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2012年1月29日 (日)

古事記編纂1300年から『古事記』を考える

平成24年は、古事記編纂1300年にあたるらしい。また平成25年には、約60年ぶりに、出雲大社大遷宮が行われる。そういうこともあって、島根県では、今年、それで観光が盛り上がることを期待しているようだ(*注1)。最近は、『古事記』も、あまり読まれていないかもしれないが、口語訳の解説付きの古事記も出版されており、昔よりは読みやすいかもしれない。

『古事記』については、昔からいろんな論議があるが、史書の割に真実が語られているように思う。そういう意味では、『古事記』は史書ではなく、言い伝えの物語と言った方が正確かもしれない。大体、史書は、どこの国でも、当時の為政者に都合のいいように改ざんされるのが常だからである。

ただ、そのために、後世の歴史学者は、史実を歪めて解釈する可能性もある。歴史的事実は一つだけれど、推論は当たっている場合もあるが、外れている場合もあるだろう。学者の論説がすべて正しいとは言えないところが、歴史書の難しさがある。むしろ、こねくり回さない学者でない人の解釈が正しいこともあるかもしれない。

流風は、十分な知識は持ち合わせていないが、一応、現時点で感じていることを記しておこう。

『古事記』は、いろんな事象を断片的に記載されており、編年体でないところが、歴史書として問題があるとして、後年『日本書紀』が作られたベースになっていることは確かだろう。『日本書紀』のような史書の体裁は、当時の為政者や官僚にとって、どうしても必要であったのだろう。

その点、『古事記』は、あまり為政者の立場に立った物ではなく、割と純粋に国の成り立ちについての言い伝えが示されていると思う。そして、それは長く日本人の精神構造に影響してきたかもしれない。

ただ稗田阿礼の伝えたかったことが、確実に太安万侶に伝わったかというと疑問が残る。太安万侶の役割は、現代で言えば翻訳者だろう。稗田阿礼が発する言葉を文字にした。外国語を日本語に翻訳する場合、そのニュアンスは微妙に異なることが多い。

ましてや古代日本において、稗田阿礼が発する言葉(音)の意味を正確に、太安万侶が理解したかどうかは疑わしい。それに文字にした段階で、すでに異なる文化になる。文字の威力は大きい。後世の学者は、現代も含めて、文字にとらわれ過ぎであろう。

いずれ、稗田阿礼が発した「言葉」を「音」で感じて解釈する人が現れることを期待したい。実際、それは神社では行われているが、学者は、音を無視しすぎている。文字を追うことが学者の判断を誤らせていると言えるかもしれない。改めて、『古事記』を「音」で解釈する「音」楽家の登場を期待したい。

*注1   島根県の「古事記編纂1300年」に関するサイト

        http://www.pref.shimane.lg.jp/kanko/kamigami/shinpaku0727.html

*参考 関西での関連展覧会

   『大出雲展』

    京都国立博物館 平成24年7月28日より9月9日まで。

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