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2012年1月10日 (火)

抜けている風に見せる

リーダーの条件として、意外に思われるかもしれないが、どこか抜けているということがある。あるいは、抜けている風に見える。これは明らかに参謀とは異なる。トップは、人間的に若干、脇が甘い程度で、周囲が何とか助けなければと思わすと、愛される(*注)。

これとは逆に、参謀というのは、福沢の言葉を借りれば、「自分の智明にまかせて他人の言を冷淡に聞き流すのみならず、ややもすれば益もなきことに他人の短所をあげて、寸鉄人を殺すの毒言を吐き、あたかも無益の殺生をなす」御仁と言えよう。

流風も気をつけなければならないが、参謀的に現代人は言葉が多すぎる。それが多くの誤解を生む。リーダーの場合は、他者を攻撃しても、その的を外すことが望ましい。同じく、諭吉の言葉を借りれば、「磊々落々、時として放言漫言、罵詈叱咤も妨げずと言えども、その放言漫言はすべて空砲にて実弾を伴うべからず」なのだ。

そのようにすれば、誰も実害を受けることもないから敵を増やすこともない。仮に相手に欠点があったとしても、直接指摘せず、婉曲な方法で相手に気づかせることの方がいい。そうできる人は、ある意味、本当に「抜けている人」ではないのだろう。

秀吉は、豪放磊落のように見えて、非常に細やかな神経の持ち主であったという(晩年除く)。誰をも、できるだけ傷つけないように配慮した。彼は、実際は小心者なのに、鷹揚なように演技をした。天下は、彼が小心者だったから、取れたと言う人もいる。

話を戻そう。再度、諭吉の言葉で締めよう。「水清ければ、魚なし。人智明なれば友なし。朋友または部下を容るるの度量は、広くして、いささか漠然たるを要す」と。リーダーの度量は、そんなものかもしれない。諭吉も、下士出身故、苦労人だから発せられる言葉だろう。

*注

但し、最近は、対外的には、そういうところを見せると叩かれる傾向がある。残念ながら、マスコミに許容量がなくなっている。叩く人間は、果たして完全な人間がいると思っているのだろうか。自分に照らしてみて、自分が完全な人間と思っているのだろうか。軽くジャブ程度にすればいいのに。

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