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2012年2月 5日 (日)

将来の社会保障の形

社会保障と税の一体改革が、民主党政権により叫ばれているが、これは支出と収入のバランスを長期にとっていくというものであろう。日本の社会保障は、自民党政権より、現状「中福祉、低負担」がずっと継続され、更に人口の逆ピラミッド化により、高齢者を支える現役世代の減少により、社会保障が、長期的には成り立たなくなっている。

つまり病気で言えば、かなり重症である。よって、現在の「中福祉」の社会保障体制を将来も継続するのか、あるいは福祉の程度を落として、「低福祉、低負担」に変更するのかが問われている。現段階で、高福祉高負担を求める議論は除いておく必要があるだろう。

ところが、民主党のモデルは、スウェーデン等「高福祉、高負担」の社会保障をモデルとしており、日本の実情からはかけ離れていることから、議論が混乱している。国民の多くは、「高福祉」は求めていないだろう。自分が負担せずして、国が「高福祉」の社会保障をしてくれればいいが、それは不可能である。

消費税を10%に上げることに同意しても、それ以上に上げる議論には与しない。社会保障の形をどうするか、国民的合意がまず求められる。中福祉中負担にするにしても、国家全体として、もっと稼がなければならない。今の経済状態であれば、将来、低福祉低負担もありうる。医療や介護を受けられない人が増大するかもしれない。

そうならないためにも、個人は手を打っておく必要がある。ただ、その手がなかなか難しい。結局、個人だけでは守れないだろう。自分自身が自立して、自らを守るのがベストだが、リスク管理としては、もしものことも考えておかなければならない。

ということは、社会も、地域も、国も、もっと、しっかりしてもらわねばならいないということになる。結果的に、より多くの人が、いろんな意味で、社会に参加(広い意味で相互扶助に関与)することが望まれるのだろう。社会保障は順繰りだから、今、若い人も、いずれ老いる。若い人たちも、どのような相互扶助という社会保障の形にして、どのような運営にするか、については、真剣に考えなければならない課題だ。

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