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2011年12月14日 (水)

池田輝政と督姫 その二

池田輝政と督姫の仲介をしたのは秀吉だ。それは家康を何とか繋ぎ止めたいとする秀吉の策略の一つだ。何せ輝政は秀吉の養子同然、督姫は家康の次女。バランスは取れている。これは確かに秀吉が生きている内は、有効な手立てであった。

しかしながら、秀吉が亡くなると天下の形勢は違ったものになる。元々、家康は自分が天下を握るべきだと考えていたし、ある意味、庶民出身の秀吉を、今は太閤と言えども見下していた。ただ、彼の思考は柔軟だ。利用された人間を逆に自分の立場から再利用する。それが池田輝政であった。

関ヶ原の戦いで大勢は決まったと言っても、秀吉の子供の秀頼は大阪城にいるし、遠方にやった秀吉の子飼いは皆、秀吉の恩顧の者たちだ。そもそも、関ヶ原の戦い自体、官僚の石田三成たちと加藤清正などの前線で戦ってきた武人との争いに、付け込んだのが家康であろう。家康としても、とても盤石な体制とは言い難い。

そこで、旧秀吉体制を牽制する勢力として、姫路城に楔を打ち込む必要があった。姫路城からは、西側の秀吉子飼いの武人たちが変な動きをしないように監視できる。大阪には、彼らと連絡するのをチェックできる。

問題は誰を城主にするか。家康子飼いの武将を城主にすることもできるが、旧秀吉側を刺激すると厄介なことになる。そこで選ばれたのが、秀吉の養子とも言われた輝政、妻は自分の娘だが、問題がないだろう。家康にすれば、娘を通じて、秀吉に恩顧を感じている輝政をいかにコントロールするかに頭を捻ったに違いない。

次回に続く

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