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2012年3月25日 (日)

肥えない馬

中国の笑い話に、次の様なものがある。

馬の飼い主が、「私の馬には、豆や粟をしっかり、やっているに、なぜ、あのように痩せているのだろうか。どこか悪いのか心配でしようがない」と。

すると、知人が忠告した。「厩番が、ちゃんと食べさせていれば、放っておいても肥えるが、きちんとやっていないと、痩せるだろう。あなたが、ちゃんと調べずに、心配だけしても意味はない」と。

馬が肥えないと心配する前に、やることがあるでしょうと言っているのだ。このことは東日本大震災の復興にも言えること。どう考えても過剰とも思われる予算は建てられても、被災者が本当に望む肝心なところにはきちんと金が回っていないケースもあるようだ。官僚が既存の法律を建前にして、現場の意見に、ことごとく反対して、やるべきことができない。官僚というのは、国の官僚も被災地の官僚もだ。

官僚というのは、どんな場合も、後生大事に法律を守りたがる。それが役目だとも言えるが、自らの目で現場の実情を知ろうとせず、使命感がないから、そういう事態を招く。がれき処理にしても、現地で時間をかけて処理すれば、被災地に金が落ちる。諸問題があっても、法律の運用に知恵を出すのが、官僚だと思うが、それができていない。

楽な方法を選べば、法律の壁を持ち出し、全国に処理を依頼すれば、運送費等も含めて、余計な金がかかる。もちろん、がれきを受け入れる方にも抵抗がある。仮に放射能汚染の問題をクリアして、焼却処理しても、埋立地がない。それを住民の反発をなだめて、無理やり頼めば、余分なコストも発生する。結果的に、被災地には、がれき保存場所も、埋立地も、広大にあるのに、金は落ちない。

その結果、誰も、いい目をしない。この「肥えない馬」の逸話を笑ってはいられない。

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