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2012年2月12日 (日)

謡曲『室君』について その二 棹の歌

室津の賀茂神社の小五月祭り(*注1)で歌われるという『棹の歌』を示す(一、二等番号は便宜的に流風がつけた)。この歌の内容は、謡曲『室君』の内容と、ほぼ一致する。棹の歌とは、船頭が船を漕ぎながら歌う歌のことだが、この謡曲では、白拍子(男装した遊女)が船に乗って、漕ぎ巡る際に歌う舟歌ということになっている。

 (一)

  裁ち縫わん

  裁ち縫わん

  衣きし人もなきものを

  なに山姫の

  布さらすらん

 (二)

  棹のあらし

  棹のあらし

  長閑にて

  日かげも匂ふ

  天地ひらけしも

  さしおろす

  棹のしたたりなるとかや

 (三)

  さる程に

  さる程に

  春過ぎて夏たけて

  秋すでに暮れゆくや

  時雨の雲の重なりて

  峰しろたへに降りつもる

  越路の雪の深さをも

(四)

  知るやしるしの

  知るやしるしの

  棹立てて

  豊とし月の行くすえを

  はかるも棹の

  歌うたひて

  いざや遊ばん

  (五)

  こことてや

  こことてや

  室山かげの神垣の(*注2)

  賀茂の宮居は幾久し

この歌は、室君である伝説の美女の友君が歌ったとされる。彼女が遊女と呼ばれる以前は、遊女の様な接待は、巫女がやっていたと云われる。それを友君は、白拍子のいろんな形式の舞いを伝えバージョンアップしたらしい。

ただ、友君は、接待では、代金は決して受け取らなかった。困った周囲は、ある時、彼女の子供の供養代として、花代や線香代とした。それで、彼女は初めて受け取ったという。これは現在でも、花街で使われる言葉だ。

歌の解釈は、止めておくが、最後の部分は、室津の山蔭の明神も、京都の賀茂の明神と一体だと説いている。裏に、愛した人とは別れ別れになって、再会することもままならない室君自身の哀しさを歌ったものとされる。

また遊女が男装(白拍子)し、船頭、すなわち男の立場で、棹を挿す。船が女性と考えれば、男女の営みを反映している。暗に、遊女の心得を意味しているのかもしれない。お互いの立場を慮れば、一時的であれ、うまく行くと言っているのかもしれない。いずれにせよ、哀しい歌だ。

*注1

小五月祭りについては、酒井抱一も題材にして描いている。

*注2

「神垣の」は、「神かぐら」となっているものもある。

*追記

友君は、四国に流されていく法然上人を乗せた船が室津に停泊し、苦しみを上人に伝え、教えを請うている。法然は、仏の慈悲を説いたと伝えられる。後、深く仏教に帰依し、見性寺等の建立に関わっていると伝えられる。ただ、法然が許されて、再度、立ち寄った際には、友君は亡くなっていたらしい。

*追記

棹の歌については、かつて野坂昭如氏が歌った『黒の舟歌』に通ずるようなものを感じるのだが、穿ちすぎかな(笑)。

*追記

室津の賀茂神社には、清盛も、広島の厳島神社に参拝に行く途中、旅の安全を祈って、この神社に参拝している。またドイツ人医師シーボルトも訪れ、参籠所から見える眺めを高く賞賛しているそうだ。

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