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2012年3月10日 (土)

これからの被災地の支援とは

東日本大震災が起こって、1年が経つ。今回の特徴は、被災地が広域にわたっていることだろう。そして、多くの死者を出したことが悲惨さを大きくしている。それに福島原発事故が重なり、被害額が大きくなっている。それに伴い、義援金の額も4400憶円を超えている。これは日本では、初めてのことだろう。阪神淡路大震災では、ここまで集まらなかった。

ただ、今も義援金の募集がかけられているが疑問が多い。そもそも義援金は、一時的な掴み金に過ぎない。被災者も、いつまでも、このような金には頼れない。一部では、義援金の取りあいが、家族間で起こっているという悲しい話もある。過度の他者からの施し金は、人間関係を悪くする(*注)。

ボランティアにしても、過剰なボランティアは、地域の自立するのを遅らせる。本来、ビジネスでやるべきものをボランティアでやってしまうと、いつまでも経済は回らない。つまりボランティアからビジネスに転換させないと、被災地の活力を生まない悪循環になりかねない。各地の被災の規模にもよるが、義援金やボランティアは、どこかで切らないといけないだろう。

また、国の支援にも限界がある。政府は、過剰なほどの予算組をしているが、被災自治体は、それ以上の予算を要求している。一部には、各省ごとの、不要不急のたかり予算が含まれているらしい。阪神淡路でも、そうであった。所謂、「震災太り」と言われるものである。

被災者とは全く違った視点で、復興予算が計画されるのは、よくあることだ。本当の「民」への支援は限界があるから、結局、官の予算はインフラへの支援に限定される。けれども、皆が騒ぐから、各省ごとに必要以上の予算組がされるため、トータルで金が余ってくる。そこで、復興とは直接関係のない不要不急の事業が計画されるようになる。ほとんどが被災者とは関係のない事業だ。それが優先されて、却って、本当に必要な事業に、人手が回らなくて、必要な復興が遅れがちになる。

そのことを精査すると、いろんな攻撃を各所から受ける。復興大臣が、攻撃されていたが、「復興」と名がつけば、「復興」の名の下に、全ての事業が大義名分化されやすい。マスコミも、それに同調するから、たちが悪い。基本的には、国や行政の支援には限界があると知るべきだろう。過剰に期待してはならない。

であれば、被災者を支援するために、何をすべきなのか。基本的には、民間で民間を「ビジネス的に」支援するしかないと思う。被災地で作った商品を購入するのも、いいが、もっと深いところで、ビジネス支援する必要がある。すでに、そのように活動されている分野もある。

例えば、コットンプロジェクトを実行した大阪の靴下会社の社長も語っておられたが、被災者が立ち上がれる支援を、顔が見える形でやるしかないのだろう。彼は、被災農家に塩水で農業ができない田んぼに、塩に強い綿を作らせ、その綿を使って製品を作る輪を作って、活動されている。

あるいは、岩手のNPOが、広告代理店の機能を果たし、漁船の船主と企業とをつなぎ、船に企業の名を載せて、広告に役立て、そのかわり、お金の支援をするというのも、いい方法だろう。企業側は、広告費として経費で落とせるから、やりやすい。この方法は、その他でも展開が可能であろう。

私たち一般は、一概に義援金が悪いとは言わないが、これからは、より一層、顔の見える支援を心掛けたいものだ。そうすることで、具体的に被災者が元気になっていく顔を見ることができれば、応援する方も嬉しい。マスコミ等は、そのような応援プロジェクトについて、積極的に、参加方法と、それに伴うプロセスと結果を報道してほしいものだ。

*注

義援金の使途は、被災者の自由とはいうものの、ストレスからパチンコ通いに使われたり、義援金を利用して高価な仏壇や車を買ったと聞かされると、寄付をしたものとしては、若干、嫌な感じがする。

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