪の毛が、蛇みたいに絡み合い、火を吐いて争っているのを隙見して、女心の怖ろしさを知る。そこで無常を感じて出家したというのだ。

人が無常を感じるのは、いろんなきっかけがあるだろうが、重氏の場合は、日頃から、奥方と側室の間に流れる微妙な雰囲気を感じていたのだろう。それにしても、彼は、どこに無常を感じたのだろうか。自分では、どうすることもできない現世の重苦しさを感じたのだろうか。

昔から、殿様には殿様の悩みが、金持ちには金持ちの悩みがあると言われる。庶民からすれば、想像しがたいことだが、人は、その存在について、いつも疑念を抱いているのだろう。なぜ自分は存在しているのかと。そして、無常観に襲われるのだろう。

ただ人間は、生まれ落ちたときから、それなりの使命や宿命を帯びている。彼らは、どうすることもできないと感じて、出家という方法を選んだが、無常を感じても、それを楽しむ気持ちを持ちたいものだ。無常も人間が生きていく上では仕方ないのだから。

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